プロ杞憂選手の受難

 別にネガティブじゃないんです。ただただ杞憂が得意なんです。杞憂とは「しなくてもいい心配をすること」を意味する言葉で、その昔、杞という国の人が「天が崩れ落ちるんじゃないか」と心配したエピソードから来ているようです。そして、私はそれが得意なんです。世が世なら杞憂で飯を食う、プロ杞憂選手になっていたかもしれない。

 何しろプロ杞憂選手ですから、ちょっと眩暈がしただけで不治の病が頭をよぎるわけです。数分後には意識を失ってぶっ倒れ、そのまま病院に運ばれるくらいは余裕で想像する。乾燥した冬には何らかの原因により自宅が丸焼けになるんじゃないかと毎年思っていますし、宅急便を名乗る人物がインターホンを鳴らした時だっていきなり刺されることを想定してドアを開けたりします。

 さぞかし暮らしづらいようにも見えますが、意外とそうでもないんです。何しろ、とりあえず今のところは杞憂が現実になっていない。現実が想像上の不安を下回り続けているわけです。杞憂が杞憂のままで終わるたび、私は思うんです。「自分は運がいい」と。ネガティブではないんですけど、ポジティブともなんか違う気がします。

 さて、先日のことです。職場で私の所属するチームが突如として会議室に集められました。リーダーの落ち着かない様子から、私は並々ならぬ雰囲気を察知いたしました。リーダーは我々の顔をゆっくりと見回しました。

「皆さんに残念なお知らせがあります」

 ざわつく会議室。私は「残念なお知らせ」が何なのか、瞬時に予測しました。ご存じの通り、私はプロ杞憂選手です。そして、リーダーが「残念なお知らせ」と言う。いよいよ会社の倒産だろうと結論づけました。ちょっと危ないかな、という噂は今までも何度か聞いていましたけれども、とうとうその時が来たのだと思い、私は腹をくくりました。とりあえずは当面の生活費用をどうにか捻出しつつ転職活動をするプランを私は早速練り始めました。

 しかし、リーダーは続けてこう言いました。

「こちらの田伏君(仮名)が来月末で退職することになりました」

 田伏さんは現場のエース的存在で、私もいろいろと頼りにしていました。そんな田伏さんが来月末に退職。いや、正確には退職に向けて有給休暇使い切りモードに入るため、来月はほとんど出社しないとのこと。

 突然のことにメンバーの中にはため息をつく者、口を開けたまま放心状態になる者、「え、何で?」と慌てる者など、会議室の空気は混沌として参りました。そんな中、私だけは「何だ、倒産じゃないのか」と内心ホッとしていました。もちろん、田伏さんがいなくなるのは大変ですけれども、会社がなくなることに比べたらまだ楽かなと思ってしまったんです。ええ、誰が何を考えてんだという、全方位に失礼な話です。

 どうやら、内心ホッとしていたのがちょっと顔に出ていたのか、報告が終わって会議室に戻っている私に、同じチームの後輩が「星野さんってあんな時でも落ち着いてますよね」と言われました。ごめんなさい、失礼なだけなんです私は。謝ってすむなら後輩に土下座しようとも思いました。

 プロ杞憂選手の受難はまだまだ続きそうです。

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