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毒親育ちの感じる社会恐怖

こんにちは。幼少期からカサンドラのあおです。

過去記事でご紹介した通り、
私はアスペルガー症候群(ASD)っぽい母親のもとで、悪意のない無邪気なモラハラを受けて育ちました。

家を出て5年がたった今、母本人と話す時の恐怖は感じなくなりました。(パチパチ)でも最近は、母と共通点がある人と関わる時に、特に何もされていないのに怖くなったり、何かひどいことを言われたように感じてしまうのです!

母とその人は別だし、関係性も違うんだから、大丈夫!とセルフ勇気付けしても恐怖は消えてくれません。まるで人感センサー付きのライトのように、自動的に恐怖反応が起こってしまいます。顔引きつってると思うし、無罪の相手に失礼…!それにできることなら、対人恐怖なんて感じたくないし…

そこで、「毒親育ちの恐怖条件づけ」について当事者研究してみることにしました。

当事者であるため自分のケースを前提に書いているので、読みにくいところもあると思いますが、よければお付き合いください。

例えばこんな共通点

例えば、感情表現の豊かな人が私は苦手です。一般的には、「表出が多いから分かりやすい」と好意的に感じる人も多いようですが…。「楽しい・嬉しい」を率直に表現する人は、本人に余裕がない時に怒りや不満も激しく表現するかも…、自分はこの人のサンドバッグにされるかも…と、穿った見方をしてしまうのです。母が感情的な人だったからです。(そういう自分もそれなりに感情的なのですが…)

他には、論理性のない話を聞くと、疲れてしまいます。例えば、コロナ対策で「飲食店の時短営業なんて、やる意味ない。」という主張をする人がいたとします。無視するわけにもいかないので「あぁ…どうしてそう思われるんですか?」と質問すると、「どうしてって、そりゃあ、意味ないでしょう。」と返事が返ってきました。自分が意味ないと思うから、意味ない。…その主張が通るなら、「私が殺したいと思ったから殺していい」という主張も通ることになりますよね。適当に聞き流せばいいのですが、母のめちゃくちゃな理論に振り回されてきた私にとっては、飛躍した理論を自信満々に話す人が恐怖の対象です。

親との共通点を条件に、恐怖が再現してしまう

むかし母に言われて嫌だったことを、まるで今目の前にいる人から言われているかのように錯覚してしまいます。お恥ずかしいことに調子が悪い時は、被害妄想のようになってしまいます。(後から妄想だと気づく)

これは、母の言動がトラウマになっていることが原因です。

トラウマとは、脳がある条件と関連づけて恐怖を感じるように学習してしまった状態で、似た条件のもと過去の恐怖が再現してしまうことです。

私のケースでは、相手と母との共通点が、恐怖反応の条件になっています。
しかも頭の中の母が、目の前の相手になりすまして、ひどいことを言ってくるんです!(ノン毒親育ちが読んだらドン引き案件だろう…)

と、いうことで、本日はここまで。でもこれじゃあただの自己分析なので、次回記事では具体的な対策を書いていこうと思います。

それでは、こんな長いものを読んでいただき、誠にありがとうございました!

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