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哲学:芸術のこと

性懲りも無くまた芸術について書いてみようと思う。
哲学もよくわからないところもあるが、芸術もそれ以上によくわからないこともある。

S.K.ランガーによると芸術は、「主観的生命の客観化」であるとし、それは「内面的な本質を外に示すことであり、主観的実在の客観的表出である」としている。

だからこそ「形式が感情の本質そのものを表現しているためにそのイメージには感情がこもっている」と述べた。
つまり「芸術作品は、感覚とか、想像力を通して知覚できるように創作された表現形式であって、そこに表現されているものは、人間感情である」と言い表している。

ぼくはこの説明に賛同する。
観察の中で生まれた刺激は感情を生み出す。そこで「不満」が生じれば哲学が生まれ、また、芸術が生まれるのだろうとぼくは思っている。

これまでの様式に対する不満は、新しいものを生み、これまでの視点への不満は、別の視点を生み出していくのではないだろうか。

そのことへの感情は主観的であるが、表現によって客観となる。それを芸術と呼ぶのではないかとぼくは思うのだ。

主観から客観への移行が芸術の可能性を持つように思う。それには普遍的な何かを含んでいるはずだ。

ただ単に「きれい」とか「模倣」に感情の表出はないので芸術的ではないということだ。

なんでこんなことばかり考えるのかというと、自然への感動はいいとしても、人間への敬意や尊重がない者の意見に賛同出来ないからだ。

主観から客観の感情表現には、利己的や自己顕示とは区別された人間への敬意や尊重を感じさせる何かが含まれているように思うのだ。それはマーケティングではなく普遍的なものではないだろうか。

それを理解することの難しさがあるにはある。

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