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【短編小説】ミントティーと黒い絵の具

 透明なガラスポットに葉を入れ熱湯を注ぐと――葉は小さくて丸く、鮮やかな緑の色をしている――大小さまざまな葉たちがポットの中で湯とともに舞い踊った。
 すぐさま蓋をして葉を蒸らす。タイマーのボタンを押して私は椅子に座った。

 茶を蒸す時間が私は好きだ。

 忙しい朝などにお茶を淹れる時は同時並行で他の作業をしているが、たまの休息時間にはこうして待つ時間を味わうことにしている。
 テーブルに頬をくっつけて横からポットの中を眺めた。小さな葉たちがゆらりゆらりと――まるで湯船に浸かって日々の疲れを癒やしているよう――穏やかに動いていた。

「お姉ちゃん」
 二階からトントンと階段を下りてきた女の子が私を呼んだ。慌てて顔をテーブルから離した。
「それ、ミントティー?」
「そうだ。いつものミントティーだ」
「やっぱり! どうりで爽やかな匂いがすると思った!」
 彼女がにっこりと笑ってガラスポットを指さした。私もつられて微笑む。
「お兄ちゃん、またミント持って帰ってきたの?」
 彼女が言ったので頷いた。彼女の兄は飲食店で働いているので、時折店で使えなくなったミントを持ってくることがあるのだ。彼の店ではパフェなどのデザートを取り扱う。そのトッピングにスペアミントを使うそうなのだが、使うのはミントの上部のみ。上部を取り除いた他の部位はもう店で使われることはない。
 そういう経緯もあって、私の家には時折たくさんの訳ありミントがやって来るのだ。
「もういいかな」
「いや……。タイマーはあと三分ほど残っているな」
「じゃあ待つ」
 その間に私は台所から小さな豆皿と、冷蔵庫から平べったい正方形の箱を取り出した。
「あ! 今日のおやつ⁉」
「そうだ」
 彼女は嬉しさのあまりテーブル脇で小躍りした。それを見、微笑みながら私は箱を開けておやつの準備を進めていった。

「このミント、こんなにあるのに持って帰ってきちゃっていいのかなぁ?」
 湯に浸かっている葉たちを眺め、彼女が呟いた。
「持ち帰らない場合は廃棄だそうだからな」
「廃棄って……捨てるってこと?」
「そうだ」
「……もったいないね」
「そうだな。まだこんなに美味しくいただくことができるのにな」
 私も呟いて、目の前のポットを見た。
 美しく透き通った淡い緑。
「使わない葉も無駄なく楽しめて、ミントティーは素敵な飲み物だ」
 私の言葉に、彼女も相槌をくれる。無駄なものは何もない、と。
「何もか」
「お兄ちゃんもよく言ってるよね。無駄なものってないよなぁって」
「確かに言っているな。……一見捨てるようなものでも、お茶として売られているものもあるしな」
「え、何だろう?」
 彼女は目をパチクリさせ、あごに指をあててウーンと考え始めた。素直で、いろんな物事に興味津々で、毎日たくさんのことを吸収して成長している。
「例えば……たまねぎの皮茶というのがあるな。それと、とうもろこしのひげ茶」
「お茶すごいね!」
「そうだな。とうもろこしのは私もまだ飲んだことはないが、一体どのような香りなのだろうな……」
「ひげまじん」
 ボソリと彼女がした呟きに、私はつい笑ってしまった。
 タイマーが鳴ったので止めた。湯の色は初めよりかなり緑が深くなっている。
「茶だけではない。売り物にならない人参などは馬の食べ物になると聞いたことがあるし、野菜のくずは畑の肥料となる」
「へぇー」
「無駄なものは何もない……かもしれないな」
「…………」
 カップを並べ、思案した。彼はもうすぐ帰宅するはずだ。先ほど帰宅するとの連絡をもらっていたからだ。今カップに注いでしまっては冷めてしまう。
 仕方なく私はミントティーの入ったポットにティーコージーを被せ、保温して待つことにした。
 ふと、彼女が困った顔をしていたので私は小首を傾げた。
「どうした」
「うん……。無駄、というか、あんまり使えないものがあって……」
「使えないもの?」
「もうすぐ小学校も終わるし、そしたら今残っている物って、捨てるかもしれないなって思って……」
「中学校では使えないものなのか?」
「使うのかなぁ? 絵の具なんだけど……」
 彼女が眉をハの字にして俯いた。絵の具。彼女は絵を描くのがとても好きだ。小学校の絵画コンクールでも何度か入賞したことがあり、家族も絵を描く道具をたまにプレゼントすることがある。
「絵の具は中学校に入ったら新しいものを買い揃えるかもしれないが……。だが残っているものは引き続き使えるのではないか?」
「実はね、お姉ちゃん。何回か使い切れずに中で固まっちゃって、買い直した色があるんだよね」
 彼女はおやつを食べ始めないことを気にしていないようだった。いつもは家族が揃っていなくてもお茶の準備ができたらすぐに食べることが多いのだ。
 彼女は両指を胸の前で弄びながら、口を尖らして告白した。

