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*療養中の友人関係はお休みしてもいい*

こんにちは、じぞうといいます。
うつやパニックなどメンタル疾患でお悩みの方に向けてこの記事を書いています。
今回は仲良しだった友人たちとの療養中の付き合い方について、またそもそもの友人関係について、少し楽になる考え方を、過去のお話を交えてお伝えできればと思います。

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自分は約20年ほど前に大きな目眩やパニック発作を経験してから、長らく精神疾患で悩んでいた時期がありました。
そのなかで大きな壁になっていたのが「友人とのお付き合い」に関してです。
あなたには、病気になっても変わらずお付き合いをしてくれる、自身の弱さをさらけ出せる、そして気持ちを楽にしてくれるような友人はいますか?
いてくれたらいいなと心から思います。私には当時、残念ながらいませんでした。

’友人’自体は勿論いて、その一部は学生時代から苦楽を共にした大事な人たちでした。当時はまだ皆結婚もしておらず自由な時間があり、たびたび外食や誰かのおうちに集まって飲み会などが開かれたものです。
私は友人関係を続けたいし、友達を減らしたくなかった。仲間外れにもなりたくなかった。なにより「普通に」楽しめる自分でいたかったという面も大きかったかと思いますが、その集まりには毎回大きな不安を感じながらも、頓服の安定剤を飲んでかなり無理をして参加していたことを思い出します。どうしても帰りたくなった時のために、言い訳までたくさん用意して。
そうまでして「変になった・ダメになった」と思われたくなかった。対等でいたかった。必死で「大丈夫であるふり」をしていたように思います。

ただその必死で無理をして参加した会が楽しかったかと聞かれれば、今となっては答えは「No」でした。始終気を張っていて、いつ押し寄せるともしれない不安や不調を、揺り起こさないよう忍び足で過ごしている感覚。(分かってくださる方多いかもしれません、あれすごく疲れますよね。その場を楽しむどころではない感じ。)
解散のころには、何事もなかったことに「無事終わった…」「できて良かった…」とまるで仕事でも終わったかのようにホッとしている感覚さえあったかと思います。

そして更に、より大きな悩みの種になってきたのが「友人たちの言葉や態度」でした。
精神疾患を患ったことがなければ理解できないのは当たり前なのですが、それにしても彼・彼女たちの何気ない言葉が少しずつ胸をえぐったり、些細な会話がコツコツと頭に当たってくるような、不穏な気持ちを感じ始めました。

私は当初病名は言わないまでも、体調を崩し仕事を辞めて療養していることや、自律神経がオダブツしていて体調の調整が難しいこと等、なるべく明るく話していました。それが長引いているらしい事も長い付き合いのなかで伝わっていたと思います。
しかしそれらが更に長引くにつれ、そんな私の体調について、将来について、仕事について、結婚について、様々な面から「そんなのでだいじょうぶ…?」「子どもなんか産めないでしょ」「話きいてたら一緒にいるとなんか怖い」「あんたには無理じゃない?」等聞きたくない発言を次第に受け取るようになりました。(その場ではやり過ごし、家に帰ってひとりシクシクしていたのを思い出しますが、彼らにとっては悪意ではなく本当に素朴な疑問だったり気持ちだったという事もわかっています。それでも悲しいですよね…)
また彼らの仕事の話や県外でのレジャーの話など、自分が混ざれず疎外感を感じる場面も増えました。時には職場の精神疾患の人を悪く言っていたり…諸々の配慮のなさに、静かにフラストレーションを感じることもしばしばでした。

この嫌な感覚を、当時の自分は「私が病気のせいで易怒性が上がっていたり、マイナス面を受け取りやすくなっているからであり、友人のせいではないのかも」と考えていました。
私の捉え方が、今の体調が、環境がそうさせているんだと。
そのように考えて、次第に不信感や嫌悪感が増していく友人たちと離れることなく付き合い続けました。体調が戻ればもっと楽しく、しこりもなく、仲良くできるかと思って。
それでも時が経つにつれ、心に刻まれていった溝はなかなか消えることがなくそれどころか深みを増して、そのグループの集まりに関しては昔のようにただ楽しくいられることはありませんでした。
’友達’ってしんどい。人ってもう嫌だ。ある時期はこのグループだけでなく、友人付き合いをそんなふうにまとめて眺めてしまうようにもなりました。

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長い振り返りになってしまいましたが、お伝えしたいのは「もしも今体調が悪いせいで、友人との集まりや仲の良かった人を苦手になっていたとしても。たとえそれが病気のせいだったとしても。今’嫌だ’と感じているのは紛れもなくあなた本人だということ。
ツイートでもたびたびお伝えしているのですが、メンタル系の疾患の多くは「自分の心や体に正直にならず、我慢し、無理をし続けたこと」で発症・悪化をしています。この期に及んで無理は必要なかった。今ならそう感じます。

冷静に考えると、無理をしながら自分が楽しめない状況で友人と接するということは、「楽しみ」よりも「不快」を感じやすくて当然であるように思います。またその行為を無理やり続けることで、会わなければ感じなくてもよかった更なる不快が生まれてしまう。徐々に不快ループができあがってしまう。そしてそのうち、決定的な溝を生じる出来事がやってくる可能性すらあります。(←これは私の場合ですが。)

