【ユンゲフライハイト紙】善い人と怒れる市民のあいだで: 破壊された言葉

2020年4月16日 

Thor Kunkel『嘘つきメディア語辞典: ドイツ語-嘘つきメディア語/嘘つきメディア語ードイツ語』

何かがドイツでは変わってしまった。移民やイスラム教や気候危機の原因などの社会的現実について、公共の場で語ることが不可能になってしまったのである。この非公式の発言禁止は、全土にわたる意見の画一化につながっている。それからというもの、根本的な非宥和的な雰囲気によって、議論が妨げられたままである

この国は二つの分断された世論の部分へと引き裂かれており、それは政治的に正しい(ポリティカル・コレクトネスにのっとった)言葉の使用に関連して、二分されている。一方にいるのが緑の党ー左翼的な使命感に賛意を表するような「善い人」として嘲弄される人々がいて、もう一方には、もともとのドイツ人が自分自身の領域において主権を行使することができず、ただの飼いならされた政治的な消費者の役割しか果たしていないことを甘受しようとしない「怒れる市民」がいるのである。

この後者の集団は、2019年の州議会選挙以来、「ナチ界隈」であると見なされている。そこに数え入れられた人々は、法の庇護のない人々であるとされて、たいていはメディアによって拡散された虚偽の誇張された弾劾によって、その社会的、経済的な存在基盤を根底から揺さぶられ、悪魔化されるのである。そのような降霊術の影響は、ゆっくりとではあるが効果をあげている。というのも、一度でもインターネット上において晒しものになった人は、ずっとそのままになるからである。

方法はますます緻密になっている

2019年のAllenbachstudieおよると、78%にも及ぶドイツ人がこのような危険を感じていて、特定のテーマについて「自由に発言する」ことを意識的に避けているのである——ホーネッカーのドイツ民主共和国であれば典型的なことだったであろうが、21世紀のドイツにおいてというのだから、まるでホラーである。ドイツ民主共和国で公民権運動にたずさわったBärber Bohleyのことを、ここで思い出すとよいだろう。彼女は、東ドイツにおける方針転換の直後にすでに、シュタージ〔秘密警察〕のような手法が戻ってくることに警句を発していた。シュタージよりも緻密で効果的に効果を発揮するような仕組みが生み出されることだってありうるのだ。またあらゆるものの輪郭を不透明にするような霧、恒常的な虚偽や嘘の情報が再び戻ってくるのである」。

実際に方法はより巧妙で効果的になっている。事実として暴力犯罪や移民政策について正しい発言をすることによって、ほとんどのドイツ人の場合、物理的な居心地の悪さが引き起こされることになるのだ。これはまるで時計じかけのオレンジという映画において、ルドヴィゴ療法を強制的に受けた後には吐き気を感じるようになった闘士の状況に似ている。

この論文を書いている筆者本人でさえも、21世紀初頭のドイツにおいて自らの生活状況について情報を開示するために、「仮面を被せた」作品を執筆しなければならなくなるとは、1990年代には決して想像できなかった。さらには、このような状況は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を想起させるものであるが、ただしそのことに気付いているのは、メインストリームから逸脱した意見に対してオープンである人々だけなのである。

システム的に駆動しているイディオムの心理的内面化

リークされたドイツの規制メディアにおける言語使用の内部規則は、フランク=ヴァルター・シュタインマイアー大統領が要求している「言語の規律化」と一対一で対応している。緑の党=左翼的で人道主義・社会主義トップの人々は、あらゆる次元において、その好例として突出している。たとえば、あるギムナジウムの校長が保護者への手紙において「(女子生徒の)ミニスカートは、(難民の)誤解につながるものだ」と書いていたり、ある市長はケルンの大晦日の出来事について、「見知らぬ人々にはあまり近づかずに腕の長さほどの距離を保っている」いるのが女性にとって好ましいのだ、と警告をしてみたり——まるで傷つけられた女性の方が犯罪者の方を誘惑したかのような口ぶりなのである。

より深刻なことは、体系的に駆動しているイディオムや語場の病理的な心理的内面化であり、それは憂慮すべき認知の歪みにつながることである。というのも言葉は――あらゆる言葉は――思考の媒体であり世界理解そのものの基盤であり続けるからである。誰かが自分の言語を勝手気ままに傷つけて、その貧困化や陳腐化を歓迎すれば、その人の精神的地平は不可避的に狭いものとなっていくのである。その人の思想の変動幅は狭くなり、活発な意識であっても、政治的に正しい「上層部の人々(テュービンゲンの市長ボリス・パルマーがエリート民主主義の形成者と呼んだような)」の言葉遣いが自分の思想にとって代わってしまったような、洗脳された意識になってしまうのである。

雲掴むような曖昧なスローガンとこん棒のような粗雑な概念

御用国家的なメディアによって促進されるドイツ語の幼稚化(かつて世界の言語のうちでもっと厳密なものの一つであった)は、グロテスクなほどの規模に達している。ドイツの新聞どもを一目見れば、それが明らかである。そこにあふれかえっているのは、内容の空疎な言葉、(概念の転用という意味で)虚偽の言葉、真理未満の美辞麗句、阿諛追従の言葉、月並みな決まり文句、言語学上の単純化、論争のためだけの概念であり、それらはいつだってすべて同じような「左翼への教育的意図をもった」議論の型であって、その型によって人々の思考は「規律」され、いうなれば考えることそのものが、そこから排除されているのである。

