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人は文章を読まないのだと実感したことがありまして

部署異動して営業事務になり、大勢の人に読んでもらわなければならない文書を書く頻度が上がりました。異動前はごく一部に報告書のようなものしか書いていなくて。それと同じように社内通達文書を書いていたら、上司にめっちゃ赤を入れられるように。これじゃ、わからん、と言われるのです。

どこがどう分からないのか。分からないなりに、教えを乞うて毎度毎度、新入社員かなと思うほどにチェックしてもらっていました。見出しに大文字や太文字を使うのは常識。でも、だんだんと赤文字や黄色、多種多様な枠線、かわいいイラストが入り出して…

通達文書は、読んでほしい文章。
業務に差支えがあるので、必ず目を通していただきたい。
読んでいただき、書いてある通りに行動していただきたい。

私はそれを届けないといけない。
読んでもらわないといけない。
理解していただかないといけない。

こう書けばわかりやすいのかな? 文章がわかりにくいのなら図にした方が? いかに読みやすくわかりやすくするか、頭をフル回転させながら、必死に作成していました。何件も積み上がっていく文書を並行して完成させる毎日。

社内システム上に「要確認」と表題をつけて文書ファイルをアップ。システムでは誰がファイルを開けたかがわかるようになっていました。自分たちが監視されていると分かっていれば、開けるくらいはするでしょうし、こちらとしても「ファイル開けましたよね。ってことは通達文書は読みましたよね?」と言えるのです。

しかしです。こっちは見てますからねと告知しても、読まない人は絶対に読まないのです。毎回同じ人が未読。きっと、そういう方々は、最終的には周りの人に手取り足取り教えてもらえている立場なのでしょう。

ある日、文書通達してから数十分後、私あてに電話がかかってきました。

「今、お前、なんか通達したろ? 
この電話で、その内容を読み上げてくれ」


・・・・・ええええええええ!?

読み上げるの? 私が? 今?


さすがに、それは。

あなたの隙間時間に文書を読んでくれたらいいだけなのに。わざわざ私の時間を奪って、あなたのためだけに私が音読差し上げねばらならぬのですか。

そ、そうっすか。

そうきますか。


文章は基本、読まれない。そういう前提をわかってはいたのです。しかし、これにはさすがに全身の血の気が引きました。文章を読みたくない。なんとかして、読まない方法を考えているのだろうなと思ってしまった。

音読してくれということは、今度から通達文書に音声ファイルを付ければいいのでしょうか? と考えましたが、解決策として有力な候補はビデオ録画を付けることでした。ビデオメッセージかよ~恥ずかしい 笑

でも、それはそれで今度は「一方的に話されるのが嫌」となり… その週の通達を毎週末テレビ電話で開催みたいな話に発展しかけました。

あの、すみません、それは会議ではないでしょうか?


***


ああだこうだと上に述べましたが。文章を読む、紙に書いてある文字を黙々と目で追う作業。これって結構、時間とエネルギーを使います。私も本を読むのは正直とても苦手ですから、読みたくない気持ちはわかるのです…

だから、文章をオーディブルのように「音で読む」のは楽なのかな? とも思います。ラジオを聞いてきた人には合っているのかもしれません。

しかし、それすらイヤな文章を読まない方々に、ならばどんな文章ならわかりやすいですか? と、ヒアリングをしてみると「俺と会話をしたときの、そのまんま一語一句漏らさず書けばいい」という、話し言葉の文字起こしを希望されていました。

そう。彼らが望んでいるのは、直接会って、ひざとひざを突き合わせて会話をすることだったのです。特にこの2年半で、ますますその大切さを考えさせられましたよね。

私の尊敬していた先輩は基本、自分の席にいない人で、常にどこかの部屋で人と話をしていたのを思い出します。話をするという仕事。言い分を聞き、間を取り持ち、解決策を一緒に考え、まとめる。それらは文書には残らないものでしたが、多くの人をやる気にさせ、動かしていました。

私の作成した通達文書たちは、パソコンのシステム上に残りました。しかし、それらのデータがなんとも空しい寒々しい印象をまとっているようにも見えました。

今こうしてnoteに文章を書いているのは、文章を書くことに、とても悔しい思いをしていたからかもしれません。そしてまだまだ、文章で伝えるって難しいなと感じています。