さて、これからどうしようか?
「小説家になりたい」と思っている人は小説家には向いてない。
というのも、小説家は
「生きるために書く」のではなく、
「書くために生きる」のでなければならないからである。
それは求めるべきものにあらず、寧ろ、その仕事以外では生きていけず、また、書くこと以外で自分の尊厳を見いだされぬうちに、必然的に向うべきものである。
物書きでも何でもない私がこのような意を述べるのは、筋違いも甚だしいところだが、そう思い至ったのは、三島由紀夫氏による『小説読本』の冒頭の文章が何故か自然と解せられた為だ。
昨年私は一本の小説を認め、新人賞に応募した。
小説を書いたのは、書かざるを得ない自分なりの理由があったからだ。
その理由については以下の記事に簡単にまとめてある。
つまり、レトリックに自分を殺すか、或いは、「書くために生きる」術を手に入れることで、人生をリセットするか、自分を捨てるかによってしか、生きる術が見い出せないのであった。
だが、なんだかんだで今も漠然とした死にたさを抱えて生きている。
さて、今年、来年はどうしようか?
新人賞の締め切りは3月末だ。
今から書こうと思えば書けるし、題材もないことはない。逆にもう書き始めなければ間に合わない。
だが、特に書くことに迫られているのでもない。書いたところで2000分の1をかち抜かねばならないので、勝算もない。
とはいえ、もうそろそろ自分で生活をする方法を見つけなければならない。
普通の人のように働くことが出来れば良いのだが。
私は普通に働きだしたら2〜3年で死んでしまうのではないかという自信がある。
勿論、未来のことなので判然とは言い切れぬが、私自身のことは私自身が一番分かる。
三島氏の言うように一通り経験してからでも遅くはないのだろうが、仕事を辞めてすぐ小説家の仕事を得られれば良いが、そうもいかないとなると、残された道は彼と同じものしかない。
さて、これからどうしようか?
生きることに懶惰になりたい。
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