「無理して会っているうちに元気が出たり、楽しくなったり、慣れたり、分かってもらえたりして大丈夫になってきた。」
こんな方も当然おられるかと思います。その場合は本当によかった。本来ならばこれが一番理想的だと思います。「人との傷は人で治す」これは真理だと感じているし、他人との付き合いを諦めないのは大事なことです。

でももし「いくら頑張ってみても自分は彼・彼女たちと長らく安心して楽しめていない。不快感が抜けない。」
そう感じる場合は無理せずに

「また元気が出てきたら遊んでね」
「遊びにはいけないけどたまにメールさせて!」

そのくらいの距離感へと舵を切ってしまってもよいと思います。

言葉のとおり、またあなたが元気になったり少し余裕がでたときに、これまで以上に仲良くなれる可能性だってあるわけですから。その間はあいだが空いてもいいんです。元気になった時仲良くしてもらうために今無理をして付き合い続ける必要はありません。
余裕が出てきたら
「ひさしぶり、元気にしてる?」
相手が本当に良き友人であれば、こんな簡単な言葉からあなたはまた関係を始めることができます。(これは実際に自分が別のグループの友人で体感したことでもあります。)

今、あれから幾年も経ち、悩んできたグループの友人たちもそれぞれ結婚や出産、転職、転居などで自然とライフステージが変わり、会う回数や話す頻度も極端に減ってきたことで、尚更「あの時友人という枠組みに固執しすぎなくてもよかったんだ」と実感をしています。「グループ」の中に無理して居なくても、別に良かったんだなと。
人は皆それぞれ、今の自分に合ったタイプの友人やお付き合いの距離、頻度などを選んで自由に過ごして良いのだなと思えるようになりました。

更に、一時期本当にひとりきりになって、マイペースに自分のやりたいことに集中するようになって初めて、「まぁひとりでも充分楽しくやれる」という事を実感できました。
「何かあったら、また距離を置いてひとりで好きなことやればいい」。こうして「戻る場所がある事を知る」というのはひとつの大事な経験だったかと思います。その戻る場所というのは’ひとり’の場所であっていいんです。ひとりというのは全く悪い事ではありません。突き詰めていけば結局はみんなひとりですしね。また「大事なものは’ひとり’の時にこそ生み出される」とも感じているし、信じてもいます。


友人って、作ろうと思えば、活動的になれる時期がきたら、めちゃくちゃ簡単に作れます。たっっくさん作れます。候補は無限大です。その中から更に、その時の自分に合った人と特別に仲良くなることも勿論可能です。

’良い友人’は幼い時期から仲良くしていないと作れないものではなくて、お互い別の場所で様々な経験をしてきたからこそ大人になって素晴らしい友人になれることだってあります。
もしまだ活動的になれなかったとしても、ネットにいる共通の趣味の方だったり、同じお悩みの方だったり、よく行くコンビニの店員さんだったり、何度か話せばすぐに友人予備軍ですからね。

あなたの周りの友人は、あなたにとって大切な人だったかもしれませんが、固執しなければならない存在ではありません。実際に仲が良ければ、相性が合っていれば、縁があれば、どれだけ時が経ってもまた「おいっす、老けたな〜笑」とか言って、昨日も会っていたかのようにまた会えたりするものです。
だから友人のお付き合いで悩んでいる方は、「友人」という存在をもう少しだけ気楽に考えてみましょう。「いつもそばに居て、楽しく遊ぶだけが友人ではない」という事も。

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ただし。以下の考えはひとつ大きなものとして私の中に残っています。

本当は一番初めに、私自身が強がらず「本当につらい、どうしたらいいかわからない、会っている間に不調が出るかもしれない、それがこわい。でもこう言うことで迷惑になるかもと思ってそれも余計につらい。」と友人たちに正直に弱みを見せ、頼っていれば話は違っていたのかもしれない。


冒頭に「私には当時、(気の置ける友人が)残念ながらいませんでした。」と書きましたが、いないと思っていただけなのかもしれないし、その状況を自分で生んだのかもしれないな、とも感じています。

友人関係を続けながら、そのグループ全員に打ち明けずとも、友人たちの中で一番理解のありそうな人だけに本音を打ち明けてみる。頼ってみる。そういった行動も、あなたの中の新たなドアを開けてより自由をくれるかもしれません。

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長い文章を読んでくださって、本当に有難うございました。

病気になったからといって、たとえそのせいで悲しんだり怒ったり疲れたりしやすくなっていたとしても。元々持っている「他人を心配する心、迷惑をかけたくない、ちゃんとしていたいという気持ち」そういったあなたの優しく素敵な部分が消え去るわけではありませんよね。むしろそれが強くあるからこそ、色々な感情の板挟みになって苦しんでしまうのでしょう。
なのであまりにもその葛藤が強ければ、少し距離を置く。置いていい。
その代わりにあなたが心から落ち着けたり、楽しめることに集中してみてください。

そうやって少しずつ見えない鎖を外して、より自由になっていってほしいと思います。自由になれば、また沢山繋がれるから。あなたと繋がりたい人が、この先きっと待っているから。
いつも応援しています。

じぞう

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