アイルランドの異教的伝承「ブリクリウの饗宴」⑪(¶79~¶90)

私が翻訳したアイルランドの異教的伝承「ブリクリウの饗宴」(Fled Bricrenn)をここに掲載していきます。

【前回】


登場人物と用語の一覧はこちらにあります。適宜ご参照ください。


今回は、クー・ロイ王不在の砦にたどり着いた三人の英雄が夜番に立ち、恐ろしい亡霊と戦うくだりです。


¶79

クー・ロイの館の夜番の試練

明朝、三人の英雄――すなわちクー・フリン、コナル、ロイガレ――は、クー・ロイの砦に向った。彼らはその後砦の門の前で戦車を軛から離し、その王城へと入り、クー・ロイ・マク・ダーリェの妻ミンの娘ブラースナッドが彼らを大歓迎した。そしてこの夜、クー・ロイはここにいなかったが、彼は英雄たちが来ることを知っており、東のスキタイの土地への遠征から彼が戻るまで英雄たちに従うように、との助言を妻に与えていた。武器を取ったときから死が訪れるまで、クー・ロイはエーリゥにおいて一度もその剣を血に染めず、またた丸七年間の間エーリゥの食べ物がその口を通ったことが一度もなかった。そのため、彼のいかなる自尊心も、彼のいかなる名声も、彼のいかなる地位も、彼のいかなる怒りも、彼のいかなる強さも、彼のいかなる力も、アイルランドにおいて存在する余地はなかった。クー・ロイの妻は、三人の英雄が満足するように、入浴と洗髪と飲酒の要を満たし、ふかふかの寝椅子を用意するべきであると理解した。

¶80

その後英雄たちが寝る時間になったとき、クー・ロイの妻は、クー・ロイが帰ってくるまで一人一人交替で砦の番をするように、彼らに言った。「そして、クー・ロイが言うには、見張りは年齢の順にするべきとのことです」と彼女。その上、クー・ロイは世界のどこにいようとも、毎夜砦に呪文を唱え、そうすると砦は製粉用の石臼のような速さで回転し、そして日没後は常に門が見えなくなるのであった。

¶81

それから、三人の中で最も年上なので、ロイガレ・ブアダハは最初の見張りに立った。彼は明け方まで見張りの場所にずっと立っていた。そこで彼はその目が見える限り西の海から出てきて自分の方へ近づいてくる影のような亡霊を見た。その亡霊は巨大で、醜く、恐ろしく見えた。それは向かってくるにつれ、天にも届く高さのように思われ、そして彼には(その亡霊の背後の)入り江の後ろの海からのかすかな光しか見えなくなったからである。それは彼に向かってくるのだが、枝の打ち落とされたオークの木を両手にそれぞれ持っており、それらは六つの軛に繋がれた馬と同じくらいの重さであった。そしてそれらのオークの幹は、それぞれが剣のたった一打ちで枝を落とされているのであった。亡霊は小枝をロイガレに向かって投げた。ロイガレはそれをやり過ごした。投擲は二度、三度と続いたが、ロイガレ自身どころかその盾にも届かなかった。ロイガレは槍を投げ返したが、亡霊には届かなかった。

¶82

すると亡霊はロイガレに向けて腕を伸ばした。彼らが武器を投げ合っていたときには間に尾根にして三つ分の距離があったのだが、その腕はとても長く、その距離をまたぎ、ロイガレを掴んだ。ロイガレは体が大きく、そして体格も良かったが、それでも亡霊の手は彼を鷲掴みにした。あたかも一歳の赤子を持つかのように。そして掌の間に挟んで彼を磨り潰した。あたかもフィズヒェルの駒が水路で流されるときにクルクルと回転するかのように。ロイガレが半死半生の状態にまで至ったとき、亡霊は彼を投げ、彼は砦の中まで飛んで、城壁内の館の門のところの糞の山に突っ込んだが、その門は全く開かなかった。他の男たち(クー・フリンとコナル)、そして砦の人びと皆は、ロイガレが夜番の役目を放棄して砦の城壁を跳び越したのだと考えた。

