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21世紀の歴史学のあり方について~なぜ「異性装の日本史」展は若者受けがよかったのかを考えてみた~

渋谷にある松濤美術館で開催された「異性装の日本史」展は若者からの人気が高いと、朝日新聞の記事で書かれていたことがあります。

日本史の展示に若者?実際に行ってみると、展示方法に大きな特徴がありました。歴史に興味のない層に、何が受けたのでしょうか。今回の記事では、「異性装の日本史」展が若者(歴史に興味のない層)に人気だった理由を2つ挙げるとともに、そこから考えた今後の歴史学のあり方について考察しました。

1.キャプションが少なかった

私はよく博物館・美術館に足を運びますが、今回の展示は際立ってキャプション(展示品の解説)が少なかったなと感じました。

歴史好きの視点からすれば、正直物足りなかったところもあります。突然説明もなく出てきた浮世絵などに、「描かれているものの背景はなんだろう?」「前後の展示物との繋がりは?」などと困惑してしまいました。しかし、歴史に興味のない層にとってはむしろこれがプラスに働いたのではないでしょうか。真面目な人ほど、キャプションをすべて読もうとして疲れてしまうのかなと気が付いたのです。前提知識がないと、キャプションのすべてを理解できないこともありますよね。それで嫌になってしまい「博物館は難しいし疲れる」と足が遠のいてしまっているのでは?

その点、今回の展示はキャプションが最低限に抑えられ、その分展示品そのものと向き合う時間が多かったように感じます。先入観となる情報がない分、展示品と自分自身とを結びつけて鑑賞できました。例えば私の体験だと「葵上」の絵巻物を見たときは、それにまつわる歴史事項よりも先に高校時代の古典の授業を思い出しました。源氏物語を習った時の教室の雰囲気や先生の特徴ある声質などが蘇り、頭で考えるのではなく、展示を通して過去の感覚を再度味わったというほうが近いかもしれません。

普通のキャプション多めの博物館に行くときは、どうしてもキャプションを読んだ上で「これは後のこの出来事に繋がっているやつだよな」とか「こんな背景があったんだ!」など、あれこれ考えを巡らせていることが多いので、今回のような知識を与えるのではなく、自分自身との対話を促すような展示設計にとても感銘を受けました。他の来館者も、私のように古典や歴史の授業を思い出したり、展示のテーマであるジェンダー問題と展示品をそれぞれ自分の中で結びつけたりして、それぞれ「歴史」と「自分自身」合流点を見つけようとしたのではないかと感じています。

2.「現代」が占める比率が高かった

松濤美術館は決して大きな美術館ではありませんが、その中で異性装にまつわる通史の展示をしていました。この広さで通史を……!と驚くと同時に気づいたことは、展示スペースの1/4は昭和から現代にまつわる展示に割かれていたこと。この比率の高さこそが歴史は現代に繋がっているというメッセージに繋がり、歴史に興味のない客層を引き込むことに成功した理由のひとつではないかと考えました。

私たちが一番多く歴史に触れる場面は、学校の授業です。そこでは、歴史は終わったものとして扱われます。内容も暗記ばかりで、これだけでは歴史に親近感を覚えるのは難しいでしょう。実際、歴史なんて学ぶ必要があるのかという声を聴くことも多く、歴史は現代の諸問題と密接に結びついているという理解はまだまだ浸透していないと感じています。

そこをこの展示では、現代と現代に近い時代にスペースを大きく割くことによって、歴史と現代社会をより生々しく結びつけることに成功したのではないでしょうか。来館者は通史形式の展示を見ながら自分自身と深く向き合って進み、現代までたどり着きます。その道のりで「どういう歴史背景があって今の状況があるのか」を理解したのと同時に、ジェンダー問題を「自分ごと」として考えるための土台ができたように感じました。

だから、展示を見終わったあとの会話では「こんなことを学んだ」というのに加え「これを見てこう思った」という自分の考えが出てきた人も多いのでは?博物館から来館者に教育するのではなく、来館者それぞれに思うところがあり、そのどれもが正解になる、まさしく多様性と個性が許された展示方法が、自然と若者の興味をそそったのかもしれません。

まとめとそれから

今回は、松濤美術館で開催された「異性装の日本史」展が若者の人気を集めた理由として、

1.キャプションが少なく、展示品を通して歴史と個人の経験を結び付けられるような展示方法だった
2.展示において「現代」が占める比率が高く、歴史と現代社会は繋がっていることが分かるような展示だった

の2つを考察しました。

多くの博物館・美術館に訪れたなかで、これほど多くの同年代の人とともに鑑賞する状況は初めてです。普段博物館などに行かなそうな人たち(偏見ですが)と並んで同じものを見たという状況が嬉しくて、涙が溢れそうになりました。

私は現在、パブリックヒストリーという分野に興味を持っています。パブリックヒストリーとは簡単に言うと、学者(専門家)が研究室から出て、民間の人と一緒に歴史を「する」こと。歴史もののコンテンツや博物館のワークショップなど、パブリックヒストリーに該当するような取り組みは様々ですが、私はこれを大衆に還元されるような歴史一緒に楽しむ歴史と認識しています。

私は常日頃、学問の世界はカジュアルに楽しめるものであると伝えたくて発信しています。普段の投稿でテーマに選ぶことが多い「歴史」「図書館」などは敷居が高い、自分には関係ないと思われがちですが、扱い方さえ分かれば誰でも気軽に触れられるものなのです。今回の展示は、歴史と大衆の距離を縮めたという点において非常に価値のあるものだったと感じました。

以前読んだ論文で、「歴史の役割の変化」として過去と現代を比べたものに、60年代は「歴史を知ることは日本や世界の成り立ちを学び、さらに日本はこれからどのような国になるのかを学ぶことだ、とされていました」とありました。しかし現代は、「歴史は個人のために役立てなければならない」という価値観に変わってきているとのことです。

歴史を学ぶことは「国家から個人へ」、「将来の国家を作るために知らねばならないこと」から「心の充実感を得ること」に重点が移りつつあります。

今井雅晴「流行語「歴女」と「仏女」にみる現代社会の動き」『親鸞の水脈』真宗文化センター編(8), 27-37, 2010

これは、上の世代が「日本国民の共通認識」として歴史に触れてきたのに対して、現代の若者は「歴史を通して自分を知る」ということに重きを置いているといえるのではないでしょうか。歴史を学ぶことの意義を、自分自身や社会現象を内観することに見出しているのです。だからキャプション(説明)が少なく、現代社会が抱える問題に対して来館者自身に問いかけるような今回の展示が受けたのではないでしょうか。

歴史は上の世代のたしなみのような風潮がありますが、今回の特別展の様子から、若者も歴史に興味を抱くポテンシャルを持っていると感じました。しかし、若者の歴史の楽しみ方は、上の世代の方々とは違っています。ですが魅せ方を変えるだけで、こんなにも興味を引きつけられるのです。歴史のおもしろさを広めたいと思っている身として、腕が鳴ります!

この記事が、展覧会の詳細を知りたかった人、また私と同じように歴史と大衆の関わりに興味を持っている人のお役に立てますように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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