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わたしの日記です。 365本たまったら製本。
鳥待月に桜咲き 鳥来月に桜舞う めじろ鳴く鳴く 柴犬ちょこんと 膝上に前足おき おやつをひと口 いつもの鞄と靴 黄茶色の本皮の 皺と目尻の皺と かわしあう愛と それぞれの開幕 祝う公園の椅子 2022
話しことばがつるつるしてしまって 何を言いたかったんだか 何処かへ流れてしまって 何もなくなってしまうことがあります 相手の顔が見えなくても ひとりで話すのって やっぱり難しい リモート会議のたぐい 配信のたぐい ずっと上手じゃない 上手にやっているふりだ それでも明日のごはんのために リモート会議は続いていくし それでも今日のゆきばのなかった 羊たちを囲いこむように 一気にスマートホンへと 公共の電波へと わたしは何処へ向かって話していた? 何処にも話していない
毎年大体6,9,2月に心身のバランス崩すの法則、GW、盆、正月のあとですねー。休むとリズムが崩れるのか。考える時間ができてしまって、余計なこと考えすぎるのか。休むの下手くそか。ひとと沢山あったあとの反動か。 ことしもまんまと。 ってことは9月もきをつけよう…
自己表現のための言葉を書くことが ときにひととの境界線をひき ときにたがいの虚像などがうまれ 意図しないほうにわたしを 連れていってしまうことが ありそうで すこしこわい どこまでも自由にそして どこまでも輪の中に居たいとき さて この言葉をどこに置こうかと 悩んでしまうのが最近です そうして ベッドルーム脇の本棚の いちばん右手前にあって たまに左側に歩いてくる その青のノートに かきしるし 言葉ともにねむる いさぎよく 世界中にむかって 発信しているのをみて
プレゼン文化と体操着文化ってにてるな。プレゼンに慣れているから内向的でも外交的に見える。前習えに慣れているから、みんな大人しくみえる。 文化は文化で 個性は個々に宿る おたがいに
(あとで再編するかもしれない雑記) どうせいつかは消えてしまうのに、テクノロジーの進歩は止まらない。就活生だったときは、テクノロジーこそ大切で、知らないと出来ないと時代に置いていかれるんじゃないかって思ってた。でも最近、なんか違う気がしてきた。 これまでに培われてきた文化が、ごそっとなくなってしまったら、頼るものがなくて虚無かもしれないなと思った。テクノロジーの進歩に心がついていかない。 たとえばかな文字がなくなってしまうのは寂しい。たとえば自社仏閣がぼろぼろになってし
シェリーのお風呂場に中野信子さんがやってきた回を見ていた。数日前の知らせと生理中につき、ホルモンバランスがたぶん乱れていて、眠いのにお腹空いてて、ひとに会いたくないのに寂しい3℃の夜のことだった。 甘いものが食べたくなって、21時頃にコンビニへ行った。こんな時間に人通りの少ない道を不安なく歩けるなんて、日本だなぁと思う。台湾でも似たような安心感があった。でも、ほかの国ではそうでもないらしいと聴く。安心のまま、雪見だいふくを買って帰った。 雪見だいふくは、すこし時間をおいて
これを話して良かったのだろうか、あの言葉でいいのだろうか、と内省をするのは生き心地の悪い癖だけれども、この感じかたを緩和する方法を考えているうちに、どうでも良くなるという処方箋もありました。たくさん人と会って嬉しかった。
いちばんに望むことが同じだったとき、ふたつめの願いごとを言いそうになった。それはふたりなら願わずとも叶えられるのかもしれない。 ジーニーへのお願いごとは、みっつだけなんだ。
最寄りのコンビニエンスストアで適当に買物をしたら、お会計がゾロ目だった。たまに、777とか1111のゾロ目会計を見るとちょっと嬉しい。そういえば、888と999はレシートに印字されたことがないなぁと思う。どのゾロ目がでるか、確率のばらつきがあるみたい。 愛読している本をひらくとき、ハッとする言葉に出合い直すことがあります。感覚をなびかせる言葉に出会うのはいつも恋みたいに不意です。感覚自体のばらつきがあり、レシートのそれよりも確率が予測できないみたい。やっぱり恋みたい。 そ
立ち読みですみませんなのですが、國分さんの「中動態の世界」という本をさっと読んできました。受動態(ーさせられる)と能動態(ーしている)の間をとるのが中動態で、現代ではもうすっかり使われなくなってしまったのだけれども、アリストテレスが生きていた古代ギリシアあたりの時代にあった言葉だそうです。「座る」「怒る」「生まれる」とか、主体とそのまわりが相互に作用する時に、内と外を単純に2分割にできない時に、この言葉を使うのだそう。 著者の中動態の探究、問いの発端として、薬物依存者やアル
あなたはじゃがいもを数えられなかった、教えるのがとても大変だった、3個とってきてねが出来なかったの、と家族から聞いたときの衝撃を覚えています。12歳。 あぁ、わたし3歳の頃すでに数学苦手だったのねぇ〜と、だいたい12歳頃に知らされました。 __ わたしは保育園にいたとき、トイレの扉をくりぬいている形が、ひとつはマル、もうひとつはサンカクです、というのをなかなか理解できない時期がありました。それは、ひとより先に保育園に行った、単純に1年分の能力差だったのかもしれません。
ひとりでできるものは楽だ。途中で手放しても下手でも迷惑かからず、上手くても争いがない。ゆえ、個人競技や、個人で完結するものごとを好んで生活している。だれかと熱中することが苦手で、友達の推しは推せない。奪いたくない。でも、きみとのサッカーはとんでもなく楽しかったので改めますね。
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出会った時期のちがうものと数時間おきに顔を合わせた休日、夢のなかも合わせたらもっとたくさん、を経た朝に、どういうことをして今ここにいるのかと、遠くに来すぎてしまった気がした自販機をながめていた昼に、わたしはわたしをして居れば大丈夫と。
朝顔の種をまくのを ふたりでやるような愛は いいですね