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昭和の名車が走る!長野電鉄長野線② 調査捕鯨編

こんにちは。隣の芝生です。

前回の長野電鉄長野線 旅行記の続編です。当記事の撮影は随分前のため、現在と状況が大きく異なります。鉄道ファン以外も理解できる記事作りを目指しておりますので、まぁ程々にお読みください。わかったところで得することなんて無いけどね。

筆者の腕の問題で大コケした前回記事です▼

長電の途中駅としては最大規模の須坂駅に移動。車庫が併設されています。

さて、信濃吉田からさらに奥に移動して、須坂までやってきました。ここ須坂は長野電鉄の途中駅としては最大規模で、2本のホームに4本の線路が引かれ、車庫や引込線まで併設されています。

今回の旅行のお目当ては、こちらの3500系。沿線民やファンから付けられた愛称は「マッコウクジラ」。確かにおでこが広い。故に今回のタイトルは「調査捕鯨編」です。調査捕鯨って多分ミンククジラあたりが対象なんでしょうけど、そこはあんま気にせんといて。

隣にもいるんだなこれが。左が3500系、右が3600系です。

ではなく、その隣に停まっている3600系です。種車はどちらも営団地下鉄(現・東京メトロ)の日比谷線3000系で、2両編成が3500系、3両編成が3600系です。今回は最後の3600系のさよなら運転ということで、長野にまでやってきた訳です。L2編成って言うらしい。

 何なら須坂駅が2面4線のホームというのも厳密に言うと間違いで、この3600系が停まっているところにもホームがあります。10年ちょっと前までは、この駅から「長野電鉄屋代線」という路線が伸びていたようですが、廃止になった関係でホームが余り、現在はイベント列車だけがここを使っているようです。

須坂駅の最も奥の留置線には日比谷線時代の原型をほぼ保った3500系が残存

ちょっと駅を降りて歩いてみましょう。須坂駅の最も奥の留置線には、3500系O2編成が引退した時のまま停まっていました。おそらく資材用倉庫として活用しているものと思われます。

 長野電鉄に来た営団3000系(→長電3500/3600系)は、基本的に長電カラーの赤帯が巻かれましたが、唯一この編成だけが最後まで日比谷線時代のシルバー無塗装を引退まで貫き通したため、結構人気があったらしい。確かにシンプルなのが一番格好良い。

とっくの昔にいなくなってるものとばかり思っていたので、思わぬ誤算です。お父さん/マダム世代の読者の方は懐かしいのではないでしょうか。幕を「人形町」とかにしちゃえばいまにも走りそう。

須坂での撮影はこれくらいにして、終点・湯田中を目指します。

須坂から湯田中への移動は特急ゆけむり(写真は湯田中到着後)

湯田中までの移動でやってきたのは、特急車両の1000系。元・小田急ロマンスカーのHiSEとここで再会。品の良いデザインは相変わらずですが、地味~に赤色が少し長電カラー化で明るくなったらしいね。言われなければ気付かない。

3600系の引退列車は、このロマンスカーの後を付けて湯田中に来るようです。湯田中駅は線路が1本しかないので、必然的にこのロマンスカーが先に湯田中に着いて、先に長野に戻ります。乗っている間になんとなくの感覚で安全な撮影地を探し、そこでL2編成を待ち構えようと思います。

車内も当時のまま。なんと展望席に座って終点まで乗っても100円!
おお~!箱根って言っても違和感ない

須坂以遠の途中駅は信州中野・小布施に停車。かなり飛ばします。小布施に停車する直前で、乗客の高齢女性が「小布施より先に行く各駅はいつ来ますか」と質問していました。それに対して車掌さんは、「あと1時間以上は空きますね」と答えてました。長野電鉄は相当踏ん張っている方だとは思いますが、これが地方交通の厳しさです。

 長野電鉄は特急料金を100円しか取っていないので、各駅停車の補完として特急を日常的に使うことを想定しているダイヤなんだと思います。しかし、長野オリンピックの時のような15分間隔ダイヤが崩れ、いまや各駅の本数が須坂までで25分~45分間隔、信州中野以遠はだいたい1時間半置きくらいになってしまったことを考えると、特急と各駅の接続が益々重要なのではないかと考えました。率直に言えば、小布施と湯田中の間の最も本数が減る区間は、各停の折返し運用を削った上で、その代わりに特急が各駅に停まってあげてもいいんじゃないかとちょっと思いましたね。どの道100円なんだから、速達性が多少落ちたところで、誰も異論は挟まない気がする。

いけね、真面目な話はするもんじゃない。続き行きます。

避雷針らしきものがメチャメチャ伸びてる湯田中駅。昔ながらの温泉駅の雰囲気。

規模感こそ全て違いますが、どことなく東武日光駅や箱根湯本駅のような上品さを感じる湯田中駅。温泉街・スキーレジャーの玄関口です。

昔は複数本電車を捌ける駅だったそうですが、標高差のある狭いスペースに無理矢理線路を作った関係で、折返しにスイッチバックが必要だったりと、かなり面倒くさかったらしいです。現在では3両編成が綺麗に折り返せるように整備されましたが、代償として線路は1本になっています。

駅前にはバスが控えています

関東だと都心から1時間も離れれば、車種が7Eとかキュービックとか明らかに古くなったりしますが、長野だと湯田中でもエルガ(レインボー?)や新型レインボーがいました。エルガとレインボーの見分けができない。

さて、湯田中探索はこれくらいにして、乗ってきたHiSEで長野方面に戻りましょう。

なんちゅう並びだ…

首都圏時代にはとても考えられなかった小田急ロマンスカーとメトロ日比谷線の並びがここにある。

ここ信州中野より南に行くと各駅停車の本数が増えるのです。ここからL2編成のダイヤを予想しながら、陽の角度や安全面を考えて位置取りする必要があります。さぁ、何も知らない沿線のどこでカメラを構えよう。

これはフツーの3500系。一般運用でやってきました。現在は全廃済み。

これに乗って撮影地を選定していきます。たまたま来たのは、この当時はまだ複数本残っていた3500系。現在は引退してるみたい。

ドア窓たっっっっっっっっっか!

最近の電車では考えられないくらいドア窓が高いです。圧迫感あります。日比谷線や伊勢崎線の通勤戦士は、毎日これに押し込められていたと考えると結構キツい。

 車両の方は車歴60年オーバーを感じさせないスムーズな走り。思っていたよりも加速が良くて驚きました。

途中駅では2000系が保存されていました

途中長時間停車した小布施駅?では、長野電鉄が自社発注した特急型車両の2000系が保存されていました。これ保存場所に屋根が付いている上に、機械的に結構面白い車両らしいので、いかに長電が力を入れたかがよくわかりますね。

そんなこんなで撮影場所は北須坂に決定。昼頃に上ってくると陽が完全に当たるのがここしかなかったというのが選定理由です。3両編成だと分かるように撮らないといけないのが厳しいかなと思いましたが…

まぁまぁかろうじて分かる

とりあえず撮影は完了。しかしながら、どうにも架線柱が入っているなど若干完成度が気になるご様子。

次回は善光寺参り(ちゃんとした旅行記です)をした後に、午後便での撮影でリベンジを試みます。乞うご期待!

◆あとがき

今回はこれにて以上となります。お読みいただきましてありがとうございました。いいね・コメント・フォロー・Twitterでのご感想もお待ちしております。

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