¶83

その日の暮れまで、すなわち夜番のときまで彼らはそこにいて、そしてコナル・ケルナッハが夜番に立った。彼はクー・フリンより年上だったからだ。前の夜にロイガレに起こったのと全く同じことがコナルにも起こった。三度目の晩、クー・フリンが夜番に出た。この夜、三人の「冷たい脂肪の沼地の灰色」たちと、三人の「ブレグの狂った雌牛」たちと、「音楽の力強い手」の三人の息子たちが会合し、この砦を襲撃したのである。そしてこの夜、砦の傍の湖に住む怪物が、人と動物の別なく、その土地の全てを食いつくすという予知がなされていたのである。

¶84

その時クー・フリンは夜番をしており、すこぶる悪い予感を覚えていた。深夜、大きく不快な音が接近するのを耳にした。「おやおや」とクー・フリン。「向こうにいるのは何だろう? もし友人であれば、騒ぎを起こすまい。もし敵であれば、追い出そう」
彼がそうつぶやいた直後、敵が彼に向かって鋭い叫び声をあげた。クー・フリンは敵どもに対して跳びかかり、そのうち九人が死んで地面に倒れ伏した。彼は夜番の定位置に敵の首を持ってきた。ほとんど座らぬうちに、別の九人が彼に向かって叫び声をあげた。同じように九の三倍の男たちが死に、頭と略奪品とが一つの山をなす結果となった。

¶85

クー・フリンが夜明け近くまで立ち続け、疲労と悲嘆と沈鬱が彼を襲ったころ、湖の水が高く持ち上がるのを聞いた。それはまるで海鳴りのような大きな音だった。彼の疲労はあまりにも大きかったため、彼は生来の情熱を抑えきれず、ずっと聞こえているあの大きな音の正体を確かめに行ってしまった。すると彼は見た、己の身を持ち上げる怪物を。それは湖の上に、肘から中指の先までの長さの三十倍ほどの高さに達しているように思われた。その怪物は宙に体を持ち上げ、砦に向かって跳ね上がり、口を開いた。その口は、砦の建物の一つが入りそうなほどに大きかった。

¶86

彼はすぐに〈歩法の技〉を思い出し、高く跳び上がり、篩のごとくに素早く、怪物の周りを回り始めた。彼は怪物の首を絞め、腕を伸ばして肩まで食道に突っ込み、心臓をもぎ取り、地面に投げつけた。そして怪物は重々しく落下した、地面に叩きつけられた。クー・フリンは怪物に剣を突き立て、遺骸を八つ裂きにした。さらに頭を切り落として、見張りの立ち位置にある他の首級と一緒に置いた。

¶87

その後彼はそこで、体がバラバラになりそうなほど疲れ、悲嘆に暮れながら夜明けを迎えた。すると西から影のような亡霊が近づいてくるのが見えた。その亡霊は巨大で、醜く、恐ろしく見えた。それは向かってくるにつれ、天にも届く高さのように思われ、そして彼には(その亡霊の背後の)入り江の後ろの海からのかすかな光しか見えなくなったからである。
「ひどい夜だ」と亡霊は言った。
「お前にとってはもっとひどい夜だ、間抜け野郎」とクー・フリン。
すぐに亡霊は小枝を投げて来た。クー・フリンはそれをやり過ごした。投擲は二度、三度と続いたが、クー・フリン自身どころかその盾にも届かなかった。クー・フリンは槍を投げ返したが、亡霊には届かなかった。すると亡霊はクー・フリンに向けて腕を伸ばし、他の二人にそうしたように、掌の間に彼を挟んだ。クー・フリンは〈英雄の鮭跳び〉を繰り出し、〈歩法の技〉を思い出し、抜き身の剣を敵の脳天に向けた。そして彼は野兎に優るとも劣らないほど素早く動き、空中で亡霊を軸にしてぐるぐると回転し、まるで水車のようになった。
「命をあがなうのは命だけだ、クー・フリンよ!」と亡霊は言った。
「ならば俺の要求を三つ聞け」とクー・フリン。
「よかろう」と亡霊は言った。「一息で全部言えればな」
「いまから俺をエーリゥの戦士の王にして〈英雄の分け前〉を争わず俺のものにして俺の妻を常にアルスターのあらゆる女たちの先頭に立てるようにしろ」
「よかろう」と亡霊はすぐさま言った。すると彼が話していた相手はどこへともなくと消え失せた。

