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【紫陽花と太陽・下】第六話 修学旅行7

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(区切りが悪かったため三話を二話にしました。約7,000字です)



「なぁ、お前ら、美術館はどーしたよ? それにこの状況、何ていうか知ってるか?」

 五十嵐いがらしが両腕を胸の前で組みながら仁王立ちをして、言った。

「尾行っていうんだぜ」
「尾行するのは罪に問われるのかい? 警察官の息子殿」
 俺(しょう)は五十嵐の方を見もしないで即座に返してやった。
 五十嵐が大きくため息を吐いた。

 俺とさくらと日向ひなたは、こそこそと屈んで移動しながら不審者丸出しで様子を伺っていた。後を付け……いや、心配で見守っている相手は、もちろん霞崎かすみざきさんだ。

 さくらと日向は——この修学旅行中に知ったことだが——霞崎さんのことをすごく大事に思っているらしい。ケラケラと大声で笑い合って霞崎さんをからかうような場面もけっこうあったけれど、結局は心配をして、さりげなくフォローをし、優しく見守っているのだ。

「美術館はさ、グループリーダーがちょっと行ってきてよ」
「そうそう、チケット一枚とチラシとパンフレットがあればさ、何かあっても対処できるしさ、五十嵐くんがしっかり鑑賞してくれたら報告書だって書けるでしょ?」
 しゃあしゃあとさくら、続いて日向が言った。つまりは報告書の作成自体、五十嵐にやってもらおうという計算に違いない。案の定五十嵐が仏頂面になる。
「お前らな……」

 さっきの彼……霞崎さんの彼氏という翠我すいがくんとのやりとりもそうだけど、五十嵐は面倒事に関わりやすいのかもな、と俺は思った。関わってしまってめんどくせぇめんどくせぇと愚痴ってはいるけれど、責任感が強いのか(名がツヨシなだけに)引き受けて、しかもそつなく対処してしまうのだ。

「あずさがラブホに連れ込まれたらどうするのよ」
「安心しろ。遼介りょうすけはラブホを知らねぇ」
「…………」
 だらだらと小声で会話をしながら、俺たち四人は尾行をスタートしたのだった……。

 ◇

 私と遼介は、サクサクと靴音をたてて川沿いをゆっくり歩いていた。散歩道に落葉した色とりどりの葉が敷き詰められている。しっとりした葉と、パリッと乾燥した葉。時々吹く風に、さらに落葉の数が増えてくる初めて歩く場所を、私は不思議に思いながら歩いていた。

「びっくりさせちゃったよね」

 隣で同じくらいのスピードに合わせてくれているだろう遼介が、静かに言った。ちらりと横目で見ると、明るい茶色のダッフルコートの下には学ランと呼ばれる(正式名称は学生ランダというらしい)黒い学生服を着ていた。遠い昔に着ることはなくなった、懐かしい制服だ。

「制服、着てきたのだな」
 なぜ着たのか不思議に思い、思ったことを口にした。
「うん。その方が他の学校の修学旅行生に見えて、目立たないかなぁって思って」
 確かに私服姿で迎えに来れば、誰かに見られた時に目立つかもしれない。

「それに……一度くらい、あずささんとこういう制服姿でデートしてみたかった」

 どきりとして遼介を見た。遼介はただまっすぐに前を向いて歩いていた。何を考えているのかはまるで分からない。出会った頃から素直な性格であるのは重々承知しているので、考えたことをそのまま言っているのだと思うのだが。

「あ。あずささん、寒くない? それに、あんまりたくさん歩くと、足痛くなっちゃうよね」
 遼介がそう言ってコートのポケットからカイロを取り出した。僕の分はポッケにもう入ってるから、と一言断ってから私に渡す。そうしないと私が遠慮することも知っている。カイロのことも足のことも、細やかな気遣いが本当にすごいと思う。

「……店は、臨時休業にしたと言っていたが」
「うん。実は縁田えんださんが、今日京都に来ようって、誘ってくれたんだ」
「縁田さんが?」
「うん。めちゃくちゃ忙しい日の休憩の時にさ、すっごく良いいたずらを思いついたような顔をして、目なんてキラッキラさせてさ、言ってきた」

 私は記憶の中の縁田さんを思い浮かべた。一度だけしか面識はない。遼介が正社員になる前に一度家に来たことがあるのだ。控えめとはほど遠い視線を私に送り、興味津々で私を見ていた。怖くはなかった。遼介を時々見る瞳が、すごく慈愛に満ちたものだと思った。

