未来建設者たれ。
ニューロダイバーシティ
(脳の多様性)
現在
「多様性」うたわれる中
様々な分野の少数派から
声が上がるように
朝学の学びも
定期的な「哲学」より
「多様性」について
学ぶ機会も増えた
今朝は
ニューロダイバーシティを
少し学んだ
2006年国連で採択された
「障害者権利条約」
障がいはその本人に
あるものではない。
社会との
相互作用によって
生じたハードルが
障がいである。
という考え方が示された。
この考え方から
「発達障がい」という
名称自体適切ではない
医学的には既に
「神経発達症」と呼ぶ
この事実から
脳の多様性を理解し
「発達障がいという
障がいは無い」
他の人と違う
脳の回路
という事実を理解し
他者との違いは
人の優劣に
ならない
と学んだ
芸術家や学者に
発達障がいと呼ばれる人は
とても多いのは
人と世界の
見え方が違うから
人と見え方が
違うからといって
優劣つけることでもない
障がい者を考える時に
障がいがある人
ない人の二種類に分ける
考えがそもそも間違いで
ゼロか100かではなく
ゼロから100への
グラデーション
同じ人は無く
人によって多種多様であり
誰にでも得意なこと
苦手があり
サポートを誰もが
必要とすることがある
国語では満点をとれても
算数の計算が苦手な人がいます
「算数教えてください」と
サポートを求めることは
恥ずかしいことでは無いです
誰とでも愛想よく
対話することが得意なひとも
運転が苦手なので
「車に同乗させて」と
お願いしたり
冷蔵庫の中をみて
パッとお料理創るのが
得意な人も
お掃除が苦手だったり
誰もが不得意や
苦手があります
小学6年のテスト
オトナ全員が
100点満点で
当然と考えたら
無理が出て来ませんか?
出来なかったら
どこか人より劣りますか?
例えば
有名陶芸家は必ず
どこの大学のテストも
合格点出せるのでしょうか?
例えば
キミの大好きなアイドルは
声楽テストに
合格してるんでしょうか?
人はぞれぞれ
全員違って
必ず不得意とか苦手もある
互いがサポートし合えば
世界は助け合える
「障がい者のために
何かをしてあげる」という
相手を弱者とみなす
上から目線では
人を理解できてない
幼稚な考えだ
もちろん
事実上弱ってるひともいる
すぐ助けが必要な場合もある
正しい理解は必要だ
足が無いから走れないと
勘違いしてはいけないということ
足が無くても
走るアスリートも存在する
目が見えなくても
ピアノが弾ける
ピアニストも存在する
五体満足に
四肢があっても
走れなくて悩み
弾けなくて苦悩する人も多い
そして
誰もがサポートして欲しい
助けが必要なことがたくさんある
日本人の多くの人のクセは
年配者になるほど
「助けを求めることは恥じ」
と考える人が多い
人と比べることが
ダメという考えが
そもそも違う
人と比べ違いを理解し
認め合うことは大切だ
優劣をつけるために
蔑むために比べるのではない
人間そもそも全員違う
できること
できないことはある
互いに助け合う
サポートし合うことは
大切だ
「生きづらさ」は
特別なことではない
全員が抱えることだ
暴力的なひと
優しすぎる人
だって
生きづらさを抱えてる
有名なひとも
無名なボクも
全員おなじく
生きづらさを抱えてる
だからこそ
誰もが生きやすい環境に
ゼロか100の判断や診断に
疑問がある
障がい者と安易に
区別されることも
生きづらい
どこからが障がい?
その線引きは誰が決めたのか
保障をするため
線引きは
必須という人もいた
しかしギリギリ
線引き以下の方は
同じような生きづらさでも
保障されないのか?
とっても繊細な問題だ
安易な線引きは
本当に問題視すべき
そして誰もが
生きやすい
未来へとみんなで取り組もう
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今日の朝学は
地域のおじさんで
新聞からだということで
老眼鏡を鼻までずらしながら
話をしてた
老眼鏡を鼻の先まで落とし
指先であげる繰り返し
気になって気になって
途中で笑いだしてしまった
帰り道に
みんなで喫茶店に行こうと
言い出して
いったん自宅に戻り
着替えて
(パジャマのひともいるから)
集合した
ボクにとっては
とても楽しいドライブだし
嬉しい時間だった
夏休みって楽しい
じゃまたあした
読了ありがとうございます 世界の片隅にいるキミに届くよう ボクの想いが次から次へと伝播していくこと願う 昨年のサポートは書籍と寄付に使用しています 心から感謝いたします たくさんのサポートありがとうございました