2022年5月 - 今月のスナップとエッセイ
部屋着を半袖にした。扇風機を回して寝る。明け方は、少し肌寒く、蹴飛ばした布団を手繰り寄せる。窓から差し込む朝日は、ずいぶんと早起きだ。わたしも心なしか早く目が覚める。
外を歩けば、紫陽花の葉が青々とし、蕾を膨らませていた。ところどころ、色鮮やかな花を咲かせている。
もうじき梅雨がやってくる。
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毎月25日くらいになると「そろそろアレ、書かなきゃな…」となる。アレとはコレである。さあ、今月も写真を撮って、文章を書きますよ!
怒涛の5月だった。よく遊んだし、よく撮ったし、よく書いた。
そのせいか、溜まった未現像の写真が何千枚も散らばっている。それを横目に、今夜も頭を抱える。呼吸するようにシャッターを切り、愛機のX100Fは9万ショットを迎えようとしていた。
そのせいではないが、今度は右足が痺れている。
手のしびれが治った矢先の出来事だ。病院へ行きレントゲンを撮ると、ヘルニアは除外された。
どうやら、膝近くの腓骨神経を傷めたらしい。「回復には半年くらいかかりますよ」と、何度も耳にした言葉。神経障害では、必然的な答えだろう。数か月前、肘に言い聞かせたものを、今度は、足にも言い聞かせる。ねえ、主治医。今度は足だって、笑ってよ。
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さて、冒頭のとおり、今月は遊びに遊んだ。
ゴールデンウィークは夫と滋賀へ行った。最大10連休と言われるなか、わたしたちは3連休だった。
なに、地球の裏側に行かなくても、素敵なところはたくさんある。それを探すのが、わたしの得意技だ。
旅エッセイは、下の記事をご覧いただきたい。
このnoteでは、列車からの車窓を。とても天気の良い日であった。
滋賀は、わたしのお気に入りの場所だ。街並み、言葉、人柄。ひとり旅したときに感じた心地よさを、今でも思い出す。そこに、夫と行くことが出来た。こうやって少しずつ、一緒に日本地図を埋めていきたい。
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週末はとにかく忙しかった。忙しくて、楽しかった。
中学の同級生に会いに地元へ。大学時代からの友人に会いに埼玉へ。また、その頃から付き合いある別の友人も、静岡へ遊びに来てくれた。
毎週末、様々な人に会った。この2ヶ月で、会いたかった人に、だいぶ会えた。
埼玉で再会を果たした友人が、美味しい朝食を作ってくれた。昼間は、一緒にコアラボートに乗り、川越を歩いた。足漕ぎボートなんて、20年ぶりくらいだろうか。幼心を思い出すようで、楽しかった。
わたしたちの出逢いは、SNSだ。元は、同じミュージシャンが好きで、それ繋がりだった。次第に深い話をするようになり、死生観が似ていると、気がついた。共鳴する感性を共有して、今に至る。
彼女と、「じゃあ、またTwitterでね」と、大宮で別れた。自分で言って、笑ってしまった。
たまにしか会えなくても、お互いの近況は知っている。
お互いの近況は知っていても、会いたいと思う。
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月末には、フォトウォークで、熱海へ向かった。わたしが参加しているオンラインコミュニティ“Comodo”のメンバーとである。初めて会う方が多かった。しかし、そんな気がしないくらい和気藹々とした空間が、心地良かった。
スナップ好きが集まり、各々に写真を撮っている。最高だった。この時代だからこそ繋がったご縁に、感謝である。あ~現像が追いついてない!
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これだけあちこちに出掛けていると、働き始めた頃を思い出す。
社会人1年目。知らない街でひとり暮らし。
恋人もいなくて、お金も時間も全て自分のもの。こんな経験は、人生で初めてだった。
平日は、がむしゃらに働いた。週末は、ほとんど家におらず、連休があれば、最終日の夜中まで遊んだ。ライブハウスに通い、友達の家に泊まり、ひとり旅も飽きることなく行った。
それでも一晩寝れば、次の日は元気に働けた。むしろ、仕事のことは綺麗さっぱり忘れて、思い切り遊んでいたのが、良かったのかもしれない。
数年経った2022年の今。最近は、どうも疲れが抜けない。土曜の晩に飲みすぎれば、日曜日は夕方まで起き上がれない。日曜の晩まで出掛ければ、月曜日は寝不足で頭がくらくらする。
かといって、平日の夜は目が冴えて眠れないし、そんな日が続けば代償のように半日眠り続けてしまう。規則正しい生活とは程遠く、もう少し丁寧に生きたい所存である。
昔話ばかりするのも、面白くないが…。
だが、確かに、あの頃はもっと遊べた。「今しかない!」と生き急ぐ。その姿は、周囲からすれば、何かにとりつかれているようであっただろう。
数年前より、無理ができないことに寂しさを感じる。でもね。あの時、全力で遊んで良かった。あの時間があって、本当に良かった。本当に、本当に、そう思う。
だって。人生は1度きりだから。
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10年来の友人との会話である。彼女とは、前述の“生き急いでいた時期”をともにした仲だ。
わたしたちは、学生から社会人となり、世間でいう“大人”になった。お互いに、思考も感情も変化していく。それを「大人になったね」と笑い合った。20代半ばのことである。
おかしなことに、数年経った今でも、事あるごとに「大人になったね」と言い合っている。アラサーになっても、いつの時も、同じ話をしている。わたしたちは、「大人になったね」を繰り返している。
「わたしたちは、大人の階段をのぼっているのではなくて、人生の踊り場で喋り続けているだけではないか」
そのような話をした。人生の踊り場、素敵な表現だ。大人と呼ばれる境界なき曖昧な人間は、いつの日も、大人であり、大人ではないのかもしれない。
それなら、人生の踊り場でずっと話していよう。いつの日も「大人になった」と無邪気に笑って、年をとれたら、それ以上に幸せなことはない。
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「今日は、すっとゴロゴロしてたねえ」
夕方、薄暗いリビング。夫が洗濯物を取り込む音で、目が覚める。ソファという二日酔いの船に乗り、夢の波間をゆらゆらしていた。もう、こんな時間だ。
いい“大人”が何をしているんだと、ため息をつく。しかし、不思議と悪い気はしない。
「うん、でもよく寝た。気持ちよかったよ」
あの頃のわたしはもういないけど、今のわたしなら、ここにいる。
過去を愛し、変化を受け入れ、今を見つめて生きる。そう簡単ではない。こんな時代だと嘆きながら、先を恐れ震える日々に、自分を奮い立たせて生きる。そう、簡単ではないのだ。
しかし、どんな時も今が1番若い。それなら、今、出来ることを精一杯やる。それがきっと、未来の自分に繋がるから。そう信じたい。
そう信じなきゃ、やってらんないよ。
わたしは今日も、人生の踊り場で、舞っている。
今しか撮れないもの。今しか書けないもの。それを表現するのが、精一杯。しかし、それらが、誰かに響けばいい。そう願い、今日もシャッターを切り、筆を執っている。来月も、同じ想いで、生きていきたい。
それでは、良い写真生活を。
■去年の今頃思っていたこと
■今月のスナップとエッセイ
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