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【祝】過去、やっと現在を救う。

 こんなの初めて!!
 どうも、コーシです。

 その三日間、私は信じられないくらいネガティブだった。結構危ないんじゃないの、ってレベルで人生を見失っていた。

 厄介なのが原因があるわけでは無い、ということ。心の中で常に一人で会話をしている私は、ふとした気づきや思い出したことに心をえぐられることがある。ゆえに明確なきっかけはわからない。
 気がついたら頭の中のトークテーマが”人生”になっていた。何が楽しいのか、いつ満足するのか、いつ大人らしくなるのか、何が目的なのか。

 そして人生最大の自己嫌悪に陥る。己に蛙化現象をかます。元々の下がり幅もそんなに無いが、とても陥る。
 もう19にもなって、1ヶ月後にハタチを迎えるというのに、というかまだハタチなのに、なんか悶々としている。細々とチャレンジはしているし、今もチャレンジに向けてコツコツしているのだが、もうちょいパーっとしててもいいじゃないか。

 でも大雑把にパーっとしても、コツコツの方が楽しい。でもコツコツやっている最中って楽しいというより、孤独とか疎外感とか感じてコツコツが好きな自分が嫌になる。
 でもたまにある、コツコツの先で待ち構える中くらいよりちょっと大きいくらいの喜び。これがたまらない。だからまた一人でコツコツやる。

それって神様的にどう見えているの?
徳とか積めているのかな

 ”話の飛躍”はネガティブの要素だ。

 こうなると自分の全てが嫌になる。謎に顔が浮腫んでるし、結局いつものジャンパーで散歩に出るし、愛犬ポンタのうんちを取るのに若干腰を痛めそうになるし。
 最近話題の蛙化現象ってこういうことなのかな。全然気持ちがわからなかったけれど、まさか自分を相手に蛙化現象を体験するとは思わなかった。

 これだけ自分に嫌気がさしていても、こんな気分で外に出ると自分以外にもイライライラしてくる。八つ当たりも甚だしい。

 横に4列で並んで犬を連れて闊歩する婦人たち、追い抜く時に謎にスレスレを通り過ぎる背が低めのスーツ男、なんでそんなカバンの持ち方するの?っていうカバンの持ち方してる男子中学生集団。

 すごいイライラする。しかし、そんなイライラしている自分が”この自分”なのだ。もっと嫌だ。「そのカバンの持ち方俺もしてたわー」ってなるところまセットで嫌い。

 こういうとき、誰かにふと相談したいとか思ってしまう。今までもこう言った類の相談を私も山ほど聞いてきたし、たまには相談したい。ただ、実際相談できるような打ち解けた人に相談して、このズーンとした雰囲気をその人に共有したくない。そんな貴重な存在にはずっと笑顔でいてほしい。
 かといって自分に相談してくれたことがある人には、なんとなくこちらから相談はしづらい。「結局、お前もそーゆーところあるんだね」って思われそうですごい嫌だ。

 ていうかこんなこと考えているのもめんどくさい。性格悪い。答えは簡単。私がもう一人いれば良い。山ほど話を聴いてもらいたい。しかし、こんな私が求めているのがこんな私なのだ。類は友を呼ぶの最終形態。こんな俺を求める俺も、こんな俺に求められる俺も、嫌になってくる。

 そんなこんなで今日も午前2時。こういう気分の日には読書にも身が入らない。

 仕方なしに自分の過去のエッセイを久々に眺めることにしてみた。

 相変わらずベースは、自分に満足できずにいて、社会にも悶々とした感情を持っている。
 でもなんだかんだ、ちょっとずつ、”良さ”を見つけている。捨てたもんじゃないな、っていう一面を見出して、強く生きているなぁ、こいつ。その様子は粘っこくて、結局潔い。

自分が生活するとても恵まれた環境に対して、自分の内面の惨めさみたいなものを目の当たりにすることが多い。これはどうしれも自分自身の問題でしかない。でもそれをプロセスにできたら、結果がどうであれとても興味深い。

 たった一年半くらいではあるけれど、”続けた徳”みたいなものが帰ってきた気がした。

 フクダコーシ しそとツナ缶。
 Instagram @f.kohhhhhshi_(アート投稿中!)
 Twitter @FKohhhhhshi


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