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【コロナ引きこもり日記】18日目

18日目 5月24日(日)

おはよう。

なんて言わずに、今日も柔らかなベッドの上で目覚める。

午前10時半。

今日も、何かに期待して生きていく。
スマホの通知をチェックする。
相変わらず、LINEの通知が来ない。設定ではオンになっているのに。スマホが寿命だ。

すっかり、韓国ドラマにハマってしまった。愛の不時着でユンセリ役をやっていたソンイェジンがまた見たくて、『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』を観る。

典型的な韓国の家社会と男尊女卑、縦社会など韓国の嫌な文化がてんこ盛りだ。韓ドラあるあるな、ギャーギャーと騒ぐ小うるさい母親。セクハラ親父。仕事のできない上司。うんざりする。でも、主演の2人の恋愛模様が可愛くて、ついつい見てしまう。

こうして韓国ドラマを見ていると、絶対に韓国人とは結婚できないなと思う。いくらイケメンでも、むりかも。たぶんね。

母が、朝からなにやら講習を受けている。もちろん、オンラインで。なんの講習かはよく分からないけれど、どうやら自分のしたいことに向かって、着実に歩を進めているようだ。

そんな母の姿を見て、私はひとり、泣きそうになった。潤んだ瞳を隠すように、思わず下を向く。

私の母は、美人で、賢くて、宇宙人だ。

歩くGoogleと呼ばれていたくらいには、物知りだ。知っていない事の方が少ないのではと思うくらい、この世の真理を知り尽くしている。昔から勉強が大好きで、家には図書館かと思うくらい本が溢れていたし、体調を崩してしまうくらいにはハードスケジュールをこなすイケイケのバリキャリだったし、今でも外資系で働くキャリアウーマンだ。その上、容姿も整っているので、びっくりするくらいモテる。今でも20代の男から言い寄られたりするらしい。私でさえないのに。うける。

宇宙人というのは、今は置いておく。たぶん母は、地球での生活に向いてない。

だからこそ。
私からしたら、人からもらうアドバイスなんてもうないでしょ、と思ってしまうくらいの母。

そんな母が、他人の開く講習を受けている。

自分の夢を実現させるために、誰かのアドバイスを貰って、懸命にメモを取っている。

凄いな、と思う。
母は、どんな時も、母だ。
どんなに賢くて、物知りで、知らないことなんてほとんどなくても、驕らずに、他人に助けを求めることができる。人に歩み寄っていくことが出来る。たゆまぬ努力を、することが出来る。

すごい。
本当に、すごい。

ああ。私は、この母には一生敵わないなあ、と思ってしまった。

当たり前かもしれないことだけれど。それが、どれだけ勇気のいることで、大変なことで、大切なことか、いくら私でもわかる。

50近くにもなって、自分の夢を追い求めることが、どれだけ大変か、わかる。覚悟があることが、わかる。

そういうことを全部ひっくるめて、頭の中がそれで一杯になって、わたしは静かに、涙を拭いた。

母とは正反対で、勉強も嫌いで、努力もできずにいつも三日坊主で、いつまでもクソガキで、母の背中ばかり追いかけているような私を、ここまで育ててくれた母。仕事と子育ての両立が死ぬほど大変で、保育園の卒園式で涙を流した母。

そんな母を想うと、胸がギュッとなった。
私は、この人のために生きていきたいと思った。恩返しがしたいと、思った。心の底からありがとうと、伝えたいと想った。

ああ。これを、というのだろうか。

男や女、家族やそれ以外に関係なく、誰かを自分の事のように想って、大切に感じること。誰かを想って、涙を流すこと。誰かの幸せを想って、笑顔になること。そういうことを、きっと愛と呼ぶのだ。21歳にもなって、私は。今更、そんな当たり前のことを、ようやく心から理解した。

ランチには、ハンバーグ。少し柔らかくなった大根を切って、キャベツと合わせて大根サラダにする。玉ねぎのドレッシングをかけて、食べる。英語で言う「食べる」は、eatとhave両方の使い方があるけれど、いまだに違いがよくわかっていない。おいっ英語学科、しっかり!

