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伊勢の銭湯でわりと本気で涙を流した話


「伊勢神宮 参拝 順番」とかで検索すれば、伊勢神宮には外宮と内宮とあって、先に外宮からお参りして内宮に行くというのが正式ですよと、ほとんどの情報で記されています。

そして「実は」的な形で書かれているのが、かなり離れた場所にある二見興玉神社の立石浜というところで御祓をするのが正式なんですよ、という情報。

「正式」って書かれると、なんか普通に参拝しててもずるしてるみたいで、劣化版参拝みたいでやだなぁ、それじゃあ現在の日本人のほとんどは劣化版参拝者じゃないか、ちぇっ てなってました。

いきたいなぁ、海で御祓(みそぎ)をしてからいきたいなぁ、と思うけれど、前に伊勢神宮に行ったときは人と人がバッテラの酢飯みたいになっててすごくいやな思いをしたので、どうしても参拝は人の少ない早朝に済ませたい。

と、なると、深夜に漆黒の闇の海に浸かることになる。寒い。暗い。怖い。それも嫌だ。

やっぱり、伊勢に突撃で訪れると、海でのみそぎは難しいのかもしれないなぁ。と諦めてゲストハウスに到着しました。

とても素敵なゲストハウスでした。チェックインしてすぐに別の宿泊客の方々に紹介をされてほんのすこしお話をしました。すこし他人じゃなくなるっていいですよね。

オーナーさんに訊くと、近くに銭湯があるということで、お嫁と二人で歩いて向かいます。とても静かな住宅街を抜けて小さな川を越えてたどり着きました。汐湯と書いてあります。まさか。

中に入ると、「朝と夕、毎日二見浦の海水を汲んできています。」と書かれています。ようするに、銭湯のなかで念願のやつができるってやつじゃないか!みそぎじゃないか!

体を洗い、浴室内の白湯で体を温める。そして露天にあるという、「汐湯」にてぶてぶ歩いてゆく。なんだか、海水浴に来ているくらいの高揚感なんだけど。え、なにこれ、銭湯でわくわくしてる。え、なにこの感じ。

露天に出ると、とても小さな岩の浴槽が配置されていて、鳥居とか蛙の置物とかが配置されています。みそぎをする場所、二見興玉神社を模してくれているようです。こ、これを、さっきのカウンターのおじいちゃんがやったのか。かわいすぎやろ。どんな顔で鳥居を組み立てたんや。どんな顔してカエルのむきを決めたんや。ホスピタリティの塊やな。

かけ湯をして、汐湯に入る。あれ、ん?なんか、海草とか、甲殻類とかの匂いがする!磯の香り!懐かしい!いまは海なし県に住んでいるから忘れていたけれど、福岡県の海沿いで生活していたので懐かしい!うわぁ、懐かしいぞ。なんか楽しいぞ?そしてなんか、からだがジンジンしてきた。お湯は適温なのに、体が熱い。白湯での温まり具合をポカポカというのならば、汐湯は「ぽわぽわ」する。ポワトリンってここからきてるの?

調べてみると、ポワトリンはフランス語で「胸」を意味するらしいです。エヴァンゲリオンで綾波レイが、「碇くんと一緒にいるとポカポカする」って言ってたので、やっぱりポワトリンはこの銭湯で生まれたと言っても過言でしょう。

ぽわぽわする汐湯を上がり、洗い場で水を浴びて、ちょっと休憩します。すると、KANの「愛は勝つ」が流れ始めます。

心配ないからね
君の想いが
誰かに届く明日はきっとある

あれ、懐かしいなぁ、と思いつつも、なぜだか心にじーんと響いている感覚があります。あれ、どうした?しばらく休憩をします。サウナーでもあるので、やはりこの休憩が好きです。大事な時間です。

2巡目汐湯に浸かると、Something ELseの「ラストチャンス」が流れて来ます。懐かしい。中一くらいの時の歌じゃないか。

僕だけが取り残されたようで
友達が幸せそうに見えた
でも最近じゃ自分をもっと
好きになろうと心に決めたんだ

あれ、なんか、目頭が熱いぞ。汐が目に入ったのかな。あれかな、ちょっと小旅行に来ててなんか、あれなんだわ。そう、開放的なんだわ。いつも銭湯行ってるし、いつもだったら音楽じゃまだわーいらねーわーって思ってるもん。たぶんそれだわ。旅先で開放的になってるんだわ。

洗い場でまたまた小休憩。水風呂にも入ります。温冷交互浴といいます。血管の拡張と収縮が繰り返されるので、血流がどばぁっっと上がります。脳に血液=酸素が大量に流れ込むので、とても気持ちよくなります。今、誤変換で気持ち浴なりますって出たんですが、もうそれです。気持ち浴です。もうそれでいいです。

伊勢の人たちはお風呂上がるときに、桶とか椅子とかちゃんと洗って出るんだなぁ、すごいなぁ、みそぎの文化が染み渡ってるのかなぁ。そういえばみんなにこにこ笑顔だし、陽気だし。すてきな町だなぁ。住みたいなぁ。

最後の〆に汐湯に入ろうとすると、聞きなれたギターのイントロが。荒井由美の「やさしさに包まれたなら」が流れ始めました。魔女の宅急便のやつですね。

魔女の宅急便が放映された年に僕は四歳。その頃には両親は離婚していて、母親はシングルマザーでデザイナーとして働いていました。汐湯のなかでその頃のことを思い出します。当時母親は26才。新卒で入ってちょろっと仕事が慣れてきたかそれくらいでしょうか。そんな年齢の時に子供二人育てるって不安でしかないなぁ。

それにしても、小さい頃は、お願いをたくさんしていました。サンタクロースだって神様のようなもんです。たくさんのことにお願いをしていました。

今日はママが早く帰ってきますように、今日はおじいちゃんとおばあちゃんが来てくれますように、おじいちゃんとおばあちゃんが長生きしますように、ミュータントタートルズのおもちゃが突然目の前に現れますように、明日の遠足ではかならず晴れますように。

たくさんの願いがあって、たくさんの神様にお願いをしていました。

あれ?泣いてるぞ?誰かが泣いてるぞ?俺か?俺なのか?汐なのか?

カーテンを開いて

クチナシの香りの

優しさに包まれたなら

きっと

目に映るすべてのことはメッセージ


汐湯に浸かりながら、仕事でのことや、中学生だったころの自分の想いや、願い事をたくさんしていた自分を思い出します。そして、守ってくれていた周りの大人達を思いました。

大人達も子供たちも不安な時、心細い時ってあります。怖い時、もう諦めたい時、人に裏切られて絶望的になる時もあります。そして、別れの時もあります。

汐湯の中で、それら全部含めて素晴らしいと思いました。涙しました。要するに、汐湯に身ぐるみ剥がされて、心も丸裸にされました。心も体も包まれました。要するに海水浴って、こういう事だったのかも知れません。

良かったら皆さんも、伊勢の銭湯で泣きませんか。場所は、教えません。

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