Daily Life - vol.020 - 外側のことを書いてみたい

最寄りのコンビニエンスストアで適当に買物をしたら、お会計がゾロ目だった。たまに、777とか1111のゾロ目会計を見るとちょっと嬉しい。そういえば、888と999はレシートに印字されたことがないなぁと思う。どのゾロ目がでるか、確率のばらつきがあるみたい。

愛読している本をひらくとき、ハッとする言葉に出合い直すことがあります。感覚をなびかせる言葉に出会うのはいつも恋みたいに不意です。感覚自体のばらつきがあり、レシートのそれよりも確率が予測できないみたい。やっぱり恋みたい。

それで、「若いときは外側に関心が向いていたが、歳をとるごとに内側に関心が向いてゆく」という(はっきり覚えてなくだいたい書いてあった)文を見て、あれ?わたしは何だか内側にばかり関心のむく若者だったなぁ〜と、あらためて、鏡で自分を見たような気持ちになりました。

その著者は詩人で、彼は外側にもずっと目をむけていたようです。たしかに、カムチャッカの若者が…とか、いるかいるか…とか、目線がひろい情景がいくつかあります。この気持ちはなんだろうと心情をのぞく詩もあり、なんてバランスがいいんでしょう。

“外側“というのは、たとえばさっきのコンビニの話で、“内側“というのは、わたしがどういう時にハッとしたのかという文脈のことでしょうか。(と今は思っています。)

とすると、いままではあまりにも内側の風景にばかり目を向けていたような気がするのです。書く文章というのも、なんだか内側にばっかり向いています。自分にばかり関心があったのでしょうか。

なんでだっけな?と振り返ると、うまく自己主張ができなかったとか、人の気持ちばかり優先してしまう癖があったとか、自分のことが何もわからない気がしたとか、参照点が沢山あります。"外側" を通して“内側“と繋がることが、すっごく難しかったのだと思います。

他人の評価だったり、だれかの目線だったり、だれかの喜ぶ顔だったり。いろいろな外側のものたちに触れることで、気がつくと何時間も布団から出られないような、毎日が電池切れみたいな日々は、たいへんめんどうでした。

めんどうだな。

めんどうを自覚してから、ジャーナリングなりカウンセリングなり認知行動療法なり占いなり、試せることを色々やった期間がありました。西洋薬はイヤだったので、無理言って漢方にしてもらったら、1ヶ月分すごい量が処方されて毎日苦いなぁと思っているうちに、秋がきて気分が治ったっけ。ずいぶんと前の秋の話です。まだコロナもなかった頃です。

あとは幸いにも、せっかち/めんどくさがり/面白がり/無駄なことを嫌うこころ/働くこころなどを、両親やご先祖たちから少しずつもらったおかげで、あーもうこの性格飽きたなぁ〜!!!やめたやめた!!!と、思いきることが出来たような気がします。


そういえば、カウンセリングは受けて良かったけど、一番最初に担当頂いたおばさんは精神分析と家庭環境に理由づけばかりするので合わなかったです。せっかく家族がしてくれたことを、一方的に憎んでしまいそうだったので行くのやめたっけ。歯医者とか婦人科みたいに、治療方針って相性あるよなぁと思うので、カウンセリングも気軽にうけて、気軽に医者変えたらいいと思っています。


本がすきなので、それ系の本もたくさん読みました。宮地直子さんのトラウマの地政学-環状線モデル-がとてもしっくりきて、こんなことをたまに思います。

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笑顔でいるひとの心がいつも笑っているとは限らない。ドーナツの穴のところに再び落ちないように、必死にしがみついているかもしれない。だから、穴に引きづるような真似はよして、ただ隣にいよう。ただ、あなたのしたいようにしよう。
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またウチウチの話をしてしまいましたぁ。


そうそれでね。

そろそろ外側の景色をもっと沢山見てみてもいいのかなぁ〜と思いました。外側と内側。インタラクションを楽しむのをやってみたいです。これからは、外の景色を書く時間も作ってみたいです。写真をとるように、絵を書くように。

さいごに、家訓みたいに、悩むと家族が唱えてくれた言葉をおもいだしたので、それを書いて終わります。(これはいつかもし子供がいたら、子供に言ってしまうんだろうなぁ〜と思います。)


「いつまでもグズグズしてないで、ぜんぶはなして、ごはんたべて、お笑いみて、あったかいお風呂入って早くねろ!!!」


ほんと、この言葉につきます。
どうか暖かく過ごせますように。

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