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⭐️心の学び:自分ほど偉い者はいない

若い時というのは、自分自身を前面に出したくて仕方がないものだ。
それは性格のせいではなくホルモンのせいだ。自分をアピールしたくて仕方がないのだ。
こういうと「いやそんなことはない!」と否定されがちなのだが「自分は他人よりも優れている」と繁殖相手やライバルに言いたいわけだ。

しかし、それを誰もが同じ行動するということがわかっていない。後になって恥ずかしかった思い出となるのは間違いない。ぼくもそれはあった。

そういったホルモンに影響されている時期は、物事を深く観察することができないものだ。自分以外は皆劣ったものだという見方をしてしまいがちだからだ。 

この辺りで自分に自信があるとかないとかで悩む人も出てくる。自分軸や自己肯定感などに反応しやすいお年頃となる。

自分の関心は異性や同年代の評価に向かい過ぎる時期がある。全体を観ることができないのは仕方がない。

間違ってはならないのが、今観ている世界が真実ではないということだ。刹那的であったり自己憐憫も本当の自分を表してはいない。

「オレは太く短く生きるんだ!」と豪語する奴は昔も今もいる。
しかし、家族が出来てしばらくすると「やっぱり長生きしたい…」と言い出す奴を何人も見てきた。そういうことなのだ。

若く勢いのある時は、繁殖相手である異性に対するアピールと考えていい。それを除けば「私って何やってるんだろう?」と悲しくなるはずだ。

それは信念や哲学とは全く別の生理的なものである。少し待てばぼくの言ったことがわかるだろう。

何事も若さに任せて無茶をしないようにして欲しい。

noteにおいても若さが前面に出ている人もいるが、懐かしさをおぼえるのはぼくだけだろうか。

ホルモンの低下によって、これからどんなことを言い出すのか楽しみでもある。このホルモンには誰もが負けるのだ。そこをどう考えるかは「心の力」である。

若さと老いの中間くらいが現実の自分を示しているのではないかと思うのだ。

早まらずに少し待てば本来の自分に出会えるはずだ。

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