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【未来小説】 自動運転の罠 (前編)

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶


 国土交通省のデータによりますと、昨年の自動運転率は八十四パーセントとのことです。趣味やこだわりでハンドルを握る以外は、機械が運転する時代になりました。すべての新車に自動運転システムの搭載が義務付けられて早五年です。使用も義務付けるべきだとマスメディアが声高に叫びますから、自らの運転で事故を起した者への社会的制裁は強まるばかりです。一方で、自動運転システムも完璧ではありません。稀に小さな誤作動を起こすことは広く知られています。歩行者の過失として処理された事故の中にも、誤作動があったのではないかと指摘する声もあります。

 暴走などの重大事故は本当にないのでしょうか。私は疑念を抱いています。年寄り臭い考えなどと笑う人は、機械を過信していると思います。同じレールの上しか走らないジェットコースターですら事故が起こるのです。幼い頃に見たハンドルが遠隔操作される恐怖映画は、起こり得ることだと今でも思います。映画自体はホラーの類でしたけれど。

 確率から見れば、自動運転の方が安全に違いありません。自動運転率が上がるほど、事故率は下がるデータの通りでしょう。数字とは暴力的なまでの事実です。私のような者を屈服させようとします。けれど、電車に比べれば、まだまだ事故率の高い乗り物です。機械任せで良いのでしょうか。私は不確かなシステムと一蓮托生はまっぴらごめんです。自分の運転なら避けられたなどと、何かあった際に後悔したくありません。ですから、義務付けられるまでは自分でハンドルを握ろうと思います。

 女性に機械嫌いが多いのは昔からだと耳にしますが、昨今は自分たちの仕事の多くを機械に取って代わられているのですから、尚もってのことです。女性と外国人は社会から排除されようとしています。すべからく女性は結婚して家に入るべきだなんて、ちゃんちゃらおかしいです。なにが奥ゆかしさですか。働き手が不要になれば良妻賢母、不足すれば男女平等と、耳触りの良い言葉を流行らせて、女性を都合良く使っているのです。これは明確な陰謀です。いつの時代も女性は受け身でしかありません。私は憤りを覚えます。結婚せずに働き続ける女性がいても良いではありませんか。この時代に男性と同じように働いて、今のポジションを勝ち取るまでには、語りつくせない努力があったのです。働いている女性は皆そうです。学生の頃から、正直男性よりも優秀で、我慢強く、努力してきた人たちなのです。祖母の話によれば、男女平等の時代も女性は大変だったそうです。なにせ子供を生むのは女性ですから。その時点で平等でもないのに平等に働くことを強いられた上、家事は女性が主になって行うべきという謎の圧力まであったそうです。お洒落もしなければなりません。身だしなみを整えるのも大変なのです。

 私には長くお付き合いしている恋人がいます。めっきり少なくなったオフィスワークの、同じ職場に勤めていまして、出社時間は同じです。同棲はしていませんが、彼の方が四十分遅く起きると知っています。私がモーニングコールを掛けてあげるからです。彼がその時間に起きて間に合うのは、家が職場に近いからではありません。ざっくり言えば、男性だからです。髭をそったり髪をとかしたりする時間は、女性と比べて遥かに短いことは言うまでもありません。にもかかわらず、「なんでそんなに時間がかかるんだい?」と彼に訊かれた時は、引っ叩いてやりたくなりました。

 彼は結婚する気がないようです。はっきりそう聞いたわけではありませんが、結婚を望むのなら、彼とは別れるべきだと思っています。少し失礼な奴だなって、彼のことを思ったりもします。私がばりばり働いていますから、結婚しなくてもいいって思われている気もします。彼は私に甘えているのです。同じ歳ですけれど。いつの間にかそういう関係性。デートの際に車を運転するのも私です。結婚も私から持ちかけた方が良いのでしょうか。・・・いいえ、もしも彼がそれを待ち望んでいるとしたら、普段絶対使わない言葉で一喝してやりましょう。男のくせに!

