生死を分けたドッヂボールで学んだ社会問題の本質
1979年の小2の道徳の授業で、 #NHK #Eテレ のテレビ番組の再放送が終わった後に #ドッヂボール をするのが慣例だった。
本放送があった週は、番組に関連した感想や議論をする授業を行なっていたが、
再放送となるともう観たからこれっきりだ
という感情が出る。
当時の担任は、落ち着きがない活発な子供に配慮して、
ドッヂボールで気分転換させようという目的で行った。
苦手科目の体育の授業で散々やっていて、それで十分じゃないかと異議を唱えたかったものの、
#体育 の授業は技能だけでなく、協調性も評価されるので、渋々やった。
授業で
外野を3人ぐらい出してスタートし、残りは内野に徹し、内野の敵地が四方八方になるようにする。
内野は敵が投げたボールに当てられぬように避け、当たったら外野に回る。
外野は敵の内野にいる人を当てたら内野に戻れる。
最終的に内野に残った人数で勝敗を分ける。
ということを学んだ。
運動神経がない私は初めから内野に徹し、敵が投げたボール人数当てられることを避けたものの、すぐ当たってしまい、悔し紛れに内野から出た。
そんな私を
足手纏い呼ばわりされ、悪い意味でチームの敗退に貢献したと詰られたことから、こういった団体戦をすると覇気がなくなることを知り、 #いじめ の原因とされた。
そんなある日、敵が投げたボールに当てられたことに気付かず、外野に出なかった私を目撃したクラスメイトは当時の担任に告げ口され、
出なさいと注意をされ、そんな覚えがないと反論したが、ルール違反であると抗議を受けてショックになり、仕方なく退場した。
反則行為をした私を
嘘つきであると見なされたことによって、クラスの輪を乱したことになり、その一件で信用問題にかかるということを教えられて反発したことからいじめ被害の一因にされた。
私の言い分を理解漁さなかった悔しさで、既に外野に回った友達に、
ドッヂボールって内野にいる者が敵が投げたボールという爆弾を受けて死んで、外野という墓場に行く恐ろしい遊びだよねー
という発言をしたことから、
小学校に入学する前から #ホラー に興味があるのではないかと疑われた。
そんなことを口走ったのは、
実母の両親に当たる祖父母は、実母が成人式を迎える前に亡くなってしまったことや、父方の父に当たる祖父も #第二次世界大戦 中に #戦死 したことから、 事故死をはじめ火葬に関すること等「死後」という恐ろしい話を両親から散々聞かされ、様々な場面です生死に関わることであり、感情が揺さぶったのが原因だった。
何とか生き延びる為に、
相手の批判等を避け、巧い形で逃れようとして生き延びる為の狡い術を子供ながら学んだことで批判を受けた経験が、直近でいう #ハラスメント といった #労働問題 で役立っている。
ドッヂボールで学んだことは、
遊びを通して学ぶ殺し合いであることを知り、ルールを通して現在の #社会問題 に適応する力を身体で覚えて欲しいという当時の担任の願いが込められていた
と回想している。
そんな反則行為をした当時の私は
指摘をしてくれたクラスメイトに感謝しており、チームの勝敗に貢献することに拘らず、ハラスメント加害者の本質を見抜ける為の手段の一種であることも身につけたことになる。
#一駅ぶんのおどろき
只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。