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絶対絶命のピンチに至ったら

人生でそんなに出くわすものではないですが、なんどかそんな目に合うと知恵がつきます。

経験として人に伝えることが出来るから良かったもののそのまま死んでいたら伝えることが出来ずにいたはずです。

あきらめずに踏ん張る。

踏ん張る前に、危険を感じたらいったん退く。そのまま頑張るともっと危険な状態になります。どの段階で危険だと感じるのかで個性が出るのです。

危険だと感じてなにも、しなければ幸せも掴めません。本当の幸せは、危険と隣り合わせのところにあるのですから。

この危機を乗り越えることが出来たならば、きっと今まで味わったことのない達成感や認証される喜びを味わうことが出来るでしょう。

乗り越えなくても回避できれば、次のチャンスがあるかもしれません。

危険を感じる。

予知ではないですが、3手先が読めれば選択肢によってどのような結果になるかわかるのです。それでも突発的な事柄。選択肢がない場合など危険を感じないまま絶体絶命のピンチに至る場合があります。

神頼み。

最後の手段は神仏に頼るのです。神様仏様を信じなさいと言う信者さんや神職についている人。教祖さまを頼るのではないのです。助けてくださいという心の叫びを最大限に出すのです。神仏という言葉を使いましたが何と呼べばよいのかわかりませんが、今までの自分の行為に自信をもってこれ以上の行動はできません。どうすればよいですか?教えてくださいとお願いするのです。絶体絶命のピンチに至っているのですから時間はありません。すぐに助けてくださいとお願いしましょう。

運命

絶体絶命のピンチに至るのは運命です。運命は定まったものなので避けることはできません。ただ誰もその運命の先(未来)を知ることはできません。宇宙が始まってから終わるまでのすべての時間が絶対的なものであれば先の現象も過去の現象も変わることがないのです。でも一秒先の事でさえわからないのですから定まった運命に嘆くことはありません。

笑う

泣いてすごしても、笑ってすごしても、怒ってすごしても、よいのですが。人間ですからその時の感情で行動してしまいます。それならば絶体絶命のピンチを迎えたときに、怒っていたり泣いていたりするとそのピンチから逃れることが出来るでしょうか?危険を予知できるでしょうか?常に冷静に判断できれば良いですがそんなことはできません。笑うことはどうでしょうか?

最後に

人間は何時かは死ぬのです。生まれてきて死ぬまでに何もしないで過ごすことはできません。人生は死ぬまでの暇つぶしだとか、生きていてもしかたがないだとか思い通りに生きられないとか思うのは自由です。他人をそのような思想に巻き込まないでください。

大丈夫

神様仏様閻魔様は、死ぬまでそばにいてあなたを見ています。一生懸命生きていることも、他人のことを思いやる優しい気持ちだということも頑張ればなんとかなると育てられたことも、逃げても大丈夫

#エッセイ #パンダのポッさん #一万個の幸せ