これはせいぜいは言語上の正常病か、あるいは強制的な順応としかいい得ないものであって、それが誰しもによって感じられる信条の抑圧につながっているのである。中立的報道への義務によって、操作者たちはプロクルステスのベットをつくり上げたのである。つまりは、彼らの考える現実に合わないものは、すべて切り落とされるのである。イデオロギー的に正しい尺度に適応しようとしないものについては、打ち倒されるか――あるいは首を絞められるのである。より悪いことは、操作者たちが――刑罰的な仕方で――彼らのあやつる雲をつかむような曖昧なスローガンとこん棒のような粗雑な概念(人種差別主義的、性差別主義的、イスラム嫌悪的、ファシスト的などなど)で敵対者をすぐさま圧殺して、評判を落とそうとすることである。最近流行りなのは、軽蔑的な言葉の強引な投入である。

たとえば、「昔ながらの(老人の)白人男性」という言葉が、どれほど否定的に響くかを考えてみればよい。ほとんどの人々は、まるでこの忌み嫌われる人間類型に数えられるのを恥じるのである。このような物怖じをせずにずけずけとものを言うことを大人たちに禁じている信条の独裁のうちに痴呆化の仕組みを認識するために、言語学者である必要はない。こういったことがなおも拡大していくであろうことは、残念ながら、政治的な活動家として活躍している今日のジャーナリストたちの不誠実な職業理解から明らかである。彼らが心得ているのは、ただ誇大宣伝か、標的を絞った抑圧だけなのである。あいまいな調子や分析――そして間違った報告。彼らがやろうとしているのは生物学上のドイツ人に対するエスニックな差別であり、彼らが気にかけているのは、自由な作家たちが社会的に破門になったり、職業的に追い出されることだけなのである。

著書からのいくつかの試し読み

他に選択肢はない(Alternativlos)

別の選択肢となる解決が、自らの存亡を脅かすほどに説得的であること。「だからこそメルケルは仕事を続けていくのである。彼女は、いま自分に代わる別の選択肢がないこと知っているのだ。彼女自身が、ギリシアの財政的救済のプロセスにおいては、〈他に選択肢はない〉を、2010年におけるその年の不快な言葉に推挙していた。ヨーロッパの協働を保証していくために、その救済は必要不可欠に思われていたのだ」。ARD Hauptstadtstudio, 20. November 2016

多彩な人々による抵抗運動(bunter Protest)

統一的な黒い洋服を身につけた投石者による内乱のような攻撃のこと。「数千人の人々が土曜日に、多彩な人々による抵抗の隊列をくんで、街中におけるネオナチの行進に対して、ほとんど平和的にデモを行った。〔…〕700名の暴力も辞さない左翼のスペクトルからのデモ参加者が当局に面倒をかけただけでなく、警察とのにらみ合いをおこなった。彼らは封鎖を突破しようとしたり、B3を封鎖したり、瓶や爆竹を投げた。警察は催涙ガスや警棒を投入した。当局によれば、警察官に4人の軽傷者、デモ参加者に若干名の負傷者が出た」。Schwäbisches Tagblatt, 3. Juni 2017

難民(Geflüchtete)

性別に中立的に「難民(Flüchtlinge)」を表現するための最新の概念。「興味深いのは〈難民(Flüchtlinge)〉という言葉が、厳密に見れば政治的に正しくないものとされていることである。そこで問題となっているのは、意味からすれば女性でもありうるはずの人間をあらわす表現に、男性名詞が使われていることである。〔…〕〈難民(Geflüchtete)〉は、それに対して、すべての〈ジェンダー〉に適用できるのである」。Berliner Zeitung, 17. Dezember 2015

ナチ(Nazi)

変遷しつつある概念: かつてはドイツ国家社会主義労働者党の党員とアドルフ・ヒトラーの支持者のことであった。今日では、左翼的なメインストリームを支持しない人々のことである。「ドイツのための選択肢の党員は、実際にナチなのだろうか」。FAZ, 10. Juni 2017

多元主義的社会(Pluralistische Gesellschaft)

生物学上のドイツ人がますます少なくなっていく社会のこと。「今日の多元主義的な社会では抗争を避けることができない。〈あらゆる平和的に為される抗争は、むしろ協働を強めるものである〉。Treibel-Illianはこういう問いを立てている。移民を背景とする〈新しいドイツ人〉は、どれだけ長い間この背景を保持しなければならないのか。いつから彼らは〈古くからのドイツ人〉に数え入れられることになるのだろうか」。swp.de, 30 Januar 2018

実行犯の身元は不明(Täter unbekannt)

犯人の身元は不明、不必要に国民を不安にさせる情報。「22歳の男が、日曜日の夜にケーテンで、身元不明の複数の実行犯によって、殴られ、あしげにされ、ナイフで攻撃された」.。Mitteldeuscthe Zeitung, 2. Oktober 2017

https://jungefreiheit.de/kultur/literatur/2020/zerstoerte-sprache/



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