映画 『8年越しの花嫁』
毎年のことながら、
年末年始はいつも仕事だ。
この時くらいは親孝行をしたいと思っている
自分がいるから、
尚更家族に申し訳ないと思いながら、
戦場という名の職場に向かっていた。
24時間365日、
頭の片隅には常に仕事があり、
いつもそれを考えているのかもしれない。
命懸けだ、、、本当に命懸け。
ここからは回顧の話。
2018年の年明け早々
映画『8年越しの花嫁 奇跡の実話』を
観ていた。
街は正月休み。
夜遅い映画館に人は少なく、レイトショーの席はガラ空きで、貸切状態で静かに観れたのは初めてのことだった。
昔から映画好き、祖母や父、兄の影響で
ホームシアターがあるような環境で育った。
実家は軽いTSUTAYA状態。
A型気質の兄の管理により、
DVDやBlu-rayたちが行儀良く並んでいる。
そんな環境で育ったから、
映画館に行くのはトイレに行くようなもので
日常的なことだった。
映画館で映画を観て、久しぶりに泣いた。
観ながらずーっと泣いていたかもしれない。
と言うのも、職場で同じような境遇を見ていたからだと思う。
それはその映画とは少し異なり、
結婚している夫婦の話。
その夫婦も、
深い愛で結ばれていたように思う。
女性のいくつかの臓器を摘出しなければ、
救命できなかった。
その事実を伝えると、
夫は「それでも生きていてほしい」と
細く、震えた声で言った。
本人に意識はない状態であったから、
家族の意思決定を確認する必要があった。
自分も懸命に支えた。
治したいという気持ちが強かった。
その後意識が戻らない長い年月を経て、
女性は目を覚ました。
目が覚めた時には、彼女は自分にいくつかの臓器がないことを知った。
もう二度と、
子供を産むことができないことも。
自分だったら、
結婚していてもしていなくても、
本気で好きな相手なら、
目が覚めるまで何年も待つ。
そしてその愛は、
変わることのないものだと思う。
本当の愛って、
そういうことだと思うから。
「僕はずっと好きでした」
このセリフこのシーン、響いたな。
どの映画にも必ず、
心に残るセリフ、その時のシーンが、
鮮明に心に映し出される。
自分の中で、生>愛ではない。
生きることと愛。
それは同一線上にあり、イコールだ。
使命感だけではこの仕事はできないし、
自分だけを大切だと思っていたら
まず務まらない。
そこには、少なからず人として根底に流れる 「愛」、言わば気持ちがなければ、
助けることはできないからだ。
自分たち医療従事者は、
どんな病気になっても、
それでも生きて、生き続けてほしいと願う。
それは、あなたを大切だと思うから。
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