「あずささんはまだ縁田さんとはそんなに会っていないけど。……すごく変わった人だよ」
「京都に来る件も、きゅうすぎではないか?」
「あはは、確かに。あずささんの修学旅行の日程に合わせて、急に決めたみたい」
「私の?」
 キョトンとして遼介を見た。頷いて、彼が続ける。
「僕があずささんに会えるように。忙しい毎日からの、たまの骨休めに。僕が修学旅行の雰囲気をちょっぴり味わえるように。……最後のは難しいか。団体行動してないし」
 遼介が息を吐いて、少し上を向いた。空は快晴だった。

「ここに似た、川沿いの道を、僕は歩いた。父さんが亡くなって一人旅をした時に。ホテルの部屋にこもっても気分が塞ぐから、とりあえず行き先なんて決めないでフラッと散歩に出たんだ」

 一時期塞ぎ込んでいた遼介を思い出す。無理に取り繕って笑顔でいようとしているのがありありと分かってしまい、悲しかった。思いっきりわんわん泣いてほしいと思っていた。あの頃は、ただ側で自分のできる小さなこと……彼の不在時に家事をしたり、椿つばきちゃんに寄り添ったりするくらいしかできなかった。彼の心の内を知ることは、結局できなかった。

「僕はすぐ道に迷うから、一本道なら安心して歩いていけたよ。辺鄙なところに出たらUターンしてまた同じ道を帰ればいいだけだし。
 ずっとずーっと歩いて、頭の中はぐちゃぐちゃして整理できなくて、それでも歩くしかなかった。止まっても歩いても結局ずっと考え事をしてしまうなら、疲れて寝れるように歩く方がよっぽどいいかなってね」

 遼介はずっと歩きながら、前を見ていた。

「縁田さんとはもう少し先で出会った。奥さんと一緒に、最後の旅行に来ていたんだ」
「最後の、旅行……」
「そう。奥さんは足の病気で、もう旅行には行けないからって最後に二人の思い出の京都に来たんだって、そう言ってたよ」
「ああ」
「写真を撮ってくれって言われてカメラも渡されて、それで撮った。目をつぶっちゃった瞬間を撮ってしまった失敗作もあったけど、それでも見せたらすごく喜んでくれたんだ」

 あ、と遼介が呟いて、足を止めた。私も同じように足を止めた。

「ここ……。川が二手に別れてたところで、出会ったんだ」
 川に橋がかかっていた。名前は……年季が入って橋の腐食がひどく、読めなかった。

 遼介が橋の手すりにもたれた。風がさぁ、と私の髪をなびかせた。


 少し沈黙が続いた。

「……ごめん。僕、あずささんとは全部が初めてのことばっかりで。デートって実は全然分かっていないんだ」
「どうした、急に」
「付き合うってことも、よく分かっていなくて。高校の他の子は、普通はどういうことをしているんだろう?」

 私は小首を傾げた。

「私もよく知らない。さくらから、時々聞くだけだ」
「さくらさん? 彼氏さんがいるの?」
「いた、という方が正解か。前に別れてしまったと言っていた」
「……別れるんだ」

 遼介がしゅん、と項垂うなだれた。さくらの話をしたつもりだったのだが何か変なことを言っただろうか?

「京都に来て、あずささんになんとか会えてホッとして、川があったからなんとなく歩いてきちゃったけど……」
 遼介が橋にもたれながらぐるりと周りを見回した。
「本当に、ここには何もないね。カフェの一つくらいあれば入ってお茶でも飲めたのに」

 お茶、という単語に私は吹き出した。昔、中学生の頃も遼介にはよくお茶しようと誘われていたから、つい思い出してしまった。

「お茶なら、ペットボトルを持ってきている。ここで飲めばいい」
「あずささんがペットボトルを持ち歩くなんて……!」
「む。さすがに長旅の間、湯を沸かして茶を淹れることなど、難しいではないか」
「そうだけど……。あ! あああ‼︎」
「こ、今度はどうした⁉︎」
 お茶の話から、遼介が急に大声を上げたので戸惑った。ガサゴソとリュックサックをあさって何かを探しているようだ。やがて彼はマグボトルを一本取り出した。
「すごくおいしい珈琲屋さんで、テイクアウトした珈琲があったんだ!」
 ずい、とマグボトルが目の前に差し出された。仕事でいつも持っていく、角の塗装がやや剥げかかっている年季が入ったものだ。

 遼介がふふんと得意げになって言った。
「マグボトルをねぇ、ちゃんと布石したんだよ」
 聞き慣れない単語につい眉を潜めてしまった。遼介がそんな私を見て、しまったという顔をした。
「間違ってる?」
「間違っている。ちゃんと準備をした、と言いたいのか?」
「うん」
「布石の使い方は、動詞ではなく『布石を打つ』や『布石とする』のように使われることが多いと思う」

