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パワハラ死した僕が教師に転生したら 11.上司と部下という虚構

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 教師の6回目の社会の授業。
 いつも通り几帳面にスリーピースのスーツを着込んだ教師が教室に入ってくる。
 何やらたくらみがありそうな顔つきの教師が、ゆっくりと話し始める。
 
「今日の授業は、集団と階層の中にある、人間が生来的に抱えている悪意や暴力性を解き放つ二つ目の要因、上と下、上司と部下という人間関係についてです」と教師が言う。
 
「上司とは、集団と階層において自分より上の階層に位置し、自分に対して指揮命令を下し、自分を評価する権限を持つ人のことです。みなさんも社会に出ると、この上司という存在に必ず苦労します。社会には、ろくでもない上司がたくさんいるのです。偉そうで、自分の意見や経験に固執し、それを上から押し付け、議論の機会を与えず、すぐ言葉の暴力を振るう・・・・・」
「うー・・・・・それは、アトム先生のことじゃ・・・・・」と優太が丸い瞳で笑って言う。
「・・・・・だな」と頬杖をついて長身を右に傾けて座っている冬司が言う。
 
「・・・・・そう?・・・・・僕はそんなに上からでしょうか?偉そう?」
「うー、かなり」と優太が答える。
「・・・・・本当に?」
「偉そうに押し付けばっか」
「・・・・・それはきっと、教師という地位が、そうさせるのです。先生などと呼ばれ、教壇なんていう生徒への上から目線を強制する場所に立っていると、気付かないうちにそうなってしまうのです」
「いや、ナチュラルにそういう性格なだけではないかと・・・・・あるいは・・・・・」とと言い、黒縁眼鏡の奥の目を瞑り、透き通るような白い額に手をあてて、しばらく考え込む文香。
「・・・・・あるいは何でしょうか?」と訊く教師。
「・・・・・あるいは、過去のひどいいじめとか何か、そういう被虐体験のせいではないかと・・・・・」
「は?」
「・・・・・その被虐体験のトラウマで壊れそうな自分の心を守るために、あなたは、幼少期からずっと、あらゆる論理を駆使して加害者を徹底的に自らの下に位置付けて見下し、相対的に自分が上位にあると何回も何回も繰り返し確認する必要があった・・・・・」
「は?」
「そして、この思考を繰り返しているうちに、他者を常に自分の下に位置付ける傾向があなたの思考や意識の中で深く根を張り巡らし、普遍化し、誰に対しても上から接するマインドが形成されてしまった・・・・・とかではないですか?」と冷たい口調で文香が言う。
 
 わざとらしく頭を抱え、その後、両手で両目を瞑ったままうつむき、しばらくの間、固まってしまう教師。
 
「・・・・・文香ちゃん、ますますアトム先生と似てきた・・・・・」と心配そうに言う優太。
「いや、これはわざと真似してみただけ。意外と簡単かも」と答える文香。
「なんか効いてるみだいだな」と冬司が教師を見ながら言う。
 
 うつむいていた教師がゆっくりと顔を上げ、「・・・・・でも、僕は、変わりたいのです」と胸の前で右手をグーに握りしめ、訴えかけるように言う。
 文香も顔を上げ、「・・・・・でも、あなたは、変われないのです」と胸の前で左手を教師に向けてパーにし、冷酷な修道女のような表情で宣告的に言う。
「いいですか、これから言うことは、とても大事なことなのです。人間の考え方や性格は20歳くらいでほどんど確立されてしまう・・・・・だから、あなたは、変われないのです」と続ける文香。
 小柄な文香の氷のような表情を横からちらっと眺め、荒れた薄い唇だけで笑う冬司。
 
「でも、教壇という檻から出て、同じ机、同じ椅子で、同じ対等の人間として、もっと近くで、みなさんと同じ目線で授業をすれば・・・・・」
「違う種族の人間として、遠くから、とっとと授業を進めて下さい。近づいて来ないで下さい」と叱りつけるように言う文香。
 
