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治療的哲学:真理は逆転させる力があるかもしれない

哲学は真理の探究でもある。その真理にはどんな力があるのだろう。
もし真理に何らかの力があるなら、哲学から見出された真理は、「哲学は何の役に立つの?」といった甘えた質問の答えになるかもしれない。

ぼくは逆境や不調、不運など思わしくない状態からの「逆転」に興味がある。真理はそれらにどう影響するかを課題としている。

たとえば、痛みを改善するにはいろんな方法がある。間違った方法では改善しない。真理から逸れてはならないということだ。

正しい方法(真理)であれば改善するのが痛みだ。

たとえば筋骨格系では、

1)関節が自由に動かなければ、筋肉の運動も自由に動かない。
2)筋肉は関節運動が自由に動かないと、正常には戻らない。
3)正常な筋機能は、正常な関節運動に依存している。4)障害された筋機能は永続的で、異常な関節における悪化要因でもある。

とこういわれる。
これは1964年にJohn McM.Mennellという医師が著書「Joint Pain」の中で述べたものだ。

joint dysfunction

この話は真理であり、経験という試練を60年耐え抜いている。

この真理から外れた方法では、関節の痛みには通用しない。
また、この真理を理解できれば、治療法だけでなく予防方法まで見出すことができる。
その方法は「痛みの改善」という検証に耐え抜くものである。

長引く痛みの改善が思わしくない時、真理から外れているはずだ。別の方法を試してみると改善するだろう。

こうしてみると、真理は現状を変更することができるように思える。
そして、真理を知ることは、問題を解決することだけでなく、新しい分野を生み出すことも可能だろう。うまくいくと「逆転」も可能ではないだろうか。

まだまだ探究は続くがひとつひとつ解決するしかない。

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