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うつ病の自殺願望について考える

うつ病を支える家族が直面する最大の修羅場が

希死念慮・自殺願望


だと思います。

私の妻はうつ病です(今は寛解しています)。私も例外なく、その妻の希死念慮と幾度となく対峙しました。

専門家は

「希死念慮は脳のエラーだから、深刻に考えずに支えてあげて下さい」

専門家がよく言うセリフ

と平然と言いますが、それを聞くたびに

「いやいや、それは現場を知らない人間の上から目線のクソバイスじゃないか!」

私の心の叫び

とイラっとします。クソバイスは他にもあります。うつ病の人が

「死にたい!」

うつ病の人の心の叫び

と口走るときは例外なく

  • 私は生きている価値がない

  • 生きている意味がない

  • 私はただの排泄物製造機だ


といった旨のことも叫びます。そんな修羅場の中

そんなことないよ、ただ生きているだけでいいんだよ!
生きている、それだけで価値があるんだよ!
命は輝いているんだ!

世間一般に流布しているクソバイス

なんて綺麗ごとを面と向かって言えますか?私は言えません。


うつ病の人は

そういった薄っぺらな考えを見抜く能力


に非常に長けています。そんな綺麗ごとをいうと

「そんなくだらない綺麗ごとはもういい!分かっていないくせに分かっている振りをするお前は最低だ!」

うつ病の人の心の叫び


とカウンターパンチを食らうことは必至です。実際のところ、現実としては

「ああ、このままだと、どこかで本当に自殺するかもしれない」

家族が経験する生々しい修羅場


とひそかに心配しながら、そのうつ病の人が発する「絶望の言葉」にただひたすら耳を傾け、その真意を理解するように努める。

これしか打開方法はないと思います。

ただ、この修羅場はとても奥が深いです。何故なら

「生きることに何の意味もない」

といううつ病の人の叫びから、赤裸々な真理が感じ取れるからです。