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結局人生は無い物ねだり。私は少し前の私の夢を叶え続けてあげる

社会人2年目にして2社目に転職してからもうすぐ半年。まだ残業を1分もしたことがありません。残業代が出ないって意味じゃなくて、明るいうちに外に出れます。前職は5ヶ月で残業してない日は通算3日ぐらいだったことが驚きすぎて私自身社会人とはなんなのかを自分に問いかける毎日です。

とはいえ定時退社ができるということは私にとって最大の幸せなので、思う存分自分の好きなことに使います。もちろんライター活動であったり会いたい人にあったり。今の時期そんなにすぐに会えるわけでもないけどね。そんな充実したアフター6を過ごせると思っていた私。だがしかし、今の時間になっても英語のテキストは1ページも進んでいません。duoringoさえ開ません。読みたい本もたくさんあるのに進めません。家にいるということは結局そういうことなのです。じゃあこの時間少しでも残業して金を稼いでたほうが幸せだったのか?と聞かれるとまったくそんなことはない。

人生ほどほどが一番よくて結局はないものをねだって生きていく日々で、それが手に入ってしまうと、なんだこんなものか、という感覚が拭えなくて一生そんな感じなんだろうな。少し前の自分から見ると、今の自分は自分の限りなく理想に近くて、そういう意味では夢が叶っている。だけど今の私は今の私でいろいろと他にやりたいことが出てきているのにもかかわらず、うまく動けていない。

だけどそう思えるだけで少し前の自分の夢を叶えてあげられていて、少し前の自分とは変わっている。前職でいたときはそんなことを考えられる余裕さえもなかったので、これは本当に幸せで急成長だと言える。だけど客観的に見ると自分が自分の行ってきたことが悲しく虚しくなる。そんなことを考えても仕方ないけど、私が私を語るほどに虚しくなる。全て丸めてポイして過去なんて捨ててやり直していけたらどれぐらい幸せなんだろう。だけど今の私を好きになった人は、今までの私の自我を形成してきたものを含めて愛してくれていると思うから、それはそれで悪くないのかしら。

私の場合は、親との関係に頭を使って考えてきたことが多いから、当然思考も意見もそちら側に偏る。それは仕方なのないことで、当然時間を割いてきた。しかし今の環境に自分がいなかったら、自分は自分ではないと思うので、全く違う人間関係・職場環境・友人関係・思考になっていたのかもというのは言うまでもない。

モチベーションは向こうからやってこないのはわかってはいるけどこちらから迎えにいくのも一苦労。

だけど少し前の自分の夢は叶えてあげられるよ。少しあとの自分の夢を叶えてあげるために今から少しでも英語の勉強をしようか。

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