でも、日本語の方が難しいね。食べる、召し上がる、いただく。敬語難しい。

ドラマを観て、ゆっくりする。

気がつけば、YouTubeで鼻の角栓をとる動画を見ていた。何をしているのか、自分でも分からなくなってくる。

ディナーは、油揚げwithねぎ味噌。分厚い新潟の油揚げを焼いて、ねぎ味噌をつけて食べる。めちゃくちゃ美味しい。ご飯なんていらないくらいには、旨い。

夜。
たまたま、宇多田ヒカルのインスタグラムライブを見る。kohhとコラボしている。

ふたりとも、私の好きなアーティストだ。歌手をアーティストと呼ぶことに未だに若干の抵抗があるけれど、他に適切な呼び方がわからない。

意外にも、kohhは大変コミュ障だ。派手なタトゥーだらけの身体だけれど、全然喋らないし、相槌は小さいし、ボソボソ喋るし、自ら話題を提供することは少ない。大抵、宇多田ヒカルが話を振って、kohhが応える。でもなんだか、それが自然と心地よかった。

何よりも、kohhのやることを全く自然に受け入れている宇多田ヒカルに感動した。きっと、ふたりの本質は似ている。なんだか、そんな気がした。
そんなに話すことは、得意ではない方。社交的にいろんな人と関わっていくのは、苦手な方。たぶん、そんな感じ。だからこそ、気が合う。そして、そういう人の方が、心の奥の芯が強いのだろうな、となんとなく思った。きっと人一倍、自分と向き合ってきただろうから。

ノートを取り出して、韓国語を少し勉強する。ノートの端に、ラクガキをする。人の顔を描くのは、少しだけ好きだ。上手くはないけれど。

ふと、自分の人生に思いを馳せる。

自分の選んだ道よりも、自分の選ばなかった道を思う事の方が、多い。

あの時、アレをしていたら、今の自分はどうなっていただろうか。そう思うことが、最近は多い。

中学生になる時、私は中学受験をしなかった。する予定だった。でも、福島に逃げたのだ。いや、逃げたというよりは、そこに道ができたから、そこに進んだと言った方がいいのかもしれない。

中学受験をしていたら、もしかしたら、美術系の女子校に進んでいたかもしれない。そうしたら、私はもしかしたら、美術の才能に開花して、もしかしたら、美大なんかに進んで、もしかしたら、イラストレーターなんかになって、今とは180度違う人生を歩んでいたかもしれない。

美術の才能なんて、今まで0.000001ミリくらいしか感じた事がないけれど、絵を褒められたことはあったし、あり得なくはない可能性だ。

無駄な妄想だと、分かっている。でも、止まらないよね。でもでも、イケナイコトではないと思う。こうして、自分のあり得たかもしれない可能性を想像することは、人生のひとつの楽しみ方でもある。想像すればするほど、自分にはたくさんの可能性があったんだなと思う。きっと、今もたくさんの可能性がある。私がそのシグナルをキャッチすることが出来るか、うまく波に乗れるか、そこに人生はかかっているのだ。そういうふうに、人は生きている。

もしかしたら、わたしの選択は、間違っていたかもしれない。もっと良い選択肢があったかもしれない。もっと素敵な人生が、待っていたかもしれない。でも、そんな後悔も、別にしても良いかな、と思う。後悔しない人なんて、いないよね。その後悔を糧にして、今日も生きていくしかないのだ、と思う。

唇を噛み締める。鈍い痛みを感じる。
唇の皮を剥く。血が出る。
人生って、そういう感じ。

あまりにも単純で、あまりにも複雑な、この世の仕組み。そのほんのひとかけらを掴めたような気がして、今日は寝る。

ああ。今日も結局、外に出なかった。

おやすみ。




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