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食が動かす時代

朝ドラは『食』が大きく取り扱われていることが多く感じる。
例えば、2010年には「てっぱん」。お好み焼き屋を家族で営むお話。
2013年には「ごちそうさん」。主に西洋料理をメインとしたお話。
2015年の「まれ」、洋菓子。2017年「ひよっこ」、洋食など。2018年「まんぷく」、ラーメン。2019年「なつぞら」、牛乳や乳製品など。ここでは省略させて頂くが、振り返れば他にもたくさんある。


こういった朝ドラを見ていると、現代の話というより戦時中や昭和などが舞台になっていたりと、ひと昔前の日本が舞台になっていることが多い。時代背景と共に「食」の在り方、「食」を通じて人と人を繋ぐシーンが必ずしも描かれているように感じる。
なんとなくだが、「お母ちゃんorお父ちゃんが作った朝ごはん」みたいなのが良く出てくる気がする。大体ヒロインが幼い頃の記憶になる。ひとくち食べた瞬間、顔のパーツをぎゅっと真ん中に寄せたかと思えば、ふにゃふにゃと口をほころばせ、「うんまあ~~~!!!」と唸っているシーンが浮かぶ。

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※あまりの美味さに顔を歪めてしまう図
※写真はイメージです

私だけでしょうか。あれを見ると小さいときから唸るほど「これは美味しい!」と明確にわかっていたかな…。と思う。何に対しても「おいしい」というより「好き」か「嫌い」に分けていた気がする。味というより、食指を動かされるかどうかで、食べ物をみていた気がする。

けれど朝ドラでは明確に「おいしい記憶」を持ち、その時の記憶を胸に確固たる信念を持ってその「食文化を守る」という流れがある。恵まれているとは言えない環境から立ち直るために、奮闘して、営業方法を変えたり、苦い思いをして頭を下げたりして、そして成功への道へと乗っていく…というストーリーがある。この話のすごいところが、大体の朝ドラはこの流れだが、どれをとっても思いつくアイディアや思いもよらぬアクシデントがちゃんと違う。みな時代や、場所、境遇など、そのときどきによって違うのだ。

では、今の時代はどうなんだろう。


食の歴史を振り返る。
安土桃山時代には千利休によって茶道が確立され、茶を楽しむための「懐石料理」が確立された。
江戸時代は「握りずし」が流行。関西の「箱鮨」という酢飯を箱に詰め、魚などのネタを乗せ、それを押して、切って…というスタイルを改ざんしたもの。短気でせっかちな江戸っ子によって、米を握ってネタを乗っける、というシンプルな工程の料理へと変わる。
明治時代ではインドを植民地とするイギリスを通して「カレー」の文化が入ってきた。
戦中から戦後では、米すら手に入れることが困難になり、「サツマイモ」を主食に。後に徐々に日本経済が復興し、昭和の終わり頃には「インスタント食品」が多用され、ファミレスやコンビニも登場。段々と現代の食生活へと繋がってきた。

コロナ禍の今。


sioが「やさしいレシピのおすそわけ #おうちでsio 」というレシピ本を出して家でもお店の味が楽しめるようなロジックを生み出し、asatteが”蜜”を避けるために時間帯によってランチの価格を変えたり、家でも居酒屋気分を味わってもらうために紋章が入ったジョッキを販売する居酒屋があったり、リモート飲み専門の席を設ける居酒屋が出来たり、この時代に寄り添った様々な経営術が生まれている。「飲食店は無くなるかもしれない」「〇〇閉店」などの暗いニュースの見出しが目立つ今だが、おいしいものを食べる人の顔はいつだって笑顔で、幸福そのものである。

時代によって食が動かされているのではなく、もしかしたら食が時代を動かしているのかもしれない。


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