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【紫陽花と太陽・下】第五話 修学旅行5

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 最終日、宿泊先の旅館で最後の朝飯を食べ、荷物をまとめて帰路につく。途中、京都の集合場所兼自由行動のスタート地点にて生徒らはバスから降り、各グループごとに散開していく。

「全員いるか? ……一応な」

 俺はグループのリーダーになっている。中学も高校も、リーダーばかりやらされている。こんな口悪いリーダーで果たしていいのだろうか。要点は抑えているつもりなので、教師たちは何も言わない。まぁ、履歴書とか自己PRに実績を書けるなら、無駄ではないのかもしれない。

 あずさをちらりと見た。遼介りょうすけの話では、あずさはよく笑い、微笑むことがすごく増えているというが、学校の中での彼女は基本仏頂面だ。時々、さくらと日向ひなたと話す時にちょっと笑うくらいで……またその控えめな表情やギャップに男子たちが色めきだって告白をするらしいのだが……今もむっつりと黙ってリーダーの俺を見ていた。

「美術館まではバスで行く。道案内は、しょう
「ほーい」
「翔に任せる。後は頼む」

 ふーっ、リーダーはお休みだ。遼介との待ち合わせは美術館行きのバス停近くにした。さっきメールをしたら、京都にはもう到着していたと言っていたので大丈夫だろう。……道さえ、迷わなければ。

 俺は小さい頃、迷子センターに収拾された遼介を迎えに行ったことがあった。奴はぐすぐす泣いていて、俺の姿を見たら大泣きに変わってしまった。迷子になった、と言うので、そりゃこんなところにいるんだから迷子だろうが! と怒鳴ったら、びっくりしてまた泣いてしまった。

 そんな俺の口の悪さにも成長とともに遼介も耐性が付いたのか、最近に至っては飄々として上手にかわすことを覚えてきやがった。


 バス停に着いてしまった。遼介はまだ来ていない。
 俺は内心焦っていた。

「いなさそうだねぇ? 俺、顔知らないから分からないけどさ」
 翔がキョロキョロと見渡して呑気に言っている。バスが到着しても乗らなければ、さすがのあずさも訝しく思うだろう。まさか道に迷ったんじゃないよな……同行者がいるって言ってたし。

 俺のコートのポケットが振動した。スマホの着信音が鳴ったのだ。すぐ電話に出た。

「もしもし、つよしくんの携帯電話でしょうか?」
「何言ってんだよ、家の固定電話じゃねえんだよ。俺に決まってんだろうが!」
「あ、そうか」

 思わず脱力した。本当に遼介ときたら、スマホを持って一体何ヶ月経ってると思ってんだ。

「今どこだ」
「今どこにいるの?」
 お互い同時に話した。まさか、本当に、道に迷ってんじゃねえよな。

 翔が俺をつついて音を聞かせろと言っていた。スピーカーボタンを押して、遼介の声が外に出るようにした。
「俺は、メールにも書いたが、美術館行きのバス停の近くにいるんだよ。もうすぐバスが来ちまうし。お前今どこにいるんだよ」

「う〜〜〜〜〜〜ん」
 俺は再び脱力した。自分の居場所を伝える住所か何かを探しているに違いない。

「あ、あった。ええと……。漢字が読めない……」
「読めないのかよ……」
縁田えんださぁん! これ、なんて読むんですか? 今僕どこにいるんでしょうか!」

 電話口の向こうで遼介が話しているのが丸聞こえだ。縁田さん……喫茶店の店長と一緒に京都に来たのか。翔が隣でボソリと呟いた。

五十嵐いがらし……。霞崎かすみざきさんの彼氏、大丈夫?」
「……」
 待つこと数分。幸いバスはまだやって来ない。

「あ!!!!!」
 すごい声量がスマホから飛び出てきた。びっくりしてスマホを取り落としそうになる。
「剛、はっけーん!」
「んん?」
「じゃ、切るね」

 ……切っちまいやがった!
 血圧が上がりそうだ。高血圧で死んだら一生恨んでやる。もう死んでるけど。

「あれかな?」

 翔の声でふと視線を上げると、確かに道路を挟んで向かい側に遼介の姿が見えた。茶色いダッフルコートを着た、童顔で眉毛の太い、馴染みのある顔がひらひらと手を振っていた。
 横断歩道を渡るべく信号を待っている。