「私、黒って苦手なんだ」

 黒。聞くところによると、黒い絵の具を過去に五本捨てたことがある、と言っていた。
 五本が多いのか少ないのかは正直よく分からなかった。捨てた本数を覚えていることの方がすごいと私は感心した。
「よく覚えているな」
「え……だって、私の学校で使うものって、お兄ちゃんがいつも買ってくれるものだからさ。お兄ちゃん、自分のお小遣いもないのに私ばかりにお金使って。……だから、なくしたり捨てたりしたくない」
「優しいな」
 私は微笑んで彼女の頭をなでた。
 物を大切にしよう、という気持ちを自然に持っている彼女が本当に素敵だと思った。
 彼女には両親がいない。だから、社会人である彼女の兄が親の代わりに文房具だとか食料品だとかの必要経費を全て出している。学用品も然り。
 彼女はそれをきちんと分かった上で、それでも捨ててしまった過去の自分を後悔しているようだった。
「黒はあんまり使わないのか?」
 話題を変えようと尋ねてみた。今は捨ててしまった絵の具たちに悲しい思いを馳せても仕方がない。
「ほとんど使ったことがない。赤とか青の原色はもちろんだけど、紫も私は好きでけっこう使ってるよ。白も。あぁ、茶色もオレンジも……って、結局全部か。黒以外、全部」
「そうか」
「黒はね、全部がなくなっちゃうからさ。せっかく紙に書いた色が全部黒になっちゃう。色を濃くしたりする時くらいしか使わないから全然減らなくて。……それで、そのうち中で固まっちゃうんだ」

 私はティーコージーの隙間からそっとポットに触れてみた。まだしっかりと温かい。

「夜空を」
 私はおやつにと考えていた箱を開け、中から小さな甘味を取り出した。そして豆皿に二個ずつ置いていった。
「たまには夜空を描いてみてはどうだろうか。星が煌めいている夜空も、すごく美しいと思うのだが」
 私が言うと、彼女は目を丸く見開いた。
「夜空!」
「そうだ。……まぁ、自分は描けないくせに人に描けと言うのも失礼かもしれないが、明るい太陽が降り注ぐ風景画も好きだし、猫などの生き物ももちろん好きだ。ただ、夜もまた、趣ある絵になりそうだなと。今、ふと思った」
 彼女は豆皿の甘味を見て言った。
「お姉ちゃん、これ、何?」
 豆皿には焦げ茶色でキューブ状の菓子が乗っていた。
「これは生チョコ、というお菓子だ」
「生チョコ⁉ 聞いたことあるっ! 友達がなんか前に食べたとか言ってた!」
「これは友達から頂いたのだ。普通のチョコレートよりも柔らかく、口の中でとろけるらしい」
「生だからかな」
「まだ食べたことがないので楽しみだ」
 彼女が被せてあるティーコージーをそっとめくって、それから言った。
「ミントティーと、生チョコなんだ」
 一緒に食べたらどんな味になるのだろうか。確かに分からない。
 私はふふふと笑って答える。
「もうすぐXXXも帰ってくる。XXXはチョコミントのアイスをよく食べているだろう? だから、もしかしたらこの組み合わせは美味しいのかもしれない」

 するとちょうど良いタイミングで彼が帰ってきた。おかえりなさーいと私と彼女の声が重なった。
 仕事帰りの彼がクンクンと鼻を動かしながらリビングまでやって来た。
「先日いただいたミントでおやつの時間にしようと思っていたところだ」
 お茶が冷めない内に帰宅してくれて良かった。一煎目は二人で飲んで、二煎目をみんなで飲めば良かったかもしれないと一瞬思ったが、彼は帰ってきたのだ。すぐに準備の仕上げに取り掛かった。
 彼が手洗いうがいなどのルーティンを終え、三人でダイニングのテーブルに集まった。
「いただきます」
「いっただっきまーす!」
「いただきます……。ははっ……」
 両手を合わせた後、ゆっくりとカップを持ち上げた。彼が挨拶とともに笑い始めたので、私は不思議に思って尋ねた。
「どうした」
「あはは、いや、生チョコだなって思って」
「生チョコというものを友達から頂いたのでな。……もしかして、苦手だったか?」
「ううん、好きだよ。一個だけ前に食べたことあって。美味しかったよ」
 そう言うと、彼はひょいと一個を口に放り込んだ後、ガサゴソと手近に置いていた紙袋を漁った。そういえば彼は帰宅した時に袋を手にしていた。

「はいこれ。お客さんからもらったお土産」

 彼は店の客から時折お土産をいただくらしい。見ると、お土産の箱にも『生チョコ』と書いてあった。
「北海道へ旅行に行ったお客さんからもらったんだ。有名なんだって。我が家が急に生チョコだらけになったね」
「うまーい! おいしーい!」
 神妙な面持ちで私は箱を受け取った。人生初の生チョコが二箱も手に入るなど、考えもしなかったことだ。

 私はぼうっとしたままミントティーを一口飲み、それから茶色のキューブを口に入れた。
 爽やかさと、甘みが、口の中で絡み合った。

「チョコミントだ」

 そういう味が好きな彼が、ふわりと極上の笑みで呟いた。

 夜のダイニング。一日が終わるゆったりとした時間。一日の疲れを労い、明日に備えて英気を養うための貴重な時間。
 彼女が二個のキューブを平らげ、おかわりのミントティーをカップに入れながら宣言した。

「次描く絵、決めた。ミントティーと生チョコの静画にする」
 はたしてその組み合わせの絵画は珍しい部類なのだろうか。ほわわんと脳内で絵のイメージを思い浮かべる。
「お姉ちゃん、このアイディア良いと思わない? だって、生チョコを描くには絶対黒の絵の具、使うじゃん!」
 彼女がニヤリと不敵に笑って言った。
 なるほど。だとしたら、私が今日用意したこのミントティーと生チョコのおやつも、決して無駄ではなかったというわけだ。

「黒の絵の具?」
 先ほどの私達の会話を知らない彼が、口の横にチョコの粉を付けながらキョトンとして小首を傾げた。



無駄なものは何もない、をテーマにした話
こっそりと北海道の有名菓子を忍ばせました(約4300字)

読者のみなさまへ
二作目の短編小説でした。数ある投稿の中からこちらをお読みいただき感謝します。コメント欄での作品へのご意見やご感想もお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。

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