「はぁーっ、もう少しフランクな授業にしたかっただけなのですが・・・・・それでは教壇という檻から、授業を続けます。まずは、何故、上と下という人間関係が必要か、についてです。
 大きなビジネスをするために多人数の集団を効率的に動かすには、ピラミッド型の多段階の階層組織がどうしても必要となります。社長が労働者の一人ずつに直接命令するよう組織は、労働者の数が多くなると、成り立たないのです。
 そして、第一階層である社長から第二階層である取締役へ、第二階層である取締役から第三階層である部長へという形で、指揮命令が下されます。ある階層に属する労働者は、その階層に求められる仕事をするとともに、上の階層からの命令を実現するために、下の階層に命令を下します。
 そして、このような多段階の階層組織では、異なる階層に属する人間を、非対等に扱う必要があります。上の階層の者には、下の階層の者に対し指揮、命令、管理をする権限が与えられ、下の階層の者はこれに従わなくてはならない。上の階層の者には、下の階層の者を評価する権限が与えられ、その逆はない。人間は本来、誰しも対等ですが、多人数の集団でビジネスをするには、このような非対等の、上司と部下という関係性が必要なのです。対等の関係のままでは、指揮命令に従う理由がないからです。
 そして、ある人がどの階層に属しているか、その人の地位を明確にし、下の階層に対して権威付け、下の階層の者を従わせるために、称号が付されます。取締役、部長、課長、係長といった肩書、人間をランク付けるための称号です」
 
「そして、この上と下との人間関係は、集団でビジネスを行うための虚構、すなわち作り事であるとも言えます。本来は対等であるはずの人間が、集団で効率的にビジネスを行うために、上司と部下という人間関係を演じているのです。
 しかし、社会に出て、この人間関係を繰り返しているうちに、ビジネスのため、仕事のために役割を演じているに過ぎない、という意識がなくなってしまう。本来の人間の姿を忘れてしまい、虚構が現実になってくるのです」
 
 白髪の多い髪に青白い左手の指を通し、一呼吸置いてから授業を続ける教師。
 
「そして、誰かに対する力、誰かを支配する力を持った人間は、その誰かに対して驕り、その誰かを見下します。部下に対して指揮、命令、管理をし、評価する権限を与えられた上司は、自分が部下より価値がある、優れた人間と錯覚し、部下を見下します。こういう意識を持つと、心のリミッターが外れやすくなる。部下は弄んで良い存在、部下に悪意や暴力を向けるのは当たり前のことと考えるようになります。対等な人間、例えば、隣の家の住人にはとても言えないようなことでも、部下には平気で言えるようになるのです。
 上司と部下、部長や課長だなんて、みなさんにはごっこ遊びのように思えるかもしれませんが、社会に出てしばらくすれば、ごっこ遊びがすっかり板について、それが現実に力を持ってしまうのです」
 
「・・・・・転生ごっこ、教師ごっこ、それが板について現実に・・・・・どうこじれるとこうなる?・・・・・うー、いじめられっ子の闇は深い」と丸い瞳で意地悪そうに笑う優太が言う。
「・・・・・だから僕は、前世も現世もいじめられたことはないのです・・・・・ふうんはもう止めて下さい」とため息をついて言う教師。
 
「・・・・・ほほう」と腕を組んだ颯太が冷たい瞳でつぶやく。
「ほほう」と冬司が左の親指を顎に当てて乾いた小声で言う。
「うー、ほほう」と優太が首を傾けて小声でのそのそと言う。
「ほっほーう」と愛鐘が薄桃色の頬に触れながら可愛らしい小声で言う。
「・・・・・ほおう」と文香が冷酷な修道女の微笑みで言う。
「パラノ野郎!ほほうほうほう、ほほうほう!」と鳥居がリーゼントを振り回し、大声で言う。
 
 目を細めて鳥居を見つめ、思わずクスクスと笑い出してしまう教師。
 
「アンタ・・・・・なに勝手に笑ってんすか?」と眉間にしわを寄せた鳥居がおっさんのような眼差しで言う。
「・・・・・許可が要るの?」と笑いをこらえながら答える教師。
 
「そして部下も、上司の悪意と暴力を、大抵は我慢して受け入れます。それには色々な理由があります。
 まず、自分が上の階層に昇格し、給料をより多く貰おうと思えば、自分を評価する権限を持っている上司に楯突く訳にはいかない。波風を立てず、やり過ごす必要があるからです。
 それから、上司と戦った時に自分が受けるダメージ、ひどい評価を受けるとか、会社に居づらくなるとか、精神的な疲労や傷つき、こういったダメージを恐れて、上司の悪意と暴力を我慢して受け入れることもあります。また、楯突いたが故に、更にひどい悪意や暴力を向けられるのではないか、という恐怖もその理由です。
 それで、こういった悪意と暴力に対する部下の受け入れも、上司を驕らせ、そのリミッターを外す原因になっているのです。
 そしてさらには、上の階層に昇格したいがために、上司に媚びへつらい、傍から見れば吐き気のするような忖度を喜々として繰り返す部下もいるのです。忖度というのは、他人の気持ちを推し量ることですが、ここでは、上司のご機嫌を損ねず、上司に快適に過ごして頂けるよう、その気持ちをあれこれと考えて行動し、その結果として上司に気に入られようとすることです。まあ、仕方のないことでもあるのですが、こういう部下の態度も、同じように上司を驕らせるのです」
 
