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【短編小説】最後の焼きマシュマロ

「さぁて、今日は一日どう過ごそうか」

 んー、と片腕を真上に、反対の手を頭の後ろで折り曲げて伸びをした丹羽にわみなとが窓辺から外を眺め、言った。外は朝日がたっぷりと降り注ぎ、時折チチチ……と小鳥の麗しいさえずりが聞こえる。
 瑠衣るいは手早く朝食のお皿たちを片付けた。前に雑貨屋さんで二人で選んだハリネズミ柄の台ふきんでテーブルを清めた。

「あ、テーブル拭いてくれてありがとう。お皿洗うのは俺が……」
「いいよ、今日はそのまんまでさ。のんびりしようよ」
「……そっか」
 瑠衣の言葉に湊は素直に引き下がった。
 今日くらい、のんびりしよう。
 今日はそういう大事な日なんだ。

 二人は近くに広げていた雑誌を広げ、今日どこで何をするか、作戦タイムをすることにした。

*  *  *

 天気がものすごく良かったので、特に遠出はしないで近所の公園を散歩することにした。瑠衣が目を見開いて言った。

「なんか、今日は散歩する人が多いね」
「ほんとだな」

 タコを模した大きな遊具が中央にあるその公園は、大きくもなく小さくもなく、新しめの遊具だからか小さい子供連れが多かった。お父さんもお母さんも一緒だ。孫を優しいまなざしで見つめている祖父母の姿も見られた。
 若いカップルが手を繋いでゆっくりと歩いているのも見えた。お揃いのTシャツなので、きっとそうなのだろう。
 初夏。半袖で皆軽やかに楽しそうに過ごしていた。額に手をあてがって太陽の眩しさを遮りながら、瑠衣は空を見上げた。

 雲ひとつない、澄み渡るような美しい青空だった――……。

*  *  *

 普段よりたくさん歩いたので空腹を感じ、二人は腕を組みながらスーパーに併設されているキッチンカーで「ローストビーフサンド」と「深煎りアイス珈琲」を二個ずつ買った。いつもは卵サンド(けっこうリーズナブルで腹持ちも良い)を買うところを今日は贅沢した。
 本日もいつもと同じように笑顔で手渡してくれる定員さんに心からの御礼を伝え、気分がとても高揚していたので花屋さんで二輪ほど好きな花を買った。すべての花が一輪ずつバラ売りされており、それぞれに花言葉が添えられていた。

「ピンクのガーベラ……。どんな花言葉なの?」
「これは俺から瑠衣に。瑠衣は? どんなの買ったの?」
「初めて見る花だから名前は何だろう?……ジャスミンって書いてある」
「ジャスミン? お茶とかに入ってるやつ?」
「そうなのかな、お花屋さんで初めて見たよ。花言葉で選んだから花そのものはあんまり見てなかった」
「それはひどくない?」
 つやつやした薄紙でくるまれた一輪ずつの花たち。ほんのり温かい食事と花と大好きな飲み物と。朝から二人は好きなことをして、過ごしている。

 帰宅して、一輪挿しに無理やり二本の花を押し込んだ。
「えいっ」
 折れなくてホッとした。瑠衣は割と大雑把な性格なのだ。

 テレビは付けず、ローテーブルにお互い座って昼食を摂った。
 静かな部屋だ。時計の秒針の音と食べる包み紙の音があるおかげで、今この瞬間の時が止まっていないことを教えてくれている。

*  *  *

「やることがない」
 瑠衣がボソッと呟いた。そんな妻を見た湊がニヤリと笑い、やおら立ち上がったかと思うと台所の戸棚からあるものを出してきた。
「何?」
「へへへ、これ、一回やってみたかったんだよね」

 出してきたのはポータブルのガスコンロとマシュマロの袋。それとバーベキューなどで使う肉を刺す金属製の串だった。

「マシュマロ焼こう」

 湊がニヤリと笑って準備に取り掛かった。
「ここで⁉ 今⁉」
 瑠衣は仰天してテキパキ袋を開けたりガス缶を入れたりしている湊を見上げた。マシュマロを焼くなんてキャンプ以来だ。

「前にキャンプサークルの奴らと行った時、瑠衣さぁ、マシュマロを炭にしてたよな」
「んもぉー! いったいいつの話をしてるのよ! いいじゃない、炭化させたってさ!」
「瑠衣は雑なんだよ。あと少し、あと少し焼くんだって言って、結局丸焦げにしてさ」
「急に全焼するマシュマロが悪いのよ!」
 くくっと思い出し笑いをした湊が、瑠衣にマシュマロが刺さった串を手渡した。
「今日こそは焦がさないからね……!」
 コンロが点火された。カチッ、……ボッ! 瑠衣が真剣な面持ちで白い丸いものを火に掲げた。