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 僕は毎朝、亜咲の電話で目覚める。実は目覚めた振りをすることも多い。せっかく電話を掛けてくれるので、もう起きているとは言いづらい。必ず今日は寒いからマフラーを付けた方が良いだとか、夜は雨になるから傘を持った方が良いだとか、母親が言うようなことに加えて、妙な占いのラッキーカラーまで教えてくれる。朝から元気いっぱいの、まあ要するにお節介だ。きっかけは去年の春、二回寝坊したからである。同じ職場だと、こういったことまで露見してしまう。つくづく彼女というのは、職場で見つけるべきではない。うっかり惚れてしまった僕の失態である。上司に叱責されるみっともない姿まで後ろから見られている。だが、季節が変われば寝坊しない。亜咲は春眠暁を覚えずという古い言葉を知らないのだろう。考え方はえらく古臭いのだが。機械は信用できないと言って、驚くべきことに自ら車を運転するのである。その危険性を説明しても、男性には分からないなどと言い始める。正直、意味が分からない。どうやら生理的に受け付けないようで、機械に乗っ取られるという怯えもあるようだ。

 近い将来、機械が人類の脅威になり得ると考えている人は、大抵機械類に疎い女性なのだ。ある一面だけを見れば、機械は現時点で、いや百年も前から、我々よりも遥かに優秀である。日進月歩で処理速度も上がってゆく。だが、それは人類の脳に近づいていることを意味しない。あくまでも道具の域を出ないのだ。

 便利な機械はどんどん活用すべきである。あら探しするようにリスクを並び立てて、いたずらに恐れていたら何も進歩しやしない。自動運転システムについて言えば、自ら運転するよりも事故のリスクが低いことは明らかである。手荷物を検査する分、実は安全性の高い飛行機と同じである。飛んでいるから危険な気がする、勝手にハンドルが動いているから危険な気がする、という印象でしかない。そう、印象なのだ。排気ガスを出さない電車はエコな乗り物なのか。見落としがちなのは、線路を引いたり直したりするインフラ整備のエネルギーである。

 亜咲が見落としているのは、誰が悪いか判然としない複数台絡んだ事故に巻き込まれたケースなどだ。自ら運転していると極めて印象が悪い。今や自動運転システムは、それほど社会的な信用を獲得している。事故の責任を追求された際には、システムの管理会社と一個人が争うことになる。勝てるはずもない。このリスクは絶対に避けなければならない。一応、亜咲は危なげない運転をするのだが。

 二月の或る日、懸念していたことが現実化する。社用車を運転する亜咲が物損事故を起したのだ。取引先に向かう道中で、助手席にもう一人乗っていた。幸い損害は小さく、街路樹への衝突というより接触である。車道に飛び出してきた猫を咄嗟に避けたようだ。日頃の行いが良いからか、亜咲は然程責められなかった。それでも深く反省して落ち込んでいた。まだ自分で運転していたのかね?と、呆れた顔つきの社長から、社用車は今後必ず自動運転にせよと指示を受けていた。僕はその後ろ姿を見守りながら、そら見ろ言わんこっちゃないと思った。

 あくる日、亜咲は自動運転システムの使い方を聞いてきた。どうやら自分の車も、小回りが利くサイズの青いそれを、自動運転に変えるようだ。彼女は一見頑固だが、実は素直に過ちを認める。一度転ばないと分からないのだが、分かると意地を張ったりはしない。まあ可愛い奴だ。少しからかって、わざと子供に教えるような口調で説明すると、彼女はむすっとしていた。そして頭を撫でると、泣き出しそうな顔をした。実に珍しい。想像以上に傷ついていたが、やはり機械音痴ですぐに使いこなせない為、タッチパネル上のボタン一つを選ぶだけで会社と家、あと数カ所へ行けるように設定してあげた。彼女はこの時代に機械音痴でも働ける稀有な存在。逆に物凄い才能である。もちろん努力もしている。とても僕には真似できないと、あまり口には出さないが、心から尊敬している。

(つづく)


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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。





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