12月13日「人間としての幸せの形の一つ」|取り立てて特徴のない19才フリーターと、彼の日記

今日はミウの誕生日の前日だった。

ミウには「火曜日だしオムライスに行こう」とだけ言って誘っていて、サプライズっぽくプレゼントを渡した。大したものじゃないけど一応は喜んでくれたと思う。
しかし、帰りの車内で…。

オレはふとミウの態度が気になった。
たまに、オレの話を聞いてないような感じがした。相槌や返事は一応するんだけど、意識はどこか別にあるような。オレが話をしていたのが、いつの間にかミウばかり話ていたり、その途中でとても疲れたような、悲しいような顔をしたり。

オレの経験上、こんな様子の時、その人はかなり精神的に参っている。つまり、ミウは今かなり参ってんじゃないかな。

数か月前、ミウが元彼と別れた時、アイツほんとうに死にそうだった。飯も4日くらい食えなかったって言うし、見ててオレも辛かった。でも何とか立ち直って、しばらくは元気そうにしていた。けど最近は大学の卒検が大変でまたしんどそうにしている。
今回誘うのも気ぃ使ったよ。きっとイッパイイパイなんだろうなって。

前会った時もそうだったけど、人の話を聞いてるとき上の空で、反面 自分の話はよくする。…いや、別に腹を立ててるとかじゃない。
オレが思うのは、ミウは今 自分のことで精一杯なんだろうな、って。そしてそれはかわいそうだなって、辛いだろうなって。


「人間としての幸せの形の一つ」

自分のことで頭がいっぱいだと、逆に自分のことが見えなくなる。それは自分を主観でしか見れなくなるからだ。「自分は」「自分が」と語っているのが、次第に「自分なんて」って感じで狭くなっちまう。そうなったらますます主観主観の渦から出られなくなる。

主観の渦では周りも見えなくなる。自分のことを想ってくれる、心配してくれる人たちのことも見えなくなる。
そう、ココが大切。自分の事を大切に思ってくれる人の存在に気づくこと、ココがすごく大切なんだ。

例えば、家族。煩わしい時も多いかもしれないけど、家族ほどキミの事を本気で考えて、心配して、大切に思ってくれる存在はなかなかない。
もちろん、友人も。「自分なんて」って思ってても、意外なほど友人はキミのことを想ってる。キミが辛い時、自分の事のように悩んでくれる。
きっと自分が考えてる以上に、キミはいっぱいの人に、いっぱい愛されている。

そう つまり、自分がどれだけ愛されているかを知ること、実感すること、これがすごく大切なんだ。
これに気づくことが、主観の渦から抜け出す第一歩だ。すると、だんだん自分を客観的に見ることができるようになる。キミを愛してくれる人の存在に気づく、すると その人たちがするような仕方でキミも自分を見る。
「自分もそんな悪くないかも」ってな風に、だんだん自分でも自分を愛することができるようになる。


自分を客観的に見えるようになると、周りの物事も客観的に見ることができるようになる。すると今度は、自分の事だけじゃなく、他人の事も考えられるようになる。
客観的な視点を得ると、主観の渦にあった自分ジブンという意識が薄れ、自分と他人の隔てる壁が薄くなっていく。自分も他の人も、結局のところ同じ人間なんだと思えるのが、つまり客観なんだ。
そうなると、他人の事でも真剣に考えたり、悩んだり、悲しんだり、喜んだりできる。
つまり、人に優しくできるんだ。

自分に優しくするように、人に優しくする。
人を好きになるように、自分のことも好きになる。
これが理想形ではないだろうか。

自分が周りの人から大切に思われていることに気づくこと、その人たちがするように自分も自分を好きになること。
それが、人間としての幸せの形の一つだと思った。


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