夜を明かす方法。#本とエッセイ『ここはすべての夜明けまえ』
There is not ネタバレ. Yeah.
どうも、コーシです。
あの時こうしていれば、”今”はどう良かっただろうか。
でも、そうしていなかったらこの今に出会うことは出来ない。
今は楽しいし幸せ。だからもちろん惜しい。
ただそれは友人や家族など、環境によって得れるものであって。
”今の自分”、ただそれのみを良いと思えるかどうかは自身が持てない。
とまぁ、「今」という文字のゲシュタルト崩壊を起こしてもらったところで早速本題に入る。
その今に至るまで、私は”人”を何回傷つけてきたのだろう。
近くにいる人、遠くにいる人、一度だけすれ違った人、何回も会っている人、毎日思っている人、自分。
発言や行動、それは選択。
その選択には理由があって、もちろんわざわざ人の気分を害するようなことはしない。
常に誰も傷つかない選択をすることは無理がある。
というかそんな選択肢はそうそうない。
ただただ、自分の良心の範疇で選択を重ねてきた。
それでも、その時に気がつけなかった過ちやどうにもできなかったことは頭から離れず、全身をちくりと刺し、その記憶は青く澄んだ空にも浮かんで次の一歩を遅らせる。
そんな循環の中で自分を虐げることも多い。
傷つけているという感覚さえないが。
それは自制だったり共感だったり忘却だったり記憶であったり。
だから尚更そんな自分を許せることができない。
じゃあいったいどうすれば自分を良いと思えるのか。
『ここはすべての夜明けまえ』は、そんな漠然とした問いを物語という形で具現化し、読み終わった頃にはとりあえず、迷いなく次の一歩をを踏み出させてくれた。
あの時どうすれば良かったのか、という問いに対しては「考えていても仕方がない」というのが現代の”主流”な気がするが、私はそんなことはないと思う。
論理的に考えて間違いなくベストだった、誰も傷つかなかった、幸せになれた選択はある。
しかし、きっとそれを悔やむことも、自分を責めることも、そして絶対に忘れることもしないということが自分を良いと思える第一歩な気がしている。
自分を自分から救えるのは自分しかいないのだ。
感想
テスト期間で8時間くらい勉強して、明日が休みなのでちょっと本を読もうと午前0時から読み始めたら、2時間半くらいかけて一気読みをしてしまいました。
出てくる登場人物を通じて、この世の全ての感情が、SF世界のこの一冊にまとまっているような感覚もありました。
本筋とはそこまで深く関係ないんだけど、『がっかりはいつもあざやかです』という一文がとても心に残っています。
それからの余韻も半端じゃなくて、ずっと色々考えてたら午前4時半。
ちょっと明るくなってきそうな雰囲気。
ここもいちおう夜明けまえ、なんつって。
と自分のくだらない一言で一気に自分の世界観に引き戻されて眠りにつきました。
短いけど、作品の魅力は語れる量で表現できるものじゃないので、今日はこれにて。
フクダコーシ しそとツナ缶。
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