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盲信せず、固執しないために必要なこと

先に答えを知ると、本質に辿り着きにくくなる

ここじゃない世界に行きたかった 先に答えを知ると、本質に辿り着きにくくなる より

昔知ったこの言葉が、ずっと自分の奥底にある。
自分に自信がないから、何かの答えに捕まっていたいのかもしれない。

自分の考えは端によせて、正解を手早く学んだ方が効率的だ。
学校の勉強でも、仕事でも、上司や教師の言うことを聞いていればいい。
今後は、それがAIに変わっていくだけ。
人は今よりもっと簡単に、早く、答えに辿り着くようになる。

でも、それは良いことなのだろうか。

手っ取り早く答えに辿り着いてしまうと、そこから先に進みにくくなってしまう

ここじゃない世界に行きたかった 先に答えを知ると、本質に辿り着きにくくなる より

答えを先に知ってしまうと、目の前のことが答え合わせになってしまう。
正解や概念を先に知ると、物事を当てはめて見るようになる。

人間は言語という記号を使い、世界に区切りをつけることによって世界を認識する

哲学と宗教全史 言語は記号であると考えたソシュール より

人は世界をありのままで見ることはできない。概念やカテゴリーに当てはめて認知している。

だとすると、自分は世の中を見ているようで、逆に見落としているのかもしれない。

何かを先に知ることは、そうした危険性を持つ。

「わかる」は全く理想の状態ではない。「わかる」から遠ざかろうとして、世の中を観察すると、違う世界が見えてくる。

観察力の鍛え方 多様性とはあいまいな世界 より

わかったように思えてしまうと、その時点で思考が停止する。
誰かの意見や正解の強さが焼き付いて、いつの間にか自分と他人の境目が曖昧になっていく。そんな感覚がある。

では、どうすればいいのだろうか。
他者ではなく、自分の感性や感情にだけ従えばいいのだろうか。

主観的に物事を見ることは、飛躍を生みだし、世の中に新しい価値を提供する可能性がある。アートやイノベーションは、個人の飛躍から生まれている。

ただ、それは独りよがりの自分なりで終わることと表裏一体だ。

自己流でやりたいようにやるほうが、よほど安易な方法だ。簡単にできた気持ちになる。自分のアウトプットと一流のアウトプットに雲泥の差があるのに、その差をじっくりと観察せずにすみ、自分の心を守ることができるのが、自己流のやり方だ。

観察力の鍛え方 徹底的に真似る 型に気づく より

何かを生み出す、行動に移す、そんなときに何に頼ればいいだろうか。
誰かの意見を盲信するわけでもなく、自分に固執するでもない。

普遍的な答えの型にハマりたくないし、主観に固執して自己流になりたくもない。

そうした葛藤の間を繋ぐヒントが、"観察"という行為にあると思う。

主観やバイアスが目を覆う前に、一呼吸して、目の前の事実を精細に記述してみる。そうすると、驚くほど自分が固定概念に囚われていることがわかる。

そこで与えられたものの主機能だけを捉え、人間が無意識でそのものを別の用途に変換して使っているということに気づかないのだ。
例えば、椅子は座るものとしてしかみることができない。椅子の背にジャケットをかけたり、座に書類を置いたり、別の椅子に脚を投げ出したりするものとしては捉えられないのだ。(中略)デザインというものがなくても、人間は既に、環境にあるすべてのものをその状況に応じて価値に変換している。(中略)思考の概念と、からだがものと関わっている事実とは異なるものである。

デザインの輪郭 04 考えない(without thought)

詳細に観察して、事実を記述する。
そうすると何故こうなっているのか、と疑問が自然と立ち現れる。こうかもしれないという新たな視点が生まれてくる。

いい観察は、ある主体が、物事に対して仮説を持ちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気づき、仮説の更新を促す。

観察力の鍛え方 「観察力」こそがドミノの一枚目 より

何かを学ぶときも同じように、詳細に観察し、真似ることから始めてみることが大切なのかもしれない。
型を模倣して、自分なりに表現することで初めて、その裏側の意図に思いが及ぶようになる。
先に答えを知ると型の劣化にしかならない。そこに自分で至ることがすごく大切なように思う。

だからこそ、答えが簡単にわかってしまうのはよくないのかもしれないし、自分の意見や価値観に固執するのも少し違う。

これだけAIが普及して、情報が溢れ、コスパやタイパに支配されている現代社会だからこそ、逆に、「型」や守・破・離という、無駄で非合理で時間のかかるプロセスに価値があるのかもしれない。

模倣して、裏側の意図に気づき再現できるようになる。
そこから、自分の感性や感情に従って、微妙な差異が生まれ、新しい型になっていく。そして、その型や答えすらも、移ろいゆくものとして受け入れて、固執しない一時的な解として保持しておきながら、新しさを受け入れていく。

判断を保留しながらも、進み続ける。
何かを生み出すためには、そうした二項同体の姿勢が大切なのかもしれない。

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