⭐️心の学び:好まれる人とは…
人間関係はいつも難しく、新しい人間関係を構築するとなるとさらに難しいとぼくは思っている。
子供の頃と違って、社会人を長くやると、自分の成功体験や経験から自分なりの社会像を作り上げていく。
それは自尊心などによって強固になり、他者の社会像と相容れなくなることが多い。
女性の社交性と比べて男性の社交性の能力は高くないことはよく知られている。ぼくもその一人なのかもしれない。
これまでとは違う自分、仕事以外の自分を作り上げることは簡単そうに思えるがやってみると難しいものだ。
「他人なんて…」と達観したかのように言う人もいるが、そうではなくて、その気になれば新しい人間関係を構築できるのかということが問われている。
好き嫌いの話ではないのだ。「アイツとは考えが合わない」とかの話でもない。
ショーペンハウアーは好まれる人物のことをこう表している。
「誰しも本能的に、心地よい優越感を与えてくれそうな相手に接近する。ところでこうした相手といえば、男なら精神の特性が、女なら美しさが自分よりもはっきり劣った者に限る」
人間は他人よりも優越でありたいということを示している。劣っている相手は制御しやすいと解釈しているのだろう。
だからといって卑屈な笑いを浮かべながら他人に近づくことができるだろうか。
「自分は特別である」という思い込みと自尊心はそう簡単に制御できないのだ。
ショーペンハウアーは、
「男の間ではばかで無知な者が、女の間では醜い人が、一般に人気があり、一般に求められる」
という。
だからといって半開きの口でバカ話や下ネタ話を饒舌に語ることは難しい。
ようするに、バカなやつはツッコミを入れやすいということなのかもしれない。
醜い人へは説教の一つもしたくなるのかもしれない。
人間は常に他人との優劣を計っているのだ。これをどう乗り越えるかを考えるのが「心の力」なのだ。
こんな話ばかりをしている人間は「最も好まれないヤツなんじゃないか」ということに気づいた人もいるのではないだろうか。
結論は、ショーペンハウアーの話を上書きすると「ツッコミを入れやすい人が好まれて、ツッコミを入れにくい人は好まれない」ということだ。
ちなみにぼくは、些細なことであっても、ぼくよりもいろんなことを知っている人と付き合いたい。