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哲学:厭世の世界を考える

「どうせ…」「人生はつまらない」「生きていても仕方ない」そういった心理状態に陥いる蓋然性は誰にでもあると思う。

出口の見えない心理状態が持続すると、抑うつ的になり厭世的にもなるものだ。

これまでの「何をしてもうまくいかない」といった体験の連続は自尊心を奪っていく。

ストレスの対処は「闘うか、逃げるか、死んだふり」である。
どれを選ぶかは人それぞれだ。その対処法によって人生が変わることもある。
また、どう対応するかの知識や知恵も人それぞれだ。

能動的推論を含めた推論も関与する。それらを学び、訓練し、修正するとこれまでと違った世界観が現れることがわかっている。

何もせずに厭世観に世の中を見ていても何も変わらないのは事実だ。シンデレラは誰もがなれるわけではない。

ほとんどの人は能動的な意思によって変更を余儀なくされているものだ。

厭世的であることを否定するつもりは全くないけれど、望まない厭世観は辛いものだ。そこから抜け出す方法もある。

思考は不満から始まり満足で終わる。どこまで考えられるかが重要だ。

通常は、考える余地はまだまだあるものだ。