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友達が 1人もいない 逆転劇

 私には友達が1人もいない。そんな返り血色の休日しか待ち受けていない私ではあるが生意気にも度々先週の特にスキを集めた記事として選んでいただけているのだが今週は少しばかり悔しかった。

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 もちろん選んでいただけたのは私にはもったいないぐらい名誉だし通知が来たときは嬉しくて目尻が肩ぐらいまで下がったことには違いないのだが私が先週本当に選んで欲しかったのは別の記事だったからだ。それがこの記事だ。

 記事の中身を完結にまとめると私がかつて妹からのlineで「大人として恥ずかしい」という致死量を超える文面を突き付けられた兄としての威信が地を突き進みマントルまで堕ちた出来事を妹へ手紙を送るというスタンスで書き連ねた不甲斐なさが溢れて止まらなくなる記事だ。私が実をいうと選んで欲しかったのはこっちの記事だった。その理由は私がnoteを書く根源にまつわる話なのだけれど敵が強いからだ。

 私のこれまでに歩んだ道のりを思い返せば下校中に拾った武器っぽい木の枝に「村雨」と名付けて持ち帰っていた幼少期から現在にいたるまでおびただしいほどのマイナスと微々たるプラスによってつくられた邪気の滞留を止められない人生だった。

 私がnoteに書き連ねるのはそんなマイナスな出来事の氷山の一角に過ぎずいずれ修学旅行編と誕生日編というまるで血も凍るような記事を書こうと思うのだが基本的に私の記事はかつて私を苦しめた記憶たちを素材とした廃棄物固形燃料のような地球に優しいnoteとなっている。

 まず私という人間は友達がいないことと、おしゃれなボーダーシャツを着るだけで一瞬で囚人服へと変えてしまう罪人顔ポテンシャルを持ち合わせているためその人間性を心配されるのだが、私は閑古鳥が鳥獣保護法に守られているのかというぐらい客が入っていない近所の今後もおそらく行くこともないであろう店の経営を心配するぐらいの優しさは持ち合わせている。そのためしっかりと記事の元となった出来事でそれなりにダメージは負ってきている。

 そして私がnoteのなにに一番喜びを感じるかというとスキがたくさんついたときでもコメントを貰ったときでもなく記事を書き終わったときだ。このときの感情は上手く言葉にはできないが私をかつて苦しめてきた敵を記事という形に落とし込んで成敗したような感覚だと思う。つまり先ほどの私が選んで欲しかった記事を半沢直樹に例えると記事の中の私が堺雅人で記事の中の妹が土下座をするときの香川照之にあたる(妹が読んでないことを祈るしかない)。そしてこの敵というのは強大であれば強大なほど倒したときの達成感がありこのときばかりは私はワンピースのルフィになったつもりだ。

 だからこれからもほぼ確実に私の身に様々な精神的な強敵が現れるたびにそれもしっかり記事にして倒してやろうと思ってはいるのだけれどそうなると私がnoteを続けていくためには強敵という名の不運を待たなければならないということになる。それを考えると胃をハーブティでタプタプにしなければならないほどの不安と焦りに駆られるのだがさっきワンピースの話になったときに思い出したかっこいい名言があったのでそのときは敵という不運に向かってこの言葉を思い出すとしよう。

「礼を言う。俺はまだまだ強くなれる」by ロロノア・ゾロ

 

 

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