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南米生活から人種差別を考える

私はアジアで生まれ、30代までアジアで育ち、母国語は日本語だ。
今まで生きてきて関わった人の95%以上はアジア人なので、
人種差別をされたり、したりすることは皆無だった。
もちろん、学校でのいじめや仲間はずれに遭遇したことはあるが、
「人種差別」ではなく、あくまで対個人に対するものだったと思う。

逆もしかりで、アジア人だとか、日本人としての誇りも
特段持ち合わせていなかったし、考えたこともなかった。

ペルーに来て最初の週末、ご飯も美味しいし、
街中も綺麗で、毎日曇りなのがネックだけど、
それなりに楽しく過ごしていた中で、お散歩中に突然

「チーナ!!!」

と向かいから歩いてきたおばあさんに真正面から罵倒された。
私の前で一度立ち止まって、今ある全エネルギーをぶつけたようで
正に絶叫したというべき声の大きさだった。

(ええええーーーー??!)

と、今の今までのほほんと生きてきた私にはいささか衝撃で、
何も言い返せずに、兎に角そのおばあさんから離れた。
直感的にそこに留まるべきではないと思った。
おばあさん、今にも手をあげそうだったから。笑
もの凄い音量でびっくりした、、、1週間分の鬱憤は晴らせたんでないの?

尚、チーナとはChinaで中国のことなのだが、
こちらの人にとってアジア人の顔はあまり区別がつかないので、
日本人も韓国人も中国人も、まとめてチーナ(男性はチーノ)が
人や民族を蔑む罵倒の言葉なのだ。

その3日後、交通整備をしていた作業員にチーナ!と言われた。
その言葉はなんというか、ボディブローのようで
言われた当日は特に気にせずにスルーしていたのだけど、
徐々に精神的に効いてきた。と同時に不思議に思った。

なぜ人は人種差別をしてしまうのだろう。
誰かに悪意をぶつけずにはいられないのだろうか。

移住してきた中国人に仕事をとられたにしても、
昔アジア人に何か嫌なことをされたとしても、
それは、私とは一切関係のないことだ。
見ず知らずの人に罵倒される筋合いはない。

一方で、私は小柄で怖いオーラも出していないため、
所謂、なめられた状態だったのだ。
北米ではヘイトクライムも発生しているため、
翌日からなるべく周りを確認しながら、気を付けて生活するようにした。
応戦は絶対にしないと決めていた、同じ土俵に立つ必要がないからだ。

こちらにきて身をもって分かったこと、
それは、残念ながら南米ではアジア人は差別対象であり、
その中で特にベネズエラが酷いということ。
ひと昔、東アジアからの駐在員はまさに歩く豚のようで、
丸腰で歩いているアジア人に会ったら、取り合えず
殺して手首から先を切れば一生安泰(手首は指紋認証に使う)という

なんとも笑えない笑い話もあるという。

また、その中でペルーは南米の中でも差別意識が少ない国である、
ということだった。実際こちらで出会った90%のペルーの方は
とても親切で気さくで真面目な方達ばかりなのだ。これは日系人と呼ばれる日本からペルーに移住した方々の功績が大きいと思う。

一方で、人間の脳は不思議なものでマイナスの感情や印象を長く覚えているという。なので、リマにきて5ヶ月経った今でも、時々そのおばあさんの憎悪を思い出すときがある。

憎悪は憎悪を呼ぶ

罵倒されたあと、とてもショックだったと同時に、
南米人よりもアジア人の方がずっと頭が良いし優れている
誇り高き民族なのだ(突然どうした)、
それに乞食のBBAに何を言われても相手にする必要はない
と、思考のダークサイドに落ちてしまった。
自分の中の暗い感情がにゅるっと出てきてしまったのだ。
お恥ずかしいです。

上記は自己防衛的な考え方だったと思う。
そして、こうやって憎悪が憎悪を呼ぶのだなと、改めて感じた。
危ない、危ない!気をつけなければ。

じゃ、どうする?
まずはペルーのことをもう一度知って好きになるしかない。
そして、南米も徐々に好きになれたらと思う。
(他の方法、若しくは体験談がある方がいたら、
 シェアしていただければ幸いです)

日本人だろうが、中国人だろうが、韓国人だろうが
南米でスペイン語を使い生活しているすべての外国人に幸あれ!
という心境までに快復した。

たまに変な人に会うこともあるけれど、素敵な出会いも沢山あるから
アジア人ということに誇りをもって前向きに過ごそうと思う。



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