つまらない、僕。


僕は、本当につまらない。


思えば、幼少期から人よりも頭を使い努力もしてきて、それなりの身体能力、芸術センスにも、両親を始め、両祖父母、数少ない恩師と数多い嫌いな先生たちにも恵まれ、超王道エリート街道を歩いてきた。

部活動でも、今では全国トップレベルのスポーツチームで自分の勝負勘や器でチームの命運を左右するような役割をもらい、勉学では最難関私立大学の中でも最難関の研究会に所属し、就職も決まっている。

まさに、文武両道。私は人から褒められるには十分な人生を生きている。


だが、本当につまらない。人生がとかではなく、人間として本当につまらない。


私は就職すれば、おそらく5年経った頃に相対的上位になり、最上位が目の前に見えてくるだろう。今までの経験から、5年という期間は私にとって十分すぎるくらいの時間だ。

しかし間違いなく、それと同時に最上位までの期間が異常に長くなることを感じるはずだ。上位から最上位までの傾斜はそれまでとは比べ物にならない。


そんなことになるのは、私が人間としてつまらないからだ。器が小さいからだ。


科学や学問は、つまらない人間の為にある。アートや自然には、科学や学問では表現しきれないようなものがたくさんある。今のところなのかもしれないが。

例えば、気持ちいくらいの水色に、風もなくこの上なく心地いい気候の森林公園。芝生は黄緑色、木も大きく枝葉を広げて鳥もさえずり、カップルがベンチに座り、ファミリーがピクニックをしている。こんな情景を思い浮かべてほしい。

では質問です。心地いい気候とは気温何℃で湿度は何%で風は風速何メートルで風向きはどのようなものですか。まぁ、このくらいならばTwitterのつぶやきと気候データの掛け合わせで統計的に出せるかもしれない。

では、その公園の匂いを教えてください。はどうだろう。そこにある音を教えてください。空気の味を教えてください。こんな質問に科学的に答えられるだろうか?


言葉や絵にしてしまえば簡単に伝えることができるものが、科学的に伝えるとなると時間がかかるものもあれば、技術的に不可能なものまである。科学は厳密である代わりに、網羅性やリアルタイム性に欠くのだ。


アートや文学はちがう。人間にその場所に行かなければわからないような感覚を経験させる。自然や実体験はもっと違う。科学、アート、文学では経験しきれないものを経験させる。

だから、論理的に考え、上に上に登ってきた私はその分、アートや文学、実体験を積んでいるような人たちに魅了されることが多い。ポエトリーリーディングやビレッジバンガードで流れるような音楽や空気、商品など、反社会的だったり、弱さを身に纏っているような人やものにすごく惹かれてしまう。


すごく異次元で説明がつかないような感覚を持っている人たちはすごく魅力的だし面白い。それに比べて、僕は間違いなくつまらない。正しいことしか正しいと言えない。行動できない。正しいことはつまらないかもしれない。


僕は社会人になって、一度ひたすら上まで登ってみる。でも10年。最低でも10年したら、必ず芸術や文学、実体験を突き詰める期間を5年作る。両道でやることも必要なのか?トレードオフなのか?



そこはもう一回、考えてみよう。

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