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今日も悩んだだけ。それでもいい。

 「今日も、昨日と同じようなことを悩んで、結局、何も解決にはならなかった。」「悩んだって仕方ないこととわかっているのに、今日もたくさん悩んでしまった」「進んだほうが良いことはわかるけれど、怖くて、選べず、前に進めずに、悩んだだけで終わってしまった」そんな形で、今日も悩んだだけであることに落胆したり、悩んでも意味がないと思いながらも悩む毎日にため息がでたり、進んでみた方がいいと思っても勇気が出ない自分に失望するというような毎日が続いてる場合もあるかもしれません。

 しかし、今日も悩んだだけ。それでもいいのです。

悩むのはあたりまえ

 悩むことといえば、人間関係とか、健康のこととか、老いのこととか、お金のこととか、家庭のこととか、恋愛のこととか、仕事のこととか、将来のことが例として挙げられるでしょう。このラインナップの中で、悩まないでいられる方が難しいものばかりといえないでしょうか。

 もしも、すべてに満足をしていれば、悩むことがないと思えるかもしれませんが、たとえ、すべてに満足をしていても、それらを失う恐怖とは戦わなければなりません。なぜなら、失うと、せっかく満足していたものがなくなってしまうからです。

 つまり、今に満足していようと、していないだろうと、失う恐怖も踏まえると、悩まないということは難しいのです。

 悩むのは、あたりまえであり、それは、睡眠や、食事と同じようにあたりまえのことであると思えば、少し、心が楽になるのではないでしょうか。睡眠や食事は、毎日、毎日同じことの繰り返しです。だけれど、毎日毎日、睡眠しないといけないなんて、食事しないといけないなんて、と落ち込むことはほぼないのではないでしょうか(睡眠や食事において、何らかの支障があり、悩みの種となっている場合を除く)。そうであれば、悩みについても、ごく日常的な作用だと思えば、少し、心が楽になるのではないでしょうか。

悩むことは、現代社会で生きていくために必要

 そうはいっても、睡眠や食事は、生きていくために必要であるが、悩むことは生きていくために必要ではないから、やはり、意味がなく、ただ苦しいだけのものではないか。と思うかもしれません。しかし、現代社会で生きる上で、悩むということは大切な行為です。なぜなら、いろいろな選択を迫られる現代社会において、どのように選択したほうがいいか、どのように選択すると、生きやすいのかと、いろいろ悩むことを全くなくしてしまうと、それはそれで、生活のイメージができなくなってしまうのではないでしょうか。たしかに、不自由で選択肢がないと、悩む必要性はないのかもしれませんが、今の時代のように、自由で選択肢がたくさん広がっている社会では、むしろ悩むということは、生きていくために最も必要なものといえます。暴論を言えば、寝ることも食べることも忘れて思い悩むことは、睡眠よりも食事よりも「悩む」ことが今、1番必要だから、そうしているのかもしれません。

悩むために悩んでもいい

 悩みが意義を感じたと思える場面というのは、何か新しい発見や気づきがあったり、解決策が浮かんだときなど、前進した。と思えるときではないでしょうか。しかし、実際に、悩む時に、毎度毎度、何らかの気づきがあったり、心が晴れるような結果が得られるということはほとんどありません。むしろ、かえって悩みが深まってしまったと感じたり、勇気が出ない自分に落胆したり、悩みの重さに押しつぶされそうになって終わることの方が多いかもしれません。しかし、本来、悩むというのはそういうものです。しかし、必要不可欠なものです。自由で選択肢が多い現代社会の中では、その分、自分の責任というのを重く感じてしまうといえるのではないでしょうか。悩むというのは、自己責任に押しつぶされそうになる自分が、しっかり自分として生きていく上で、心の折り合いをつけようとがんばってくれている行為と言えます。睡眠が、心と体をリセットしてくれ、食事が、心と体の栄養を与えてくれるのであれば、悩むことは、心のバランスを取ろうとしてくれることといえます。何をどうしたら良いか、正解のない生活の中で、正解らしきものを見せてくれようとしたり、人間そう簡単に動けるものではないということを教えてくれたりしているのです。

忙しくするより悩んだほうが良い場合もある

 悩みを強制的に減らすためには、忙しくすることが良いかもしれません。忙しくすれば、目の前のことをこなすので精一杯となり、悩んでいる余裕なんてないからです。しかし、忙しくして悩む時間を減らすというやり方が合う人もいれば、合わない人もいます。そもそも、たくさん睡眠が必要な人もいれば、少しで良い人もいたり、たくさん食べる人もいれば、少食な人もいるように、悩むことも、どれくらい必要か、人によって異なります。忙しくすることで、一見、悩まなくてすんだとしても、その忙しさをやめた後、強烈な反動がやってくるかもしれません。悩むべきことを悩んでいなかったと、とめどない悩みが襲いかかってくるかもしれません。そうであるならば、普段から、時間に余裕をもたせておいて、日頃から少しずつ悩んでる方が楽な場合もあります。たしかに、時間が解決してくれるような悩みも多くあり、忙しくすれば、いつの間にか解決されている場合もあるかもしれませんが、そうではない場合もあるのです。そして、忙しくすれば、その分、仕事やプライベートは充実し、生産性も上がり、良いことづくめに見えるかもしれません。しかし、悩みが必要なタイプであれば、それがなくなった途端に大きな反動がやってきたり、あるいは、忙しくしているさなかでも何らかの違和感を感じ続けるかもしれません。

 忙しくするのではなく、悩むことは、一見、生産性も低く、無駄なことばかりのように見えがちですが、現代社会の中で、自分が自分らしく生きるために、心のバランスを取る必要不可欠な行為であり、実は、とてもとても大切の行為であるのです。

 なお、毎日つらいことに耐えてがんばり続けて、余裕を自分に持たせないということは、どういうことかというと、自分の悩む時間を減らして、自分の悩みを増すようなことに時間を割き続けているという悪循環が続いている状態です。がんばらないで、悩んでばかりというイメージの方が悪そうですが、実は、頑張りすぎて、悩まないということの方が、悪循環に陥っている可能性があるのです。そこを踏まえると、今日も悩んだだけ。という事実は、実は、「それでもいい」というよりは、「それは素晴らしい」といえるといえます。

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