インスタグラムと私たち。変化

わたしが大学で社会心理を学んでいたからか
はたまた 私がもともと人の気持ちを考えたり、想像したりするのが好きだからか分からないけど

"インスタグラム"を題材に、人々の気持ちや移り変わりを考えるのが好きかもしれない。

というのも、まだインフルエンサーと言う名前が知られてなくて、インスタが、広告などの商売道具ではなく
ただ人々が写真をアップしていいねに喜んだり、好きな写真を見つけてそこから小さな世界が見つかることが主だった時代に、元々写真が好きな私はインスタグラムと言うSNSにどハマりしたのだ。

写真が好きってどう言うこと?
カメラが好き?
何が楽しいの?
見てもらいたいの?
撮ってどうするの?

そんな疑問が周りから付き纏うもんだから
自分でも自問自答せざるを得なかった。

生産性は特にない。

今思うと生粋の趣味と言えるだろう。

捻り出して言葉にした答えは
自分の好きな雰囲気の写真が撮れると嬉しいから。

別に見てもらいたいとかではないし
わかってもらおうなんても思ってない

ただ好きな瞬間を切り取って"写真"の中に収めたくて
この瞬間を頭の中だけの思い出じゃなく、
いつでも思い出せるようにしたくて。


そんな中で一大インスタブーム
インスタ映えなんて言葉も誕生

すこしずつはやはり出したらやって見たくなる
写真をあげてみる
他の人があげてる素敵な写真に心を打たれる
インプットして自分も真似してアウトプット
インスタホーム画面には自分の世界観ができる
私だけの小さな世界。
自分のことを言葉でうまく表すのは得意じゃない
何回かしか会ってない人に、あなたはこうだよねって、そんなふうに決められたくない
私はもっといろんな面があるんだよ。
あなたが知らないこんなことにも興味があるの

インスタグラムのホーム画面は、そんなモヤモヤしていた感情に助け舟を出してくれたような
そんな感覚があった。

ホーム画面を見て、言葉で伝えられない何かを受け取ってくれるんじゃないか
そう思っていた。

はじめは楽しく使っていた。

だけど人間は欲が深い

だんだん"見せる"ことに集中し始めた。
これは私だけではないと思う
自然と周りは対決をし始める。
もっと
もっと見てほしい
もっと
私はすごいでしょう
こんな世界をもってる
こんな楽しい瞬間を過ごしてる
こんなものを持っているの

楽しい。残したい。
この気持ちを誰かに共有したい
わぁ 楽しそうだね
へぇ そんなところがあるんだね
はぁ そんな見方があるのか

ちょっとした、周り意見が欲しかっただけなのかもしれない。

それが
いかに自分をすごく見せるか
周りの人よりもすごくありたい。
自慢のように変わってきた

一日で消えるストーリー機能によって
不幸な自慢も増えた
素敵じゃないから残したくない
だけど載せたい吐き出したい

そのように使っている人も目立ってきて
私は嫌悪感を感じ始めた。

なんだろう これは。

私だけではなく
じわじわと
その疑問を持つ人は増えていったように思う。

増えたと言うよりも明るみに出てきたのかもしれない。
もともと必死に写真を撮っている人に疑問を持っていたけれど口には出さなかった人もいたのは事実だ

人というものは行動と言動が矛盾するのを好まない。

つまり、自分が嫌だなと思っていることを
自分がしていることは許せないのである。

そうして自分のことを客観的に見て、
自分の行動も改め始めた。
私ももしかしたら、インスタグラムで過剰にアピールをするようになっているかもしれない。
わざわざ載せなくていい感情をわざわざSNS上に載せていたんじゃないか?

そう考え始めると、自分の行動にも変化が現れ始めた。
何でもかんでも載せるのは違うのかもしれない。
共有しなくても、自分のための大切な思い出として撮っておいても、その大切な思い出の価値は変わらないよね。

よく考えて見たら、
私が投稿をしたくなる動機が二種類あったことに気づいた。
一つ目は純粋に、素敵な写真が撮れたから挙げたいな。という動機。
二つ目は、誰かの投稿に羨ましいと思って、私も楽しいんだ、こんな事してるんだ。という見栄からくる動機。

あれ?と思った
恥ずかしい。

そう思った瞬間に羨ましくなってしまうような投稿をたくさんあげる人や、かなりの投稿頻度で、私をうんざりさせる人のフォローをやめて見ないようにした。

1週間経過。


あんまりインスタが更新されない。周りのこともあまり見えない。
だけど、人と比べることがほとんどなくなった。
自分はなんかつまらない日常だ。
なんて思わなくなってきた。


自分が楽しい瞬間を、一人で噛み締めるようになった。

自分の目に入るものを制限することで得た自由と幸せだけど、
もしかしからこれは自分だけが気づいていることではないと思っている。

この自由を得る前から変化として感じていたのは、
最近、今まで投稿頻度が高かった人たちの多くが投稿しなくなってきたということ
"アーカイブ投稿"という、他の人に見られたくはないけどインスタ上に一度あげて、アーカイブをしてから後から自分のホーム画面上に投稿を戻す投稿をする人が増えた。
インスタグラムを自分用のアルバム年で使っているのだ。
見ようと思えばいつでも見られる公開アルバムだが、その人のホーム画面に行かないとどんな投稿をしているかは分からない。

もしかしたら、自分と同じようにインスタグラムに疲れて、別の利用法を獲得したのではないか。

SNSは便利だ。
遠く離れた人とも繋がっていられる。
別々の道に進んだとしてもどんなことをしているか連絡をしなくてもわかるからなんだかまだ近くにいるみたいだし、連絡を取れるからまた会う事なんて簡単だ。

全てやめた方がいいなんて思わないけど
自分に合った使用法を見つけて

人と比べすぎない生き方をして
何が自分にとって幸せなのか
本当に自分が求めているものに気付ける生活を送りたい、そう思った。

皆さんにも
幸あれ😊♡

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