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【紫陽花と太陽・下】第二話 Ryo's kitchen

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「これ、知ってる?」
 ずい、とつよしがスマホの画面を僕に見せてきた。どれどれと中を見てみると、動画サイトが表示されていた。

(コージのバ……バズ……、なんだこれ?)
「バズレシピ」
 バズってのはー……と、流行りの単語に疎い僕に解説してくれた。幼馴染で同い年の剛。言葉こそキツめだけれど、とても優しい、僕の大切な親友。

「知らない、けど。ふぅん、最近は料理の作っているところを動画にしたものってのがあるんだねぇ」
「そうな。おまえ、好きそうかなって」
「うん、面白そう」

 つらつらと目次っぽいものを見てみる。極上のバターチキンカレー、食材三つの丼飯、何もやる気がないときのオープンサンド、などなど。いろんな料理の動画を配信しているみたいだ。

 剛(とあずささんも)は今日はテスト最終日とのことで、午前で学校が終わり、テスト勉強もする必要がなくフリーな日らしい。彼女さんとデートしなくていいの? と一応聞くと、ケンカ中とボソッと答えた。

「またケンカ」
「理由は特秘だ」
 剛の彼女さんは一つ年上で同じ部活の先輩らしい。そろそろ別れの時期に差し掛かっている、などと不穏なことも呟いている。付き合ってまだ一年にもなっていないというのに。

「あずさとは? 今日そのために休みとったんだろ?」
 確かに今日はデートの予定を立てていた。テスト最終日の日時は事前に分かっていたので、僕はシフト希望の段階で今日を休み希望として店長に申請していたのだ。

「今日は、さくらさん達とお出かけすることになったんだって」
「フラれてんじゃん」
「いいんだよ、そっちの予定だって、大事だし」
「いいんだ」
「うん。だって、大切な、初めての友達なんだから」
 にっこり笑って僕は答えた。あずささんの、生まれて初めての女の子のお友達。

 彼女の生い立ちは壮絶で、友といえる人に出会い、友達になることは至難の業だ。中学校時代のクラスメイトで彼女と親しくなれた女子生徒は、はたして何人いたのだろう。

「あ、これ作ってみようかな」
 バズレシピなるリストからとても美味しそうな一品を見つけた。
「難しそうだな」
「そう?」
 ピックアップしたレシピの動画を剛は一瞥して、感想を漏らした。剛は料理は作らない。

「家にありそうな材料だし、一人分ならこれくらい丁寧に作ってあげたいなって」
 僕はあずささんの驚く顔と、それから喜ぶ顔を思い浮かべる。

「ってことで、剛、葛、ある?」
「くず?」
「葛湯とかで使わない? 熱出た時に飲むと身体にいいやつ」
「んなもん、ねーよ」
「え、ない?」
「ねーよ! 一般家庭にそんなんあるかよ!」
「えええ…」
 葛のゼリー寄せは諦めた。次の候補はトリュフ。
「だめだーッ! カロリーが高すぎる!」
「何作るんだ?」
「トリュフ」
「難易度高っ‼︎」
「それよりも、今から作って五時くらいに食べてもらいたいのに、晩ごはん前の中途半端な時間にそんなもの出しても、困っちゃうよねぇー」

 軽めで、小腹がちょっと満たされて、気負いしないで受け取れそうなもの……。
 あーでもない、こーでもない、とブツブツ念仏を唱える僕に剛が哀れみの眼差しを向けた、ように感じた。剛に食べてもらうつもりは毛頭ないのも分かってしまったみたいだ。

 あずささんが喜ぶ食べ物。
 いつも言いたかった気持ちが伝わればいいなと思って。

 三十分ほど悩んでようやく作るものが決まった。


 剛の家の台所は久しぶりだった。心のなかで剛のお母さんに勝手に台所を使うことを詫び——実際は、いつでも自由に家にあがって、好きに使っていいからねと言われている——シンプルで機能的な台所に立った。

「さて」
 手早くエプロンをつけ(剛の母のものでグレーのストライプ柄だ)作業を開始した。

「片栗粉はどこかな」
「どっかの瓶だと思ったな」
「瓶」

 粉物の瓶には大小いろんなサイズがあって、何の粉なのかすぐには判断がつかない。薄力粉と片栗粉ならいざ知らず、コーンスターチとの区別はつきにくい。仕方なく少量を手に取り、舐めて確かめる。

「麻薬だったらアウトな絵面だな」
 警察官の息子が物騒なワードを口にする。

 ◇

 私はさくらと日向ひなたと別れ、玄関に上がった。遠回りになってしまうのでいつも申し訳ないと思いつつ、さくら達の押しの強さもあって結局自宅まで送り届けてもらってしまった。遼介りょうすけの家、そして私の住む家に。