 大きな瞳で生徒達の顔を見渡した後、淡々と授業を続ける教師。
 
「そして、リミッターが外れた上司は、悪意と暴力の行使、パワハラを行います。僕が受けたような極端なものの他、部下を無視し続けたり、他の社員との接点を奪い孤立させたり、不当に低く評価して昇格を妨害したり、仕事を失敗するようにわざと仕組んだり、過酷な量の仕事をさせて過労に追い込んだり、部下に全く仕事をさせず、あるいは無意味な仕事ばかりさせて自尊心を痛めつけたり、一日に何十回も電話やメールやラインをしたり、仕事と関係のない部下の容姿や家族のことを誹謗中傷する、こんなことを平然とするのです」
 
「・・・・・なんで大人の世界はこんなヤバイ人ばっか?」と眉をひそめて優太が言う。
「・・・・・でも、なんか慣れてきた・・・・・大人の社会はそんなもんだと思えてきた」と冬司が淡々と言う。
「・・・・・そう思ってもらえただけでも、授業をした意味があります・・・・・それで、今のおじさんたちの中には、自分が下の頃に上から暴力を受けたのだから、自分も上になったら下に暴力を振るうのが当たり前、その権利がある、そうでなければ馬鹿馬鹿しくてやってられない、なんて考えの人もいるのです。自分も若い頃は理不尽な暴力を我慢した、だから今の若い者も理不尽な暴力を我慢すべきである、と本気で考えているのです。自分が暴力を受けたからこそ、その痛みを知っているからこそ、人に暴力を振るわないようにしないといけないのですが・・・・・」と少し腹立たし気な口調で言う教師。
「でもそういう考えは、さすがに昭和の古い人だけのものというか・・・・・」と文香が言う。
「サッカー部の先輩も、そういう感じ、ない」と優太が言う。
「・・・・・確かに、最近の若い人達にはそういう考えが少ない気もします。世の中は、年々、優しくなっているのかもしれない・・・・・僕も三十九歳なので昭和なのですが、まあ、今の五十代の昭和のおじさんが中学生とか高校生の頃は校内暴力の時代、その全盛期に育った人達ですから、そもそも暴力を大した事だと思ってない人が多いのかもしれません・・・・・」

「校内暴力の時代?」と文香が強い瞳を少し拡げて訊く。
「ええ、地域にもよりますが、ひどいところだと、朝、学校にいったら窓ガラスが全部割られていたり・・・・・」
「・・・・・?」と丸い瞳をパチパチさせて首をかしげる優太。
「・・・・・誰が、何のために、そんなことをするのですか?」と文香が訊く。
「その学校の不良生徒とか、退学したその友達とかですね。目的は・・・・・さあ?・・・・・親がいつも仕事で疲れ切ってギスギスしていて、家庭にもそれが波及して、色々と不満だったのかもしれません。まあ、誰にも不満くらいありますけど。とにかく、学校中にあからさまな暴力があふれていて、たばこやシンナーを吸いながらバットを振り回し、校内を破壊して回っている生徒とか、盗んだバイクを暴走族仕様に改造して校庭をぐるぐる走り回ってる生徒とか、一杯いたんです。普通の生徒がそういう生徒から殴られたり、お金を取り上げられたりとか日常的ですし、教師もそういう生徒から殴られたり、竹刀を持って戦ったりしていたのです。学校は、まるで暴力が支配するディストピアだったのです」
「・・・・・それは本当のことですか?マンモスの時代みたいないつもの捏造でなくてですか?」と文香が怪訝な眼差しで訊く。
「ええ、これは捏造ではなく本当なのです」
「・・・・・俺、その時代に行ってみたい・・・・・何か、色々とすっきりする気がする」と遠い目をした冬司が言う。
「うー、アトム先生は・・・・・その時代の教師に転生してたら、生徒にいじめられてまた死んでた?」としたり顔の優太が言う。
「大丈夫ってぇ、先生はまたすぐ転生してくるって」と愛鐘が瑞々しい瞳を輝かせて楽しそうに言う。
「パラノ野郎!また転生!あらまた転生!また転生!」と左右の腕と指をまっすぐ前に突き出し、交互に上下させながら大声で言う鳥居。
 
