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エッセイらしきものばかり

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何がエッセイなのかよく分かっていない人が書いたエッセイらしきものです。
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#杞憂

カニとの戦いに備える人

カニとの戦いに備える人

 エビやカニが嫌いな友人がいるんです。ここでは蟹江さんとしておきます。蟹江さんがエビやカニを嫌う理由はアレルギーだからではなく、見た目が気持ち悪いからなんだそうです。蟹江さんが言うには「虫が食べられないのにカニを食べられる人がなぜこんなにも大勢いるのか理解できない」とのことです。

 ネットで軽く検索したら、蟹江さんのような方は他にもいらっしゃるようです。そう言われてみればカニやエビは不気味な外見

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都会の銃撃戦にいよいよ遭遇したと思ったんです

都会の銃撃戦にいよいよ遭遇したと思ったんです

 平和な証拠となるのかは分かりませんが、現代日本では本物の拳銃と出会う機会が滅多にございません。銃で撃たれるなんて、よほど悪いほうに頑張らないとまずありえない。

 ただ、世の中は何が起こるのか分からないのもまた事実でございまして、いつもの道を歩いていたら銃を持ったヤバそうな人が目の前に現れるかもしれない。確率は非常に低いけれども、この世に銃が存在し続ける限り決してゼロにはなりません。

 そんな

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他人の杞憂は面白い

他人の杞憂は面白い

 私はしなくてもいい心配、すなわち杞憂をするのが大得意なので、他の人が杞憂に走る気持ちは非常によく分かります。起きる確率がどれだけ小さかろうとゼロじゃないなら余裕で心配してしまうんです。実際、ほぼ全ての心配事が現実にならず終わるんですが、私のような杞憂のプロになりますと、ひとつの心配事が幻と消えたところで他の心配事に夢中ですから、気持ちの休まる暇がないわけです。

 杞憂を抱く人の気持ちはよく分か

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プロ杞憂選手の受難

 別にネガティブじゃないんです。ただただ杞憂が得意なんです。杞憂とは「しなくてもいい心配をすること」を意味する言葉で、その昔、杞という国の人が「天が崩れ落ちるんじゃないか」と心配したエピソードから来ているようです。そして、私はそれが得意なんです。世が世なら杞憂で飯を食う、プロ杞憂選手になっていたかもしれない。

 何しろプロ杞憂選手ですから、ちょっと眩暈がしただけで不治の病が頭をよぎるわけです。数

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不老不死くらいじゃ杞憂はなくならない

不老不死くらいじゃ杞憂はなくならない

 人の心配は理屈ではないという事実を「取り越し苦労」によって知るわけです。あれが起きたらどうしよう、こうなったらどうしよう。いろいろ心配するんですが、多くは起こらない。じゃあ、安心していいのかと申しますと、なかなかそうはいきませんで、世の悲劇は大体不意打ちです。予想もつかないところから飛んでくる。だから、人は心配せずにはいられない。

 それでもやっぱりそれはいらん心配だぞ、と誰かは言います。もう

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どうやら自分の断捨離スイッチを押してしまったらしい

どうやら自分の断捨離スイッチを押してしまったらしい

 もともと整頓もだるがって、部屋にものがモリモリ溜まってゆくタイプだったのですが、粗大ごみの回収依頼をして変なスイッチが入ってしまったのか、毎日のように要らないものを選んでは捨ててゆくを繰り返しています。

 個人的には異常事態に匹敵します。使えなくなった電子レンジを「食器入れに使える」とかほざいてマジで15年以上食器の保管に使うような人間が、溜まったものに落ち着かなさを感じているのです。自分で言

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