 裏、表、ゆっくりとひっくり返して焦げ具合を調整する。
 きつね色がベストだ。欲を出すと痛い目に遭う。

「ここまでにしとこ」
 瑠衣が今日は炭にしないでマシュマロを焼き上げた。まぶされたパウダー状のお砂糖がやや焦げて、たちまち辺りが香ばしい香りで満たされた。
 湊はマシュマロを焼くのが上手い。瑠衣が真顔で作業している側で、さっさと自分の食べる分を完璧な焼き加減で仕上げていた。

「いただきます」
「いただきます」
 二人だけの部屋で、焼きマシュマロを頬張る。
 とてつもなく甘いのだが、それでも噛みしめるように味わった。

「またあのメンツでキャンプしたかった?」
 瑠衣が湊に尋ねた。キャンプサークルのメンバーは毎年夏になると様々なところに赴いて自然を楽しんでいたからだ。湊は興味ない声で返事をした。
「考えても意味がない」
「……そっか。……そうだよね」

 もうひとつ確認したいことがあったので瑠衣は思い切って尋ねてみた。
「私達……子供はまだいいかなぁって思ってたけど、本当はほしかった?」
 言いながら、何を今更と瑠衣は自嘲した。
 湊は目をパチクリさせて、いや、と否定した。
「そんなもの、神のみぞ知るってやつだろ?」
「そうだけど……」
「俺達は、今現在は子持ちじゃない。俺はそれで十分だと思ってる」
 きっぱり。瑠衣は少し微笑んだ。
「……そっか。……そうだよね。ありがと…………」

 微妙な沈黙。残っている甘みを舌で撫で、瑠衣は窓の外を見た。
「まだなんだね」
 湊は次のマシュマロを焼き始めた。
「そうだな。今日は遠出しなくてきっと良かったんだと思う。だって、電車もちゃんと動いてるか知らねぇし。ここぞとばかりに出かける人たちだっているだろうしさ。そしたらどこ行ってもすげぇ混んでるかもしれねぇ」
「そうね。今日のサンドイッチ屋さんは普通に営業してたけど、それだって珍しいんだろうね、きっと」
「そうさ。知らされたのが三日前だろ? よく暴動とか起きなかったよなって俺は思ったね。都心部は分からないけどさ、もう、ニュースも見たって仕方ないし」
 串を振り回しながら湊が力説した。ほっぺたが膨らんでいるのは憤慨しているからではなく、マシュマロが入っているからだ。
「テレビの意味がなくなったよね。遠いところの情報を知っても、本当にもう意味がない」
 瑠衣が言うと、湊も大きく頷いた。

「今、目の前のことが、大事になったんだ」

 それが二人の共通の意見だった。
 未来のことは考えない。懐かしい過去を振り返り、楽しかった思い出に浸り、今この瞬間を心から大切に思って過ごすこと。

 公園にいた人たちはまさに幸福な表情をしていたように思う。

 大切な人と、大切な時を生き、今の気持ちを味わっていた。



 どこかの偉い人が実行するまでが、残された時間。
 湊と瑠衣はキスをする。
 マシュマロを食べたばかりなので濃厚で、とろりと甘いキス。
 つう、と瑠衣の頬を涙が濡らした。

 自然と手を繋ぐ。
 分かっているのは、今日、どこかで。

 湊は窓の外が一瞬光ったような気がした。瑠衣は目を瞑っているので気が付いていないかもしれない。

 幸せ、とは?

 ピンクの花言葉は『ありがとう』
 ジャスミンの花言葉は『わたしはあなたについていく』





 その日、世界が終わりを告げた。




(おしまい)


テーマ/本当にしたいことは何?ということ(約3,000字)

(映画はあまり観ないので分からないのですが)ある日突然、世界が終わる危機に見舞われる映画ってありそうです。これを押したらおしまいだ、というスイッチがあって、それを阻止しようと抗う人達。残り数秒を残してギリセーフ!という感じの。
今日書いたのは、抗わずに受け止めた人達のお話。
三日前に国の公式発表で『◯月◯日にこの世が終わります』と連絡を受けました、という設定で書きました。どうなるのでしょうか。自暴自棄になるのか、刹那的に生きるのか、泣いて暮らすのか、それから、残された時間をめいっぱい大事に過ごすのか。

小澤竹俊さん著の「もしあと1年で人生が終わるとしたら?」の本があり、生き方を考えるきっかけになりました。ずっと前のことです。

名前で遊んでみようと思ったら難しく、髪の毛数本散らかりました…。
丹羽(にわ)湊(みなと)と瑠衣(るい)夫婦。
丹羽湊瑠衣 ↓並べ替えて
湊 羽 丹 衣 瑠
    ↓
そ ば に い る

慣れないことはするものではありませんね…!

最後までお読みいただき感謝申し上げます。


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