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毒親育ちは自分を許そう
こんにちは。こんばんは。おはようございます。
未診断アスペルガーの母をもつアラサー主婦、あおです。 今回は、YouTubeっぽく始めてみました。
さて、前回の記事では毒親育ちが感じる社会恐怖について書かせていただきました。 私の場合はトラウマから、母に似た特徴を持つ人に出会うと恐怖の感情が湧き上がるという話です。 良かったら読んでみてください。(そこまで重くはない…はず?)
今回は、そんな社会恐怖にたいして私が曲がりなりに実行している対策について書いていこうと思います。特に参考にしていただけるようなことはないかもしれないけれど…自分のために書きます。
心のシャッターを閉じつつ笑わせて切り抜ける
私は母に似た特徴を持つ人が苦手です。 例えば「良かれと思って」私にアドバイスを与える人。こちらから求めたわけではない場合がしんどいです。絶対に受け入れなくてはいけないと感じてしまうからです。 相手は善意なので、あからさまな拒否は失礼だと感じ、つい聞いてしまいます。
そんな時は相手の発言が終わり次第、その場にそぐわないオカシナ表現をして茶化して、相手を失笑させて切り抜けています。 そして、耳に入れてしまったそのアドバイスについて後で深く考えない。考えそうになったら止める努力をします。 おわり。そう、それ以上は何もしません。お礼も言いません。ありがたくないんだもの…
過去にそういう人の言いなりになっていたことがあります。 だから、変な人だなあと思われてナンボ、向こうから距離を取っていただけるならその方が楽です。そのためになら道化にもなります。
もちろんビジネスではこの態度はアウトだと心得ております。見る人が見たらただの回避だと思います。 批判にもちゃんと向き合え。 でも、笑顔でありがたくお聞きしながらこう考えています。 健康を損なうものを回避して自己防衛することの何が悪いのでしょうか?
苦手な人が多くてもいいじゃないか
あの人いつも愛想が良いね
いつも親切で笑顔の素敵なあおさん
気配り上手でいつも周りのために頑張っているあおさん
そんなお褒めの言葉をもらうために頑張るのを私はやめました。
私は世の中が上に書いたような人だらけなら、平和だろうな思ってるところがあります。(もちろん多様な価値観があるので、あくまでそのうちの一つとして。)
私は理想主義なのかもしれません…
でもあえて今はそんな自身の理想も傍においておくことします。
できる時に、できる人が、したらいい。
自分は持病があるんだと考えるようにしています。限界を超えて持病が悪化するまで自分を顧みず他人に尽くすのはかえって傲慢。 そう自分に言い聞かせています。 例えば、家族のご飯が準備できなくても、いいじゃないかと思います。 家族が不満に感じるなら、その時は話し合おう、 けれど他所様のお叱りや世の中の雑音は聞き流そう、 そもそも人の家庭に口出しすることの方がタブーじゃない? そんな風に考えたらちょっとは軽くなります。
無意識の罪悪感は別途処理が必要
世間の雑音には耳をふさいで、頑張らなくてもいいと自分を許す。 この2つを数年間やり続けてきたのですが、私はここに来て新たな問題に直面しています。
それは、「罪悪感の処理」です。 自分を宥めても許しても、それが効くのは意識に上っている部分に対してのみです。 人間が自分で意識できるのはたったの1割と言われています。 残りの9割、意識していない部分に、罪悪感が蓄積しているのです…(私の場合は)
そのことに気づいたきっかけは、パニック発作でした。 夜中に突然激しい動悸で目が覚めるようになったのです。 念のため検査も受けましたが、体には異常がないようでした。ストレスですね。お医者さんにはそう言われました。
さてこの無意識の部分に溜まっていく罪悪感を処理するには、どうしたらいいのか… 無意識の部分なので、自分で罪悪感を自覚できません。突然体の症状としてあらわれるのです。 パニック発作だったり、突然動けなくなる症状だったり。 これは現在進行形で対策を考えている案件です。(お役に立てない記事ですみません) 頻発するようになってきたので、そろそろ対策に本腰を入れないとなと思っているのですが…無意識にテコ入れするとなると、自己流セラピーでは限界かなあ…とも薄々感じております。
では今回はこの辺りで、さようなら。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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