 ……なかなか来ねぇ。

 もう一度、手にしたスマホが振動した。
「剛、信号が」
「馬鹿野郎‼︎ その道路はボタン押さないと信号変わんねぇやつだ‼︎」
「あ、そうか」

 ひょこひょこと遼介が、目の前で、信号を変えるボタンを押しに行った。翔を見ると、肩を震わせて涙を流しながら笑ってやがる。
「あ、変わった」
「そりゃそうだろ……」
「今行く。切るね」
 ……切った。速攻だな。

 ようやく会えた。俺は何度目かの脱力をした。

 ◇

 猫がいた。しかも三匹。どれも三毛猫で、模様がそれぞれ違ってつい見入ってしまった。

 今日美術館に行って鑑賞をして、昼食をグループで食べた後、バスに乗って帰る。そうしたら会える。遼介に。やっと、会える。
 たった六日。それがものすごく長い長い時間に感じた。

 そういえば。遼介が一人旅をしたときも数日離れていたが、あの頃はまだ今みたいな関係ではなかった。毎日夜に、それも私が晩ごはんの準備をする前の隙間の時間をおそらく狙って、彼は電話をくれた。電話口の遼介の声はいつもとちょっと変わっていて不思議な気持ちになったように思う。縁田さんのところで仕事をするよりも前のことだから、かなり昔のことだ。

 修学旅行中は電話をしないつもりだ、と言うと、遼介はすぐに首肯した。僕もお邪魔虫にならないようにメールも電話もしないから安心して楽しんできてね、とも言われた。それが失敗だったのか失敗でなかったのかは分からない。寂しい、ということが分かっただけ良い失敗だったのかもしれない。

「あずさ」
 さくらの声がしたので猫から目を逸らす。やっとバスが到着したのだろうか?
 ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。


 目の前に、遼介が立っていた。


「あずささん、来ちゃったよ」
 ふわりと微笑んで、眉を少し下げ困った顔をして、遼介が言った。

 ずっとずっと聞きたかった、電話越しでもいいから聞きたかった遼介の声が、本人から聞けた。私は目を丸くして穴が空くほど彼を見つめた。

「あはは。今日は、縁田さんと一緒に来たんだよ」
 コクリと頷いた。
「仕事は辞めてないよ? 臨時休業になったから」
 コクリと頷いた。
「どうしてきたのかは、僕が会いたかったから来たんだよ」
「まるで五W一Hだな」
「何だ、それ」
「私も……会いたかった」

 目から何かこぼれたような気がしたが、構わず目の前の遼介に体当たりした。ドンッとわりと大きな音がして「ぐぇ」と呻いた声がしたが構わなかった。ぎゅうぎゅうと彼に抱きついた。

 やがて、遼介がふわりと抱き返してくれた。優しく背中をなでてくれている。まただ、また魔法の手を使っているのか、遼介は。

 私が抱かれながらぼうっとしていると、耳元で遼介が囁いた。
「あずささん、修学旅行、倒れないで、頑張ったね」

 とたんに両目から涙がポロポロこぼれてきた。普通の人はそんなこと当たり前なのに、私にはとても難しいことだった。六日を倒れずに乗り切れるか不安ばかりだった。遼介に迷惑をかけたくないことばかり考えていた。
 遼介は、それを分かっていて、一番私の言ってほしかった言葉をくれた。

 泣いているとタオルでそっと涙を拭いてくれた。彼が手にしていたタオルを受け取って自分でしっかりと涙を拭いた。

「あずささん」
 呼ばれたので、顔を上げて遼介を見た。
 いつだか好きだと伝えられた時のように、太陽のような眩しさで遼介がまっすぐに私を見ていた。

「十分でも、五分でもいい。ほんの少しでいいので、僕と、デートしてくれませんか?」

 私はタオルを落としてしまった。



(つづく)

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