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時空を超えたきみが愛しくて仕方ない

「憎まれて 世に憚るは適役 憚りかねて 今は冥途」

江戸でやらかして、遠く松前(北海道)にたどり着いた。でもその松前にもいられなくなり、こうして冥途に向かっている。

江戸時代、坂東秀蔵という人が遺した辞世の句です。先日読んだ本の中に出てきて、この句のセンスの良さに脱帽しました。

歴史は堅いものであると、歴史好きの私でさえ思い込んでいたようです。過去を生きた人々は、教科書といういわゆる公式の場面に登場するような、重々しいだけの存在ではありません。普通に生活して、おしゃべりしながら笑って、しょうもないことで誰かと喧嘩して、ご飯を食べて眠りにつく。現代を生きる私たちと同じような「当たり前の日常」が流れていたということに、改めて気づかされました。

教科書だけで捉える「歴史」というものは、ひどく味気ないものです。偉人や英雄たちが繰り広げる物語も面白いですが、「誰が何をした」ということだけの文面に、登場人物そのものの人格を感じることは少ないと思います。

これは、教科書や研究で大切にされているのが「事実がどうであるか」であることと関係しているのでしょう。もちろん、それは大切なことです。学問の世界では、感情ではなく事実が重視されるべきことですからね。

でも、そんな「事実」を見つけていく過程で、当時を生きた人々の息遣いを感じることができる。これが、歴史学で最も楽しいことであると私は考えています。

専門書や論文では、たいていこのような「息遣い」は消えています。史料を引用する時は「民衆はこう述べているから、〇〇ということが考えられる」のように淡々と扱われることが多いため、記録そのものが持つ生きた感動は失われているものです。なぜなら、専門書や論文は「事実」を伝えることが目的だからです。

とはいえ、とっつきやすい一般書も、当時の臨場感を掴むには不足しています。例えるなら、小説を読んでいる途中、または映画を見ている最中にいちいち解説が入るのと同じ状態。現代語の解説とともに意識が現代に戻ってしまうため、当時の様子にドップリ浸かることはできません。

一次資料(大雑把に定義すると、当時の人が書き残したもの)とは、大抵地味なものです。「歴史は堅いものである」という、学生時代に叩き込まれた概念のもとで読む「ツマラナイ」もの。その中から、当時の人の思わぬひょうきんな一面や人間臭い行動にぐっと引き付けられ、親しみを感じるのです。

私は大学時代、日本近世史(主に江戸時代後期・幕末)を専攻しました。卒業論文を書くために、庶民の暮らしに関する史料をたくさん読み込みましたが、史料から浮かび上がる人々はみな生き生きと、たしかな息遣いでこちらに語りかけてきてくれたのです。その例をいくつかご紹介しましょう。

日本人は、何事も規則に従って一定の時におこなうらしい。朝昼晩、三度の食事はすべて同じ時刻に食べる。一年に四回、同じ日に衣替えをする。ある日はみんな忙しく魚を乾しているかと思うと、ある日は女たちが織った布を干すことになっている。そればかりではないらしい。というのは、今日は一人残らず風邪をひいている。きっと政府の命令によるのだろう。

これは、幕末に来日したヒュースケンという青年が書き残したものです。(ちなみに、彼は初代米国総領事ハリスの通訳官でした。)

この史料では、日本人がみな規則に従う様子が皮肉たっぷりに記されています。内容自体は、さほど興味を引かれるものではないかもしれません。しかし、書き手のユーモラスな性格が伝わってきませんか?

また、こんな史料もあります。

この絵の舞台は、幕末の土佐藩(高知県)で、吉田元吉という藩のえらい人が暗殺された様子。庶民の間では、この事件をを風刺した謎かけが出回りました。

「吉田元吉とかけて腐った鯛と解く 。(その)心は、やくと頭かをちる」

「腐った鯛」は「焼くと頭が落ちる」
「吉田元吉」は「やっと頭が落ちる」(暗殺されて晒し首にされたことを風刺しています!)

吉田元吉は庶民から嫌われていたらしいですが、それにしても、中々キツイ表現ですよね!それが痛快で、思わず笑いが溢れてしまいます。

いかがでしょうか。当時を生きた人々の息遣いが伝わってきませんか。歴史の本や論文で引用されているものを読むだけでは、この臨場感は伝わりにくいものです。

専門書や論文、教科書では論理的に伝える必要があるため、内容が難しく感じられるでしょう。そこから当時の情景を思い浮かべるのは難しいかもしれません。しかし、そんな難しい本などの元になっているのは、先ほど挙げたような史料たちなのです。星の数ほど残されている史料の中にはもちろん堅いもの(政治関係の書類など)もありますが、民衆に出回っていたものや個人の日記、私的な書き物などからは、驚くほど鮮やかな人々の感情が綴られています。読んでいると、思わず「そんなことある?」とツッコミたくなってしまうこと間違いなし。何百年も前の人のはずなのに、近所に住んでいる友人であるかのような不思議な感覚に包まれます。

原史料に触れ、その世界感にどっぷり浸れるようになったら、あなたはもうその時代の住人。いつでも好きな時にタイムスリップして、当時の人と楽しく会話ができるのは、専門的に歴史を学んだ人の特権かもしれません。

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☆参考文献
・関根達人『墓石が語る江戸時代』吉川弘文館、2018年
・ヒュースケン著、青木枝朗訳『ヒュースケン日本日記』岩波書店、1989年
・高知県立歴史民俗資料館編『幕末維新土佐庶民生活誌』高知県立歴史民俗資料館 、2010年

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