 今日は遼介とデートの予定だった。急にさくら達に誘われて遼介に相談の電話をすると、一も二もなく楽しんでいってらっしゃいと言われた。気を付けて、とも一言添えて。

 見慣れた玄関に椿つばきちゃんの靴が揃えて置かれていた。もう帰って来ているのだ。
「おかえりなさい、あずさお姉ちゃん!」
 平均よりも身長が小さい椿ちゃんが走って出迎えてくれ、私にぎゅーっと抱きついた。
「ただいま」
 嬉しい気持ちをぞんぶんに込めて、返す。
 そのまま今日あった出来事を話し始めた椿ちゃんに相槌をうちながら、私は壁のホワイトボードをチェックした。遼介は剛の家に遊びに行っているようだ。家族間でメールのやりとりもできるけれど、末の妹の椿ちゃんはまだ携帯電話を所持していないため、ざっくりとした予定や伝言は昔と同じようにこのホワイトボードでやりとりしている。

 ピピ、ピピ、とスマホが鳴った。
『あずささんへ、帰ったら、剛の家まで迎えに来てほしいです』
 遼介からのメールだった。

 ◇

 ドッタンバッタンと音を立てながら、あずさが家に入ってきた。
 息が荒い。

「どしたの?」
 ひょいと、遼介が台所から顔を出した。
「りっ……遼介、無事なのか……?」
「?」

 一体どんなメールを送ったのやら。泣きそうな表情のあずさに、遼介は笑いながら家に招き入れた。いや、俺の家だぞ。まるで家主のように馴染んでるし。

 普段お願いというお願いをしない遼介が、家に来てほしい、迎えに来いとメールを寄越したために、どうやらあずさは怪我や具合が悪くなってしまったのかと早とちりした。

「ことばって、ホント難しいねぇ」
 けらけらと遼介が笑う。立ったままのあずさの背をそっと押しながら、椅子を引き、あずさが座る絶妙なタイミングで椅子を押して座らせた。遼介の顔は、さぁこれからいたずらしますよといったような表情だ。

「テスト、おつかれさま」
 テーブルに、静かに皿をサーブした。
「……これは?」
「それと、いつもありがとう」
 皿の隣に、淹れたての珈琲も。

 俺の家と遼介の家は徒歩二分程度のほぼ向かいの家だとはいえ、完璧なタイミングで完璧な温度で料理を運ぶ奴が、さすが接客業、と俺は心の中で称賛した。

「ええと……。遼介は? 剛は、食べないのか?」
「あー、どーぞ」

 遼介がカウンターに置いていた俺用の皿をぞんざいに手渡す。差が激しい。気持ちの込め方! 渡し方! そして俺がそう考えているのを知ってるな? ……にやつくな!

「僕は味見したから。二人でどーぞ」
「いただきます」
「……いただきます」

 ぱくりと一口。……めちゃくちゃうまい。
 やわらかくて喉越しもいい。店で買うパックのやつよりうまい気がする。そんな頻繁に食べるものでもないけどな。うまい。

 興味もあって気配を消して二人を眺めてみた。
 あずさがゆっくりと味わって、珈琲も音を立てずに飲んで、それから口についた粉をちょっとハンカチで拭って。
 それから両頬がほんのり薔薇色になり、小さな声で、恥ずかしそうに(おそらく微笑みながら)礼を言った。

 てっきり、いつもの感情を控えめにした表情で礼を言う……もしくは食べたものについての感想と考察を二人で延々と話すものだと考えていた俺は、ものすごい状況を目撃してしまったと思った。実際には俺の角度からはあずさの顔は見えていない。だが——……。

 遼介が「ぐぅ」とか「うぅ」とか唸って、盆を頭に乗せてしゃがみこんだ。心なしか顔から湯気が出ている気がする。
 こりゃ爆散したな。あずさの笑顔で。

「おいしい、おいしい」
 あずさが呑気に残りを食べていた。急に座り込んでしまった遼介を不思議そうに見やる。

(あずさの笑顔、見たいがためにこの……)
 目の前のぷるぷるとした甘いデザートをフォークで突きながら、俺は親友の情けない姿を面白がって見ていた。顔は隠しているのだが、耳が真っ赤になっていた。


 今日の収穫は。親友の照れた姿と、一枚の写真。
(後であずさに送りつけとくか)
 最近よく見せるようになった、何を考えているかさっぱり分からない微笑みではなく、昔見せていた何も考えていない脳天気な顔でもなく、遼介のただの横顔。

 料理中に見た、瞬きすら惜しむほど集中して作業していた、真面目な、顔。


(つづく)


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【あとがきではないあとがき】
遼介と剛のやりとりを書きたかった回。友達という友達は剛しかいない遼介が、家族以外に見せる一面は書いていて楽しかったです。幼馴染って何だか憧れる。ずっと続いてほしい関係だと思っています。
あずさと遼介のパワーバランスが第0話と逆転していますね。

時代背景(流行りの言葉など)は考慮していません。楽しく書くことを念頭に置きました。

ちなみに遼介の珈琲の淹れ方は、先に濃い抽出液を作っておいて直前に高温の湯で割るタイプ(私がそれです)。そのため、いつあずさが来ても出来たての珈琲を提供できるんですよ。

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