 おそらく剛あたりが口走ったのだろう。遼介の身の回りでそんな言葉を使うシーンがあるとは考えにくい。剛との会話でさえ、一体どんな内容で出た言葉なのかは分からないが。しおれてしまった彼に、続けて言った。

「使ってみたい、というのはすごくいい。使わないと言葉は上手に使うことなどできないのだからな。普段しゃべらない私が言うのもアレだが……。でも遼介は、さっきみたいな小難しい言い回しをするよりも、もっと分かりやすい言葉の方が似合っていると思う」
「……うん。マグボトルを準備したので、おいしい珈琲を持ってくることができました」
「よろしい」
「あはは、あずさ先生にオッケーもらった」
 お互い、顔を見合わせてふふと笑いあった。

「飲んでもいいのか? そんなに美味しい珈琲と言われると飲んでみたくなる」
「もちろん! はい、どうぞ」
「ありがとう」
 水筒の蓋くらいは開けられるが、遼介はさっと蓋を外した状態でマグボトルを私に渡してくれた。ほわりと珈琲の豊かな香りが鼻腔をとろかす。こく、と一口飲んでみた。
「……美味しいな」
「でしょ! 熱くない? 大丈夫?」
「うん……」
 二口、三口と飲んでみる。苦味も雑味もなく、それでいて香りだけが身体の中に入ってくる感覚になる。

「間接キスだね」

 吹きこぼしそうになった。急に何を言い出すのか、遼介は。
 咳き込んでジロリと睨むと、遼介が何事もなかったかのような顔で突っ立っていた。
「分かりやすい言葉で思ったことを言ったのに……」
「そこはもう少し配慮してくれ」
「帰る前にキスはしたいです」
 ああ、もう! かーっと顔が熱くなるのが自分でも分かってしまう。
 必要以上に話さなくなってからというものの、ずっと遼介の心が分からなくて知りたかった時期があった。彼の方も遠慮があったのだろう。心に蓋をしていたんだ、と呟いた時もあったから。

 今はかなり思ったことをストレートに言うことが多くなった。
 あまりにストレート過ぎて、私は時々反応に困ってしまうこともあるのだが……。

 遼介の顔を見れず俯いたままマグボトルを彼に返した。彼が、口のところを拭いてから飲んだほうがいい? と聞いたので小さく首を振った。今更だ。フッと遼介が微笑んだ声がして(おそらく拭かずにそのまま)珈琲を飲む音がした。

「修学旅行は、どうだった?」
 遼介が小さな声で尋ねてきた。
「帰ったら話そうと思っていたことはあったのだが……。遼介にばったり会った衝撃で、今は忘れてしまった」
「あはは」
「笑い事ではない。本当に、すごく、驚いたのだ」
「うん。……ごめん」
「謝ることでもない。その、嬉しかったから。私も、会いたいと、言ったではないか」
「そうだっけ?」
 そこはしっかりと覚えていてほしいものだ! 遼介が口を開く。

「僕が今日来たのは」
「ん?」

「今しかないって、思ったからなんだよ。縁田さんもそう思ったから僕を誘ってくれたんだ」
 遼介が少し真面目な顔になって私を見つめた。

「高校二年生のあずささん。修学旅行のあずささん。剛もいて、さくらさんもいて、日向さんもいて、そういう今しかないあずささんに会うために、今日僕はここに来たんだ。

 時間は戻らないって、知ったから。僕はもう高校は中退してるからこの学ランなんて着れるのも今しかない。制服を着てデートしてもいい「今」を大事にするために、来たんだ。

 僕はできることなら後悔はしたくない。ずっとあずささんを想っていて、それなりに頑張って気持ちを隠しながら想い続けてきたんだけど、あずささんも僕が好きって言ってくれた時に、もっと早く伝えておけば良かったと思ったよ。

 ……本当は、あずささんを邪魔したくなくて家でずっと待とうとしてたんだ。でもこの修学旅行であずささんがものすごく頑張っているのは分かるから、頑張ったねって言いたかった。

 縁田さんはね、後悔も失敗も、今が大事だっていうことも、分かっている人なんだ。先のこともしっかり見ているし、今もしっかり見ることができるすごい人なんだよ。仕事よりも、今のあずささんに直接口頭で伝えることの方が、縁田さんは大事だなって思ってくれたみたい。だから店を締めてまで僕を誘ったんだ」

