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⭐️心の学び: 心の成長とは何だ?
「心の成長」とよく聞く。「成長しないとね」ともよく聞く。
子供の身長が伸びれば「成長した」とも言う。それと同じ使い方ではないはずだ。
とはいっても、成長は永遠に続くわけではない。
ぼくは心について関心があるのだが、「心の成長」となるとよくわからない。
発達心理学的な解釈をすれば、成長というよりも成熟したという方が的を得ているように思えるからだ。
心は生存を有利にするために働く。不利だと判断すればストレスへの対処と似た対処をする。
仕事がうまくいかないときの対処は人それぞれにあるということで理解できる。
繁殖相手が自分に相応しくないと判断すれば、相手を変えようとするのは、心がよりよく生きようとすることへ向かっているからだと考えることができる。
それらは「成長」ではなく「変化」や「適応」という表現が相応しい。「進化は退化も含めて進化である」というアレと同じだ。学習といった方がいい。
前に進むばかりではなく撤退も含めた変化が必要だ。留まるということも学ぶ。
心は成熟はしても成長するとはいえない。
また、脳の機能には可塑的変化するという機能がある。弾力性のように元に戻ろうとする働きではなく、変化して埋めて合わせていく働きだ。この働きは訓練すれば向上するものだ。
何もしなければ本能的な感情に振り回されて、自分は特別であるとか、自分は間違っていないなど頑固な感情を維持することにもなりかねない。
心は年齢を重ねたからといって成長したとはいわない。たんに年齢を重ねただけ、といえなくもないからだ。
心は学び続けることで、環境の変化や身体的な変化に対応できるようにはなるが、それは自動的ではなく能動的な意思がいる。
ぼくはたくさんの人を通じて、学びの重要性を思い知らされている。
学ぶことと学ばないことでは全く違う人生を歩むだろう。
その成果は今すぐではなく、数年から十数年の時間がいる。数十年かかるかもしれない。
その時に、成長したと感じるか、変化したと感じるかは試した者にしかわからない。