¶88

彼はすぐに、友人たちが行ったあの城壁をも越える跳躍のことを、心の中でじっと考えた。あの跳躍は力強く、その跳躍幅は広く、そして高かったからだ。そして彼は、それがあの二人が自分で跳んだものだと思ったのである。彼は二回跳躍を試みたが、失敗した。
「俺が今〈英雄の分け前〉のために耐えた苦しみを奴が耐えたことの悲しみよ」とクー・フリンは言った。「そして他の二人がやった跳躍を俺が失敗したから、奴は俺の上を行く」
こう考え、クー・フリンは大胆に行動した。彼は砦から投石一回分の距離、後ろ向きに跳躍した。そして着地した場所から今度は前に跳び、その結果城壁に頭突きをかます形になった。また別の方向に高く跳び、そうすると砦の中にいた人々全員からクー・フリンが見えた。そして次に跳んだときは落下して、その狂熱と脚力のあまり膝まで地面に突き刺さった。さらにまた次に跳んだときは、その注意力とその精力と戦士としての偉大さのゆえに、足元の草の先端の滴を落とさせずにやってのけた。彼の技と彼にかけられた魔法により、とうとう彼は城壁を跳び越え、砦の真中、城館の門口のところに着地した。その時の二つの足跡が、かつて城館のポーチがあった砦の床石に、今もあるのである。彼はすぐに建物に入り、溜息をついた。

¶89

そこでミンの娘、クー・ロイの妻であるブラースナッドがこう言った。
「それは恥ゆえの溜息ではございませんわね。名誉と勝利の溜息ですわ」
この「ファルガ人の島*」の王の娘にはわかった、この夜クー・フリンがいかなる苦難を経たのかが。また彼らがこの館で、クー・フリンが殺した二十七人の男たちから戦利品として奪った武器、その首級、そしてあの怪物の首を持ったクー・ロイを見るのもほど遠くないということも。抱えていた首級を床に放り、クー・フリンはこう言った。
「王の砦の見張りに史上最もふさわしい若者がいる」と彼は言った。「この若者はこの一夜、一晩中勝利の中にあった。お前たちが争いに来たもの」とさらに続けて曰く、「目的の〈英雄の分け前〉、それは真に、エーリゥのあらゆる戦士達のものである以前に、まずクー・フリンのものである。もしさらに勇敢な男がいても、その勝利の数には届くまい」
その後すぐにクー・ロイが次の裁定を下した。クー・フリンには〈英雄の分け前〉と全てのゲール人*の戦士の(上に立つ)地位を、そして(その妻には)宴会の場におけるアルスターの女全ての前を歩く権利を。そして7クマル(アイルランドにおける価値単位。女性の奴隷一人分、もしくは乳を出す畜牛三頭分に相当)分の金銀を、クー・フリンが一夜で成し遂げた戦果の対価として与えた。

* ファルガ人の島=マン島。ブリテン島とアイルランドの間に浮かぶ島
* ゲール人=ケルト系アイルランド人

¶90

その後彼らはクー・ロイに別れを告げ、三人は日暮れ前にエウィン・ウァハにたどり着いた。彼らが食事と話し合いをする時刻になり、給仕が食べ物や飲み物を配る前に〈英雄の分け前〉を飲み物と一緒に脇に置き、戦士達はもう一方の側に寄った。
「私には確信していることがある」とドゥブサッハ・ドイルチェンガが言い出した。「今夜お前たちは〈英雄の分け前〉を争うことはない。お前たちが頼りにした者が、それを誰に与えるべきか決めてくれたからな」
これを聞いてクー・フリンを除く英雄たちは彼に言った、〈英雄の分け前〉はクー・フリン以外の者にしか与えられることはない、と。彼らがエウィン・ウァハに着いたときから、クー・ロイが彼らに下した裁定に関して、そのうちの一切何も、彼らはクー・フリンに対して認めていないのであった。すぐさまクー・フリンは言った。自分は争ってまで〈英雄の分け前〉を欲しがってなど全くいない。なぜなら、それから得られる利益は、それを追う重荷に比べてまで望ましいものではないからだ、と。このため、給仕は〈英雄の分け前〉を誰かの前に置くこともできず、戦士達はエウィン・ウァハで盟約を結ぶこととした。


【続く】

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