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捨てる、やめる、手放す

コロ日4 7日目
2022年7月24日(日)

初夏の風を感じるこの頃。風というかもはや熱風である。夏の昼間は日影がなくて暑さからの逃げ場がなく毎回干からびる寸前みたいな感じで電車のホームに駆け込んでいる。ありがとう地下鉄。

この3ヶ月くらい、なんだか色々あった。なんか怒涛すぎて、なんというか一嵐が過ぎ去ったみたいな感覚を覚える。人生うまく行かないことばかりで難しいけど、なんとか生きているよ。もうそれだけで十分な気がしている。最近は己の煩悩との闘う日々です。でもそんな私も抱きしめて愛していきたいと思います。ありがとう。

ここ最近の色々な出来事に想いを馳せ、改めて私は何かを手放すこと、やめることが苦手だなと思い知る。

大学の時も、部活を辞めるのにめちゃめちゃ苦労した。何かを始めるより、辞める方が難しいんだと知った大1の終わり。人との関係も、きっと始めるより終わる方が難しくて辛くて悲しい。何かとの縁を切るって、それだけ大変なことなんだと思うのね。

世の中、ハイスペ彼氏のゲットの仕方、とか投資の始め方、とかそういうハウツーばかりで溢れているけれど、本当にそこが大事なのかなぁとも思ったりする。いやもちろん、はじまりがなければ終わりはないので、始まりも大切なんです。でもさ、駐車ができないと車が運転できないのと同じで、終わり方がわからなければ、始めてもいけないと私は思うんです。まあそれこそ人生の終わり方、なんて知らずに生きているわけだけれども、そこは一旦置いといて。

個人的には始め方と同じくらい終わり方も大事だと思うんですけど、そういうものを指南してくれるものってこの世に非常に少ない、そんな気がしています。私だけでしょうか、笑

何かをやめること、手放すこと、ものを捨てること、誰かとの縁を切ること、etc…

この世には数多な星の数ほどサヨナラがあるのに、一体私はそのうちのどれほどを経験してきたんだろうなと思う。私はどちらかというと今までそういう何かとの離別を経験したことが少ない方だと思うので、そういうのに弱いのはもしかしたら必然かもしれない。

親戚の葬式にさえ行ったことがなく(行けなかったともいうが)、友達と絶交なんてしたこともなく、別れた恋人とも未だに連絡をとっているような私には、人との縁においては特に、何かとの関係を断ち切ることにとても臆病であると言っても過言ではない。一度繋がった糸が切れるのはとても悲しくて、切なくて、勇気のいることだということを、わたしは23年かけてようやく、身に染みて実感している。

今週、私を今の会社に引き入れてくれた上司に突然8月末で退職すると言われた。なんとなく予想はしていたものの、実際に言われるとなんだかんだとてもショックを受けている私がいて、なんというか、なんとも言えない感情に苛まれている。その上司は若くて、ダメなところも良いところもズバズバと指摘してくれて、まだ20代なのにめちゃめちゃ稼いでいて、これでもかというくらい口が上手くて仕事のできる、そんな上司だった。厳しいけど、それだけ学べることも多くて、いつも助けてもらっていた。誰よりも働いていた人だった。

そんな人が抜けて、私がいくらか引き継ぎを受けなければいけないという状況がとてもプレッシャーであると同時に、こういう別れというものが、やはり例外なく悲しいものであるということを知った。置いて行かれる立場の人はこういう気持ちだったのかなあと前職の人に思いを馳せるなどしてみる。どんな形であれ、心理的にも物理的にも支えだった人がいなくなってしまうのは少なからず私に衝撃を与えているらしい、というのをここ最近の心の浮き沈みを感じて自覚した。

この間サヨナラした人も、最終的には私から縁を切ったようなものだけれど、それは私にとってはとてもチャレンジングで心苦しかったし泣きたくなったので心底これは私には向いてない、もうやりたくないなあと思いました。でも、前に進むには必要な過程だったのだろうとも思うし、もっと上手いやり方があっただろうなぁとも思う。でも、人生最大の悪縁だったと思うから切れてよかった。悪い人とかではないけど、どう頑張ってもどうしても合わない人ってやっぱりこの広い世界にはいるんだね。やはり人生は一筋縄では行かなくて面倒であるというのが私の結論です。

前に母も言っていたけれど、人間、何もしなければ何も始まらないのよな。何も起こしたくないなら何もしなければいいんだけど、それでも何かを求めて何かをしてしまうのが人間のサガであり、つまり人間は暇であり、人生は暇つぶしだということだと思います。なんかこれ前にも書いたような気がする、まあいいや。

そんな感じで暇つぶし人生ですが、やはりたとえ暇つぶしだからといって気を抜いていてはつまらないものになってしまいます。何かを始める限り、終わりも見据えて行かなければいけない。不老不死でない限り、死もやってくる。就活があるように、終活もある。付き合えば、死別か離婚か別れか、何かしらの形でサヨナラが来てしまう。そういう時のために、ある程度ハウツーを学んでいてもいいのかなと思うんですね。もちろん幸せな時はずっと続いていて良い。それが1番の幸せです。でも、いずれ死ぬとわかっているこの人生を一生懸命生きているのも、いずれ終わりが来るとわかっているからではないですか?

終わりがあるからこそ頑張れていることもあるのかなあとも思うんです。だから、せめて終わりをもう少し愛してあげようかなという気持ちになっている今日この頃。
終わりを素敵にするために、もしくは、終わった後を爽やかに幸せに過ごしていくために、私たちは、もう少し終わりについて考えてあげてもいいのかなあ、なんて。

先輩がいつやめても平気なように、吸収できることは今のうちに全部する。次出会う人とは素敵な別れ方が出来る様に、もう少しちゃんと相手も自分も大切に愛してみる。そういうくらしの丁寧さを、もう少しこれからは意識して生きてみます。

よかったら、皆さんも是非。

さて。来週からも頑張ろう、おやすみ。

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