 鳥居としばらく目を合わせ、思わず笑ってしまう教師。
 
「・・・・・そうそう、それで、その頃の不良生徒達はちょうど鳥居さんみたいな、その頭に巨大な膨れたスリッパを乗せたような髪型・・・・・リーゼントというんですか?・・・・・で、丈の長い上着にダボダボのズボンの制服だったのです・・・・・で、あなたはなんで今時そんな恰好なのですか?」
「・・・・・生徒のポリシー、上から馬鹿にするの、止めてもらっていいすか」と鳥居が腕を組み、おっさんのような真顔でボソッと言う。
 
 目を瞑り、青白い額に左手を当てて考え込む教師。 
 
「・・・・・ハッ!・・・・・もしかしてあなたは・・・・・あの校内暴力の時代から転生して来た?」と驚いたふりをして鳥居に訊く教師。
「ふははははっ、そんなバカなことができるのはあんただけです」とニヤニヤしながら教師を指さして言う鳥居。
「ふ、ふははははっ・・・・・だよね・・・・・それで、そういう、一部の不良生徒の暴力が全体に波及して、普通の生徒の間でも、毎日、殴ったり殴られたりは当たり前の時代だったのです。自衛策としてナイフとかポケットに入れてる生徒もいましたし」
「・・・・・俺、参戦してみたいかも・・・・・なんか今よりスゲェ自由じゃね、鳥居もだろ?」と冬司が鋭い瞳を輝かせ、膝をゆすって言う。
「俺はいいです。暴力は嫌いです・・・・・」と鳥居が引きつった小声で答える。
 
「・・・・・それで、今の五十代のおじさん達は、そういう学生時代をサバイバルしてきた人たちですから、暴力に鈍感な人が多いのかもしれません。当時のメディア、テレビとかマンガとかも、不良生徒の日常を面白おかしく描いたものとか、ヤクザがヒーローのものとか、そういう現実の社会の人間が暴力を振るうものばかり扱っていて、その影響を強く受けた、下手したらいまだにそれが格好いいと思っているかもしれない人達なんです。だから暴力に抵抗のない人が下の世代と比べて多い気がします。
 少年時代や青春時代の実体験とか、その頃にメディアから与えられたものは、一生、頭に残ってしまう。まっさらな頭に植え付けられて、生涯に渡り、物事を判断する時の基準になってしまいますから・・・・・」
 
「・・・・・アトムの授業も・・・・・それか?」と冬司がつぶやく。
「私達は・・・・・洗脳適期に・・・・・いる・・・・・」と文香もつぶやく。
 
「・・・・・ずいぶん脱線してしまいました、話しを戻さないと。それで、さきほどのおじさんのような考えでない人でも、上から暴力を受けると、その分、下に暴力を振るってしまうことがあります。暴力を受けたことで自分の中に生じた怒り、恨みがはけ口を求めて他人に向かうこともあるし、暴力を受けたことで味わった無力感を埋め合わせるために暴力を振るうこともある。だから、どこかの階層で暴力が起きると、この暴力が連鎖して、さらに下の階層まで波及していくこともある。そして、そういう悪意と暴力の連鎖が常に起こっている集団と階層もあるのです」
「・・・・・でも、今日の話は、株主や社長の問題でなく、労働者と労働者の間の問題ですよね。それは、労働者それぞれが意識して暴力を抑えるとかでは、解決できないのですか?」と訊く文香。
「・・・・・そういう意識は必要です。労働者の全員が、いま文香さんの言ったような意識を強く持つべきなのです。そうなれば社会は少し良くなる。ただ、それだけで集団と階層の中の悪意と暴力を抑え込むのは、現実には難しいのです。それは、労働者の悪意や暴力性を解放するそれぞれの要因は複雑に絡み合って作用しているからです。例えば、部下には謙虚に接しなければいけない、絶対に部下を責めてはいけないと常々意識している優しい人でも、上司からノルマで追い詰められて焦っていると、ついつい思い通りに動かない部下を罵倒しまう・・・・・」と答える教師。
 
「・・・・・シマウマの理性はそんなもんだ」と颯太が虚ろな眼差しで言う。
「うー・・・・・お前も、アトム先生と同じくらい上から・・・・・」と優太がもそもそと言う。
「・・・・・マンモスバカとは話していない、マンモスがバカみたいに好きという意味じゃない」
「うー・・・・・お前も、結構、マンモス、好き?」と意地悪な笑顔を颯太に向ける優太。
その優太を視界に入れず、端正な薄い唇の端を少し吊り上げたまま、無視し続ける颯太。

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