 遼介の気持ちがガンガン私に届いてきた。今まであまり口に出さなかっただけで、こんなにも考えていてくれたんだと分かった。

「縁田さんのことばっかり話しちゃうけど……。奥さんは、車椅子の生活で介助も大変みたいでさ。施設で暮らしているって言っていた。週に三回は最低でも会いに行くらしいよ。僕の父さんみたいに話せないわけじゃないから、会っておしゃべりして、いっぱい笑って別れる、そんな感じみたいだ。
 話ができるって本当にいいよね。僕は縁田さんの奥さんが話ができる病気で良かったと思った。病気は辛いけど、勝手だけど、そう思っちゃったんだ」

 私は頷いた。遼介がおじさんと話をしたかったことは隣で見ていたからとてもよく分かっていた。いつも人を気にかけていた。桐華とうかさんや梨枝りえさん、椿ちゃんが我先にと話していると、遼介はひっそりと話が終わるのを待っていた。時間切れで話せなくなってしまってもいつも微笑んでいた。

「縁田さんと奥さんが、最後に旅行をするという時に、出会えて良かったな」
 小さく呟いた。遼介が大きく頷く。
「そうなんだよ。不思議だよね。一人旅がなかったら、京都じゃなかったら、縁田さんに出会わなかったら、今ここに僕はいない。あずささんと一緒にもいられない」

 遼介が私から目をそらし、橋の手すりに背をもたれかけて、反対側の遠くを見た。
「あの」
 遠くを指さして遼介が言った。
「向こうの方に、進んでいく縁田さんと奥さんを見たんだ。写真を撮り終わって別れた後に。……それが、ありえないことだと分かっているのに。……父さんと母さんだといいなって……思ったんだよ」

 私は気が付いた。遼介の目から一筋の涙がこぼれたことに。

「もし、母さんが生きていたら。もし、父さんが生きていたら。あんな風に笑い合って、仲良く、手を繋いで旅行でもしたんじゃないかって……。そんなことありえないのに……」
 私は少し背伸びをして、泣き始めた遼介の頭を撫でた。出会った頃よりかなり大きくなった、少年を。

「悲しかったのだな」

 葬儀場で、火葬場で、唇を引き締めて必死で泣くまいとしていた遼介を思い出した。
 私には両親が死んでも悲しいという感情は起こらなかった。終わった、とだけ感じた。遼介は悲しいと思った。それはとても大切な感情だ。蓋をする必要などどこにもない。

「……悲しかった。……悔しかった」

 眉間にシワを寄せて遼介が泣いていた。片手で額を抑えて、苦しそうに泣いていた。

 この場所で、昔感じた出来事を、私に話してくれて嬉しかった。

 少しだけ遼介の胸の内を知ることができたと思った。


「珈琲でも飲むか?」
 それからしばらく経ち、落ち着いた頃合いを待ってから遼介に聞いてみた。

 飲む、とだけ呟いて、マグボトルに口をつけた。軽く振っていたので残りがあとわずかだということが分かった。

「また泣いちゃった……」
 はぁ、と遼介がため息をついた。目尻が赤く腫れてしまっている。
「どうしたら剛みたいに、泣かないで過ごせるんだろう……」
「剛と遼介は、別人だ」
「……それはそうだけど」
「私は、たくさん泣いて、たくさん笑う遼介が、好きだ」

 こうやってなぐさめられるしな、と私は橋の縁に座っていた遼介の頭を、屈んでなで始めた。いつも自分がなぐさめられているのでたまには私も役に立ってみたいのだ。
 目だけでなく耳も赤くなっている遼介が、しばらく無言でなでられていた。

「何時になったっけ」
 遼介が呟いた。私達はデートとは言ったものの、ずっと歩いてずっと話し続けていた。昼食をさくらたちと合流して一緒に食べるのであれば、来た道をまた戻らねばなるまい。
 スマホを開いて時間を確認していた彼が、ゆっくりと立ち上がった。パンパンと尻の砂埃を手で払う。それから大きく伸びをした。

「遼介も一緒に昼食を食べられるのか? 一体何時まで京都にいれるのだ?」
 縁田さんとの待ち合わせは何時か……と、聞く前に、遼介が私を抱きしめた。
 驚いて遼介を見たら、優しくキスをされてしまった。
 何度も何度もキスをされて、しまいには足に力が入らなくなってしまい、橋に体重をかける体勢になってしまった。遼介が片腕で私の身体を支え、もう片方の手で頭を優しくなでていた。永遠に続くかと思うくらい、たくさんキスをした。



(つづく)


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