哲学:自分を貫く哲学
生きている中で、いくら自分というものに自信があっても、心がぐらつくことはある。それはとても大切なことでもある。
誤りは常に修正していかないと、誤りのまま過ごすことになり、後悔という心の状態を生むことにもなる。
後悔は、それをしなければ、もっと違った人生を観た可能性があるということだ。
ぼくは中学三年の時に、「後悔をしないようにするには」という課題に向き合った。
それまでが無知過ぎて、やらなくてもいいことをたくさんして、大切な生きる時間を浪費してしまったことに気づいたからだ。それ以来、探究が続いている。
「真理とは、経験の試練に耐えるものである」とアインシュタインは言ったそうだが、正しいことは試練が訪れても耐えることができるものだ。
「真理」を生きることに取り入れると、どうなるかは想像できると思う。
哲学は真理とは何かを問うことでもある。
真理を見出そうとすることは価値があると思っているのだが、なかなか評価されない。
周囲を見渡してみてほしい。誰か一人でも「真理とは何か」と問いながら生きている人がいるだろうか。
なかなかいないんじゃないかと思うがどうなんだろう。
真理について学校で習うこともないし、話題になることすらない。誰も知らないのだ。宗教のそれとは微妙に違う。
真理がわかれば、後悔の出る幕がないことはわかっている。
当てずっぽうに生きるより、真理に従って生きる方が楽で、何が起ころうとぐらつくことがない。
ぼくはやっとこの程度のことがわかってきた。遅いのか…
次は、真理が「逆転」にどれくらいの力を持つのかを試している途中だ。仮説が間違っていれば全部ダメになるので大変なのだ。