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税について考える学生たち

こんにちは。雪墨です。
今回は私が感じた違和感について短めにお話しようと思います。



今日は天気が良かったので近所の街を散策してきました。散策の途中、ふらっと立ち寄ったある公共施設


その中に入ると、一画だけやけにカラフルな壁が…

そこには税という文字が描かれた絵が沢山飾ってありました。どうやら今は税を考える週間のようです。
https://www.nta.go.jp/about/introduction/torikumi/week/aboutweek.htm


私も中学生の頃、参加賞の文房具欲しさに税に関する作文を書いた覚えがあります。「懐かしいな」と想いながら、小中学生が描いた絵を眺めていました。

展示してある絵はどれも賞をもらった作品のようで、私が描く絵なんかよりよっぽど素晴らしい絵に見えました。


約30枚ほどの絵を最後まで見終わったときです。
私が違和感を感じたのは


「税に対して肯定的な作品しか無い…」


私が見た絵は「私の税がみんなを支える」や、「税が支える幸せな暮らし」のような文字が描かれており、少し怖いくらいに全作品が同じ方向を向いていました。

気になった私は、家に帰って税の作文の入賞作品を調べ、数年分読んでみましたが、私の予感は的中。

やはり、肯定的な意見しかありませんでした。


中には税のありかたについて考える内容の作文もありましたが、その作文も最後には税を肯定するような言葉で結論づけていました。

ここで勘違いしてほしくないのですが、私は今の税制が間違っているとか、そういう話がしたい訳ではありません。

ただ、「税を考える週間」と題しておきながら、国税庁が提示している参考資料や、学生の作った入賞作品のほぼ全てが現状の税を肯定する内容であるということに違和感を感じたのです。

「これのどこに税について考える余地があるのだろうか…」

申し訳ないですが、私には、税に対して肯定的な印象を他人に与えるためにはどのようなイラスト・文章が好ましいのかというコンテストのように見えてしまいました。

もちろん上記の意見は全体を見た時の意見であって、作品を個別に見ると、文章力や比喩表現、構成まで、今私が書いている文なんかよりはるかに上質で面白い文章ばかりでした。


本題にもどります。


「何故賞をもらった作品には肯定的な意見しかないのか」これについては大きく二つの場合が考えられるでしょう。

一つは入賞できる実力を持った学生が全員肯定的な作文を提出したケース。
二つ目は、否定的な意見かつ素晴らしい文章を書いた作品も存在したが、賞は貰えなかったケース。

ここではあえて私の意見は言いませんが、どちらの理由にせよ、これが健全な状態ではないことは間違いありません。



ここまで書いて思い出したのですが、たしか私も税の作文では肯定的な文章を書いた覚えがあります。本屋で税金に関する本を買い、母親と一緒に読み、それを基に書きました。

私は参加賞の文房具目当てに作文を書いたのだと思っていましたが、それにしては少し張り切りすぎているような気がします。
(提出すれば全員がもらえる文房具のために本まで買うだろうか…?)


もしかすると、私が税に関する作文を書いた理由は文房具のためだけではなく「賞を貰って、先生や両親に褒めてもらいたかったから」かもしれません。


そして、中高時代より少しだけ年をとった今だから言えることですが、
一見優秀にみえる学生というのはこのようにして出来上がるのかもしれません。

「集中力や知識量には優れているが、人に言われたことしかできない」
「要求や問いに対する答えは導き出せるが、問い自体を自分で作り、考えることはできない」

そんな人間はAIや機械に淘汰されてしまうだろう。

今、世間ではこのような情報,意見を沢山目にします。

また、高校や大学時代では成績優秀だった人間が、就活や社会で急にうまくいかなくなる。という話もよく聞きます。

これらを踏まえて再度、中学,高校時代を振り返って思います

あの「税の作文」について、自分の直感や違和感を信じて書いたアウトサイダーこそが本当に優秀な人間なのではないか,と


「私たちはそんな彼ら、そして私たち自身に眠るその素質をもう少し尊重すべきなのかもしれません」



最後までお読みいただきありがとうございました。

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