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Daily Life - vol.019 - 数学と仲良くなれなくても

あなたはじゃがいもを数えられなかった、教えるのがとても大変だった、3個とってきてねが出来なかったの、と家族から聞いたときの衝撃を覚えています。12歳。

あぁ、わたし3歳の頃すでに数学苦手だったのねぇ〜と、だいたい12歳頃に知らされました。

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わたしは保育園にいたとき、トイレの扉をくりぬいている形が、ひとつはマル、もうひとつはサンカクです、というのをなかなか理解できない時期がありました。それは、ひとより先に保育園に行った、単純に1年分の能力差だったのかもしれません。

だとしても、マルトサンカクガヨクワカリマセン、と言ってはいけない気がしていて、理解が追いつくまで黙っていました。

広場にある時計については、だいたいVの形をしているときに、それが何時であるのかも、いまいちピンとこず。なんとか身体で覚えたような気がします。

それから就学の時期にあたり、苦手教科を苦手教科にしたくなかった意地のために必死こいてやりました。“負けずぎらい“という言葉を知って、自分が本当にそうなのかは本当には分からないけど、いったん当てはめてみた時期だったと思う。

九九は毎日唱えれば身体が暗記するので歌うように覚えた記憶があります。割算はりんごを切ったときに理解して嬉しかった。三角はみっつの点があるから、五角はいつつの点があるからという説明がしっくりきて、保育園のときに教えてほしかったなぁ〜。(こういった気持ちも、言葉や文脈が整理できてはじめて、ひとつの文章になるなぁと思います。)

お蕎麦屋さんのお姉さんに習いにいった甲斐もあって、なんとか中学卒業までには数学の成績を5にまで上げてやりました。いま振り返ると、とてもえらかったと思います。


それでも高校にあがると、数学赤点赤点バツバツバツ。ベクトルと漸化式あたりから、あーやっぱりだめかもなとなります。点Pってなんだったんですか。動くからなんなんですか。動きは可愛くて好きでしたが、論理が全くわかりません。

ついには、センター試験の数学だけ発熱してしまって、志望校受験に必須だった科目でオオゴケします。初めての絶望体験でした。発熱するほどのアレルギー反応がおきたこともショックでした。

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でも、そのおかげで東京に出てきてしまって、いまの生活に繋がっていくわけで。数学できてたら田舎にいたかも、あのひととこの人と出会ってなかったかも、と思うと、どっちが幸せだったかなんて分かりません。いま結構居心地良いので、こっちで良かったような気もします。


やがて、そうして、数学に転がされて生きていることを忘れていた本日2023年11月1日。仕事の資料に「シグマ」を発見するんですね。


シグマ。たしか、和の計算記号です。

久々のシグマは相変わらず頭がぐるぐるしてしまってだめでした。上司がせっかく分かりやすいモデルにしてくれたのにね。分かりやすくモデル化されていることしか分かりません。

スミマセンヨクワカリマセンデシタなんて音声アシスタントめいたことは言えないので、とりあえず分解して理解するように努めたけど、スミマセンヨクワカリマセンデシタ…🫠

力の限界を感じた日でした。

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と同時にひとつ、数学が苦手な理由をここで考えてみて、数学的定義の理解や、定義の短期記憶が苦手なのでは?という仮説から、「ディスカリキュア」という言葉に辿りつきました。

調べてみると、まるで昔の自分そのままの症状です。


今はもう大丈夫だけど。ディスカリキュア傾向だったのかも、とひとつのよりどころが出来て安心しました。あくまでも仮説だけど。

単純に数学出来ないのではなかったこと。出来なかったところを、沢山のひとにサポートしてもらったこと。生まれたままの自分では、決してここまで辿り着けなかったのかなと思います。

ちゃんと診断されたわけでないし、素人判断でしかないけれども。なんだか腑に落ちてゆきました。

これじゃぁもう仕方がないね。

以上をもって、数学とは和解できたような今日でした。もう受験で熱が出たことも恨まない。これからは、仕方のないことを必要以上にはせずに、出来ることをしましょう。得意なことを沢山伸ばしていきましょう。

数学よ、ありがとうございました。

photo by : jean philippe

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